はてなキーワード: バットとは
森下舞子がダイナマイトを飲み込み爆発させたとき、胃液と大量の血液に加えて、純度の高い狂気がばらまかれた。
森下舞子は、クリスマスの駅のコンコースに座り込み、傍らにケーキの箱を積み上げて、ガツガツとひたすらクリスマスケーキをかじっていた。誰もが森下を見ないようにしながら、森下を見ていた。そして、爆発。ワイドショーに出てた何人かの目撃者達は、その瞬間、森下が笑ったのを見たと言う。爆発の瞬間を森下は察知していたのか、大好きなケーキの美味しさにずっと微笑みを浮かべていたのか。目撃者たちが、見たような気がしただけなのか。それは、やはり永遠にわからない。
もっと言えば、今この町にある狂気が、森下がばらまいたものなのか、ずっとこの町の人の中に存在していたものなのかも、やっぱりわからない。森下が狂気をばら撒いたというのは全て、僕の主観である。だが、この直観めいた考えは、間違ってはいないと思うのだ。
そのとき、森下を見ていた一人である永沢安雄は、興奮して僕に電話をしてきている。「すげッ! すげッんだって! おい! おい!」「何。何なの」「あの! ははっ。爆発、したの。人が。今、駅。うわーうわー」「は?」「おま、とにかく、来い駅来い!」「はあ? 落ち着けよ」「あー、すげーわー。うわー。ああ」そして電話は切れる。
その日、僕はそのまま寝て、次の日のニュースで、永沢の興奮の原因を知った。
そしてその三日後。今度は、永沢安雄が恋人である小島奈津を絞殺し、自宅マンションのベランダに、布団と一緒に干していたことをニュースで知る。永沢は直ぐに見つかって逮捕されてしまった。その後は知らない。思えば、あの電話が、最後に永沢と話したことになる。
そこまで、ぼーっと考えて、僕は足元を見下ろした。足元には、瀧本茜が倒れていて、頭から流れ出た血が、僕の靴を濡らしている。僕の右手には、イチローのサイン入りバット。森下の狂気は、携帯電話ごしに永沢安雄の声を介して、あのとき僕にも入り込んでいた。狂気はこうして伝染する。あの日、町にはたくさんの狂気が降り注いだ。
茜は、最後に何を言ったっけ。思い出せない。それは夢のように、ぼろぼろと記憶の形を失っていく。僕は何で、茜を、殺したんだっけ。
それからゆっくりと、恐怖が、愛情が、戻ってきたのだった。そんな、嘘だろう。やめてくれ。約束が違う! 僕の狂気はもう、答えなかった。痛みが、絶望が、体中を侵食していく。そうか、狂気とは忘却だ。そして狂気が恐ろしいのは狂気が去るときなのだ。
やっとわかった。森下舞子は、あのとき確かに笑ったのだ。でも、それは狂人の笑顔ではなく。森下も僕も狂人にはなりきれなかった。僕は、台所に行き、包丁を手に取り手首にあてて、やっと笑うことができた。
第二回ファック文芸部杯参加
??幼いころの思い出話??
多分俺が小学1年生で友達のてっちゃんが幼稚園児だったころの話。
最初は殴り合ってたんだけどエスカレートして俺は家まで一旦戻り
家の玄関に置いてあったプラスチックのバットを持って、てっちゃんの
ところまで戻った。
俺はそのバットでてっちゃんを思いっきり殴って、てっちゃんを泣かした。
泣いたてっちゃんは家まで戻り、得物を持ってきた。
なんか長い棒で、棒の先には鉄のようなものがついていた。
当然俺は痛かったので泣いて家に戻った。
家には母親がいたので「まぁまぁ可哀相に」といって慰めてくれた。
俺の顔は半分以上血まみれだった。
でも病院にはいかなかった。
俺の頭のてっぺんには未だにその殴られた場所からは毛が生えてこない。
??おしまい??
1話と11話とゲームのバットエンド2つはniconicoで見たくらいだけれども
まとめサイトであらすじと 米を読んだあとに 最終話 見てきた。
言うほど ひどくはないと感じた。
10分過ぎの コメントでevaって言われている「心理描写」と ひっくり返した料理がゴミ袋に入ったのを見たシーンが あったから 普通に理解できた。
首ちょんぱを見せるのは 映画「seven」をヨットでは 阿部定事件も思い出したり。
「なかにだれもいませんよ」はその前に「たしかめさせてください」って台詞があるから 行為としては残虐だけど 唐突ではない。
面白かった。
先日の未成年者による痛ましい殺人事件を受け、いくつかの暴力的テレビアニメが放送を自粛した模様ですが、まだまだ十分とはいえません。子ども達に悪影響を与える暴力的・反社会的テレビ番組は巷に溢れており、それらを放送禁止に追い込む事はわれわれ親の世代の責任です。皆様の更なるご助力を期待しております。
「生まれながらの身分の違い」を主張する主人公と、その取り巻きたちが人々を平身低頭させて回るストーリー。主人公の理論に納得しないものは暴力によって屈服させられます。ただ暴力的なだけではなく、非常に差別主義的・非民主的な番組。本筋とは無関係な所で性欲を喚起させるような場面が挿入されるのも問題です。
将軍職にあるはずの主人公が、秘密裏に町を徘徊しては最終的に人を殺すという筋立てが毎回繰り返されます。「水戸黄門」と同様、差別主義的ニュアンスもありますが、特にこちらはその暴力性が際立っているといえるでしょう。本件の主人公は「峰打ち」であるため殺人ではないというご指摘を受けましたが、これは逆に鈍器による殺人(鉄パイプ、金属バット、ゴルフクラブ、バールのようなもの、等)を誘発しかねません。
一見、法廷劇を装いながらも、弁護人に類する者は一切登場せず、被告人の主張を「やかましい」と一蹴、イレズミを見せびらかして恫喝を行う判事が主人公。現代法体系を愚弄する反社会的ストーリー。直接的に映らないとはいえ、毎回のように「首の切断と死体の遺棄」を示唆するセリフが登場するなど、猟奇的な側面もあります。
奇怪な扮装を施した主人公が、訳のわからない事を言いながら巨大な刃物で大量殺人を行う。この手の番組の中でもその殺人数は際立って多く、暴力的です。本件の主人公は自分をおとぎ話の主人公になぞらえるなど、現実と虚構の区別がつかない昨今の若者像を象徴しているかのようです。
住所不定無職の男たちが、町々を巡っては結託して人を殺します。凶器は刃物だけに留まらず、登場人物の一人は銃を使う場合があります。
金で殺人を請け負う主人公が登場する反社会性の強いドラマ。超暴力的。
同上。説明不要。
…飽きた。
最初は、社会なんかくだらねえと思っていた。それでバイトにした。
でも現実は厳しかった。社会は俺が思ってたようにはできてなかった。
一回ぶちきれて、辞めさせられたことがある。
3回くらいバイト先を転々として、今のところに落ち着いてた。
この何年かで分かったこと。それは、この社会は低学歴じゃゴミカスってことだ。
現実に向き合ってこなかった。現実を無意識に避けていた。だからまったく見えてなかった。
俺がみてたもんなんてみんなまぼろしだった。社会はでっかい上下社会だったんだよ。
でもどうしようもなかった。いつまでもまぼろしの中にいても仕方なかった。
現実を見るしかないと思って、涙目になりながら色々な本を読んだ。
そうしたら分かった。俺を叱った上司でさえ、ちっぽけな支店の店長でしか
なかった。そいつは40過ぎで、借金まみれでどうしようもないクズだった。
高卒で俺以下だ。でも、俺はそいつ以下のポジション、社会の最下層だった。
しかも、俺が働いてた支店には、一番上までのぼっていっても、業界の中堅だった。
業界ん中には大企業がいくつかあって、その大企業の下っ端の下っ端の系列の
一番下くらいに俺らのバイト先の支店がいっぱいあるんだが、
そいつが全国にン万店もあることを知って愕然とした。
俺らは、業界の中でも中堅レベルの企業の最下層の支店で働かされてる
奴隷だったんだよ。
しかも、俺のいた支店を支配してる中堅企業の社長の奴は、中堅大卒で、東大とか京大とか
ではなかった。俺は、一流大卒でもない社長がやってる会社の一番下で働かされてた
のかと思って、気が遠くなりそうだった。マジで頭が真っ白になって
倒れかけそうになったことがある。
で、業界の中でも大企業の社長レベルになってようやく東大や京大の名前が出てきた。
俺はこのとき、学歴というものの凄みを痛感させられて、頭に鉄バット食らったような
感じになった。
男は学歴で全部決まってる。男の価値は学歴なんだ、これはほんとに。
大企業という大企業はほとんどすべて東大京大だった。例外はほとんどなかった。
俺はとんでもない思い違いをしていた。
男はかっこよくても女遊びができてもなんの価値もない。
最初は、社会なんかくだらねえと思っていた。それでバイトにした。
でも現実は厳しかった。社会は俺が思ってたようにはできてなかった。
一回ぶちきれて、辞めさせられたことがある。
3回くらいバイト先を転々として、今のところに落ち着いてた。
この何年かで分かったこと。それは、この社会は低学歴じゃゴミカスってことだ。
現実に向き合ってこなかった。現実を無意識に避けていた。だからまったく見えてなかった。
俺がみてたもんなんてみんなまぼろしだった。社会はでっかい上下社会だったんだよ。
でもどうしようもなかった。いつまでもまぼろしの中にいても仕方なかった。
現実を見るしかないと思って、涙目になりながら色々な本を読んだ。
そうしたら分かった。俺を叱った上司でさえ、ちっぽけな支店の店長でしか
なかった。そいつは40過ぎで、借金まみれでどうしようもないクズだった。
高卒で俺以下だ。でも、俺はそいつ以下のポジション、社会の最下層だった。
しかも、俺が働いてた支店には、一番上までのぼっていっても、業界の中堅だった。
業界ん中には大企業がいくつかあって、その大企業の下っ端の下っ端の系列の
一番下くらいに俺らのバイト先の支店がいっぱいあるんだが、
そいつが全国にン万店もあることを知って愕然とした。
俺らは、業界の中でも中堅レベルの企業の最下層の支店で働かされてる
奴隷だったんだよ。
しかも、俺のいた支店を支配してる中堅企業の社長の奴は、中堅大卒で、東大とか京大とか
ではなかった。俺は、一流大卒でもない社長がやってる会社の一番下で働かされてた
のかと思って、気が遠くなりそうだった。マジで頭が真っ白になって
倒れかけそうになったことがある。
で、業界の中でも大企業の社長レベルになってようやく東大や京大の名前が出てきた。
俺はこのとき、学歴というものの凄みを痛感させられて、頭に鉄バット食らったような
感じになった。
男は学歴で全部決まってる。男の価値は学歴なんだ、これはほんとに。
大企業という大企業はほとんどすべて東大京大だった。例外はほとんどなかった。
俺はとんでもない思い違いをしていた。
男はかっこよくても女遊びができてもなんの価値もない。
オタク中年化問題(汎適所属)
http://www.nextftp.com/140014daiquiri/html_side/hpfiles/otaken/chunen_ota.htm
増田で影から書くようでホント申し訳ないが、この"オタク中年化現象"、問題でもなんでもないんでは?と思っている。この状況って、"オタク趣味"なるものが一般的に言われている"趣味"と同じレベルにまであがってきた、という望ましい事態なんでは?と思っている。
まず、一般的な趣味は一生続けられるもんだ。僕の祖父の趣味は盆栽。盆栽とはまたベタなおじいちゃんのための趣味である。しかし、ポイントは、祖父が盆栽をはじめたのは彼が10代??20代のころからである。当時は、とても盆栽が流行っていて、みんなで情報交換して楽しんでいたんだそうだ。その趣味を、ずーっと何十年も続けてきた(だんだん盆栽そのもののブームがすたれていって、下の世代が盆栽に興味がなくなっていっても)結果、盆栽が"おじいちゃんの趣味"と言われるようになったと。
このことから、"オタク趣味"も、若いころからはじめて、一生続くものである、というのはある意味当然の帰結、と言えなくもない。
次、
について。こんな人、他の趣味でも、たくさんいまっせ(まあいるとは書いてあるけど・・・)。僕の草野球でよく対戦する相手チーム(平均年齢20代中盤ぐらい)に、一人40超えたおっさんがいる。そのおっさんは甲子園にも出てて、プロに引っかかりそう、というところで引っかからず、社会人を数年続けて今ではその会社のリーマンという。彼とのみに行くと、ほとんど"たら""れば"の話ばっかりになる。あの時あのプレイができていれば、もう2cm背が高ければ、同世代にあのスター選手がいなければ、、、(自分はプロでやっていた)
というやつである。
スポーツなんて、肉体の才能がなけりゃそれで稼ぐことなんてできない。だから稼げないという時点ですぱっとあきらめりゃいいのに、まだこの有様である。そもそも、その道で稼ぐ、というのは狭き門である。"趣味"(厳しいがそのおっさんにとって野球は趣味である)にかまけて稼げるかもしれない(しれなかった)ことを悶々と考えてる暇があれば、自分で稼げるものを見出したほうが楽しいのに、とか僕は思うけどね。その意味で"バットを捨てろ!現実を見ろ!"である。
ちょっと話がずれた、要は、"オタク趣味"でモラトリアム、他にアイデンティティの対象を持たない人なんて、山ほどいていいはずだし、別にそれって他の趣味と一切変わらない、と思うんだけど。趣味で飯食うのは、何だって難しいさ。
あとね、それ以上に
いつまでもモラトリアムを続けているわけにはいかないのである。少なくとも、モラトリアムを続けることはだんだんに難しくなっていく
そうですね。そう思って、うまく現実と折り合いをつけている人だって、たくさんいますよ。僕は1980年生まれでここで言う"中年オタク"で最も若い部類だけど、ちゃーんと自分で手に職つけて、人並み以上に給料もらって、残業して深夜に帰ってからニコニコ動画を見てますよ。そしてまた会社に向かう。今日なんて、会社の同僚と、連休中にやったいろんな趣味の話をしたよ。ラグビーをやってるやつは試合に出てたし、サーフィンやってた奴は海に行きっぱなしだし、バンドやってた奴はライブイベントがあったし、僕はニコニコ動画と読破したマンガの話をしましたよ。ええ、それでいいじゃないですか。そんなもんですよオタク趣味なんて。
僕は思春期が終わったことなんてとっくに自覚してますよ。でもね、やっぱり子供のときに衝撃を受けたからきっと今度のエヴァの映画版は間違いなく見に行っちゃうわけですよ。それで何が悪いっていうんだ。三つ子の魂百まで。それがたまたまオタクだっただけ。
昔のオタクは、"オタク趣味"というものが、他の趣味よりもレベルが低いとみなされる環境下で、自分の趣味をひたかくしにせざるを得なかった結果、趣味を"趣味"として成り立たせることができず、廃棄してしまったんだろうと思う。その意味では、古いオタクの人のほうが、かわいそうだと思えなくもない。
まあいいや、なんかよく分からなくなったけど僕の言いたいことはタダひとつ。
オタク中年化は、オタクの地位が一歩上がって"他の趣味"と同レベルになるという記念すべきすばらしき事象だということだ!!!!
人物:主人公(女)、父、血の繋がっていない母と弟、髪の短い女、髪の長い女、男
父親に長い間強姦され続けてきた。
中学生くらい?で後妻と連れ子(弟)が家に来る。
その後も父の強姦は続く。
父親は、後妻に隠れて女を家に連れ込む。
後妻は、娘に対する強姦も不倫も気付かぬフリをしている。
現在:高校三年生の主人公。家に帰って自分の部屋(ロフト)でぼーっとしているところで弟帰宅。友達をつれてきたみたいで騒がしい。弟が下の部屋におりてきて欲しいと主人公に言いにくる。用事は分かっているので、生返事をしていると弟の友達が来る。弟の友達、主人公に告白。主人公、傍らのバットを持ち弟の友達を指しつつ、自分のどこかいいのか言ってみろと詰め寄る。弟の友達は、可愛いとかもごもご。他は? 他は? と詰問していく主人公。弟の友達は何も言わずに部屋を出て行く。弟は姉がそういう性質だと分かっていたので、しつこく言われて連れてきただけだから、気にしなくていいよと言って友達を追いかけてゆく。
父帰宅。知らない女を連れ立っている。父から暴力をふるわれる主人公。買い物帰りの後妻、帰宅。惨状に悲鳴をあげる。怯む父親。二階に逃げる主人公。しばらくして、後妻が主人公を見つける。この家から逃げなさい、という後妻。初めて母親らしい愛情を受けて、嬉しくて涙が出そうになる主人公。まだ父親が階下にいるから、と靴を渡してもらい、雨どいをつたって降りる。そこで、電話を掛ける母親の声を聞く。相手は警察。主人公の容姿を告げ、家出人として捜索してほしいと言っている。その声に含まれる主人公に対する憎悪。主人公は、自分が強姦されていることも父の不倫も全て後妻は知っていたのだと知る。家のなかがうまくいかないのは、すべてお前(主人公)のせいだ。死んでしまえばいい。電話を切ったあとにつぶやく後妻の言葉に、目の前が真っ暗になる主人公。
家には戻れない。住む場所もない。でも死にたくない。小遣いのため援助交際をしたことはあるが、それで生活は出来るのだろうか。友達もおらず、どうやって生きていけばいいのか途方に暮れる主人公。
マクドナルドで不思議な感じのする男女三人組を見かける。隣の席に座ってハンバーガーを食べていると、髪の短い女が主人公に声を掛けてくる。こんな時間でひとりでどうしたの? 帰る家が無くて。髪の長い女の方が短い女に言う。ちょうどよかったじゃない。短い女はしばらく黙ったあと、そうねと呟き、主人公に自分の家に来るかと聞く。お金もないから、宿代も払えないと言うと長い方の女が大丈夫大丈夫、気に入ってさえもらえばと言う。どちらの話も興味なさそうに横を向いている男の顔が、とても好みで、主人公はじっと見ていた。
髪の短い女の部屋。どうやら一人暮らしのようだった。着くなり目の前のテーブルに錠剤を五つくらい並べ、好きなものを選べと言う女。何の薬ですか? と言っても答えない。どれかひとつを飲んでくれたら、好きなだけこの部屋にいていいよ、と言うだけ。主人公は片っ端から錠剤を飲み込む。途端に幻覚・幻聴、気分が悪くなる。朦朧とする意識の向こうで、お前は今毒を飲んだ。解毒剤を一定期間で飲まないと死ぬ。だから、ずっと私のそばにいなければならないと言う女の声が聞こえた。
目を覚ますと女に体を洗われていた。まだ体がいうことをきかないのでなされるがままの主人公。ベットの上でパジャマを着させられる。気を失っている間に女性器を見せてもらったと女が言う。あんた妊娠しているね。答えはただひとつ。父親の子供。発狂する主人公。そのまま、その女の家を出る。
テレビ局とかの話題で良く出てくる「既得権益」という言葉。100%悪者つーか倫理的に「良くないもの」という風に使うのが通常だけども、どうなんかねソレ。
マスコミなんか典型的で、できあがったシステムを維持するのに汲々とするのは、端的に浅ましいという見方もあるけれど、逆から見れば、もう一度ゼロから同価値のシステムを築く自信が構成員の誰にも無いからなんじゃないかと思うのさ。なんつーか、死ぬほど金にがめつい老人とかそういう感じ?
もう財を生産する能力のない老人にとっては、目の前にある財産が自分の全てなわけだ。失ったら最後、ばりばり働いて取り返すとか、一発逆転目指すなんて考えも能力も残っていない。自分がそうだったら、と想像すると、そりゃがめつくもなるわーだって俺いっぱいいっぱいだしーとか思うわけさ。端から見ればみっともない真似以外の何者でもないけれども、個々人が権益を守ろうとするのは当人からすれば極めて合理的な行動なわけで。
とはいえ、独占寡占が社会全体の厚生を損なうのはイカンので、擁護するだけでなくこちらも対抗策をとらねばいかんね。
結論としては、若年労働力も、人からどんなに後ろ指をさされようが経済合理性のある行動をとろうぜという。
例:
童貞の僕が自分が自分の心の状態を知りたいとき、どうするか。
街のカップルを観察する。
「ああ、幸せそうだなあ。微笑ましいな」
そう思えれば合格点だ。
疲れがたまっていたり、憂鬱だったりすると、カップルを見て、僕は必ず歯を食いしばってしまう。
ぐぎぎぎぎぎぎぎ。
ぐぎぎぎぎぎぎぎ。
ぐぎぎぎぎぎぎぎ。
渾身の力で拳を握りこんでしまう。
ぎゅうううううう。
ぎゅうううううう。
ぎゅうううううう。
見えないバットを脳内で動かし、幸せな二人の後頭部を殴りつける。
大体、その辺りで我に気づく。
ごめんね、と僕は思う。君達が悪いわけじゃないんだ。僕が邪悪なだけなんだ。
そのとき、もう僕には歯をくいしばるだけの力がなくて、拳を握りしめるだけの力もなくて、
誰にも気づかれないくらい、小さくカタカタと全身を震わせている。
ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
生まれてきて、ごめんなさい。
五歳になるうちの娘が自分の左足の親指と人差し指の間に注射器の針を刺して薬物を注入していたので私がそれは何だと尋ねたら一言「シャブ」と答えた。私は思わず窓の外のベランダに行って宙を仰いだところ、隣の家の七歳になる息子が敷布団に乗って空を飛んでいた。
「空を飛べるなんて凄いじゃないか」と私は言った。
「ふざけんなクソ親父ぶっ殺すぞ」とその子は言った。
部屋に戻ると娘はすっかりぶっ飛んでいて誰もいない空間に笑いながら話しかけていた。確かに私はリストラされて失業保険で暮らしている身だ。しかしここまで自分や人様の子供に舐められていていいのか。私は猛然と部屋の片隅に置かれていた金属バットを手に取りさっきのガキにヤキを入れるべくベランダに飛び出した。空を飛んだことはないが七歳に出来ることなら三十三歳になる私にだって出来ないことはないだろう。
「このクソガキがぁ!!」
と言ってベランダから飛び出そうとしたらその七歳のクソガキは相変わらず浮いている布団の上で大量に発生したカラスに取り巻かれて半泣きになっていた。私はこの一件を都知事に報告すべく電報を打つ用意をした。
電報を打ち終わり再びベランダへと飛び出す。するとクソガキを取り巻いていたカラスの内の一羽がこちら目掛けて飛んできたので私は思わず手にしていた金属バットで暇な時に新宿のバッティングセンターで右バッターボックスで時速70kmの球を打つようにジャストミートしてしまった。飛んでいったカラスがクソガキを直撃したので布団からガキが落ちていく。他のカラスは動揺してどこかへ飛んでいってしまった。布団だけがふわふわと浮いていたがやがてそれもまた落ちていく。すると空中に羽衣を纏った金髪の女神が登場した。
「あなたが落とした子供はこの白人の可愛らしい女の子ですか?」
するとその女神の背後からさっきのカラスが飛んでくる。復讐のつもりだったのかもしれないが女神が眼前に現れたせいでそのまま女神を直撃してしまった。どうやら嘴が女神の肛門に刺さったらしく目の前で悶え始める。するとドアホンが鳴った。玄関に出る。
「電報は確かに受け取ったよ」
それは都知事だった。対応の早さにも驚いたがもっと驚いたのは下半身が丸裸だったことだ。
「おっと失礼。急ぎ過ぎたようだ。しかし戻る暇はない」
そう言い放つと手にしていた機関銃で宙を舞っていたカラスを次々と打ち落とす。女神だけを残してカラスを全部落としてしまったのは流石は都知事だ。よく見ると都知事の下半身は勃起していた。どうやら女神の痴態が影響を与えたらしい。と、そこにぶっ飛んでいた私の娘がやってきて都知事の肛門に人差し指で浣腸をした。都知事は「オマンコオマンコバンバンジー!!」と三回叫んでそのままベランダから落ちていった。その際に射精したらしく、都知事の精液を指で掬い取って匂うとそれはトリュフの匂いがした。
大多数にとっては失敗だったし教科書にもそう書いてあるけど
すみません、世界史は選択していません。「教科書に書いてある」なんて言われると、バットで頭を殴られたみたいな感覚になります。
理念というか、いわゆる正義感がなければ行動へと移行するだけのパワーは得られないと思うのだけれどなぁ。要するに、現在話題の「閉塞感」の打破のためには(過去に習えば)革命的妄想が必要なのではないか(と思ったり思わなかったり)
社会をより良くしたいとか、問題を解決したいとか、そのために必要なアプローチは理念(いわゆる倫理観とか正義感とか)を持っていなければそもそも生まれませんよね?という話なのです。
「激しい嫌悪感」って表現も極端だなぁって感じたので、何でだろうって疑問に感じただけなのです。
もしも(革命の)結果と、その発端としての(教科書的に書かれている)思想を直結的に結び付けてしまっているとしたら、少々端緒的にのみ注目しすぎではないかと思いました。