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はてなキーワード: ソフトウェア産業とは

2011-01-16

http://anond.hatelabo.jp/20110116160055

いちおう、昔のこの産業ウォーターフォールで、ソースコードは全レビューというのにより、そういう腐ったコードは入らないようになっていたんだけどね。

アジャイルだなんだと、さわいだあげく、ろくに試験しない、ろくにレビューしないで この様さ。

いちおう 自分のチームは 全レビューを維持している。 あとで発覚するよりも コーディング中に発覚するほうが、はるかに安くつく。

後ろのほうで上の方にコードが積み上がって、もうどうにもならなくて破綻したプロジェクトなんて、いくらでも知ってる。

 

部下のコードレビューしない上司害悪だと思い始めているし、こういう酷いコードを下の方に入れる奴はマイナスの稼働だと思っているが・・・

そんな事関係ない、兎に角人を突っ込めばプロジェクトは成功するんだ。 そして、今はオープンソースの時代でコードはいっぱいあるから、単価は安くていいんだ。

たいなのは日本ソフトウェア産業。 安いコードで安い奴で、他国と競争しようっていうんだから、終わってる。

 

天才プログラマでも、ダメプログラマでも1人月は1人月。 それが 日本

2011-01-14

http://anond.hatelabo.jp/20100813012328

日本FizzBuzz書ける1人のプログラマFizzBuzzかけない9人のプログラマの文までプログラムするんだよ。

で、支払いは10人分支払われて、FizzBuzz書ける人がもらえるのはひとり分。

要するに水増しだよ。人月という、人数が多いほうがたくさんもらえる仕組みだから、そうなってる。

支払う方は、団塊の世代人間から努力すればなんとかなるみたいな根性論で、スキルという物を信じないからそうなる。そして、ソフトウェア産業は圧倒的に遅れた。

当たり前だが大企業ほど、優秀な人は外資に行く。って言われていて、実際そのとおり。

2008-11-15

http://anond.hatelabo.jp/20081115001942

そうです。理系大卒のやる仕事ではありません。ましてや理系・院卒なんて……

http://www.atmarkit.co.jp/news/200805/28/ipa.html

 学生からの質疑では、「学部卒でもどんどん採用しているが、本当はソフトウェア産業専門職だと思う。その点はどう思うか」という質問に対し、「修士を経た専門家は年に1000人くらいだろう。彼らは本当に有名な企業に行ってしまう。これだけでは人が足りない」(有賀氏)と苦笑い。また、「本当に優秀な人は1人で何人分もの生産性を上げるのに、入社採用時はみんな一律のことが多い」という学生の不満には、「本当に自分が売れると思う人は、そういう個々人のスキルが最大限に生かせる企業に行くといい」(有賀氏)と断言。大きなシステムの構築などの仕事では、個々人の突出したスキルではなく、チームワークが重要だと主張した。

と、そもそも会社側が能力のある人を求めていないんだから、わざわざ能力ある人はそんなところいく必要はないでしょう。

人事が「技術力なんかよりも、コミュニケーション能力のある人材が欲しい」というから、

コミュニケーション能力はあるが、技術力のない人が増えているというのが現状らしいです。

2008-05-21

ソフトウェアエンジニアとして、日本で何が出来るのだろう

議論しても仕方のないことだけれども、このテーマだけはどうしても一度は向き合わずにはおれない。自分の頭を整理するためにも、文字にしてみたいと思う。

米国にはSI業界ってあまりなくてコンサルティングとかプロフェッショナルサービスに分かれているのに対し、欧州では日本的なSIerが結構あって、富士通サービスなど日本勢も頑張っている。この違いはどの辺からきているかというと、結局のところ雇用流動性だ。米国では要らない社員をいつでも切れるから、プロジェクトの中核には技術を分かった人間をインハウスで採る。そういう連中を必要に応じて雇える労働市場の厚みがあり、要らなくなったらクビにしても問題ない。

日本ソフトウェア産業が弱いと言われる一つの理由として、この説明は自分にはしっくりくるし、それが政策的な問題だと言われると、とても悲観的な気持ちになる。職場環境の上でも技術の上でも、本気でソフトウェアをやるなら海外に行った方がいい、というのは少なからず感じるのだけれども、じゃあ自分も海外へ、という気持ちにはなれない。一度は暮らしてみてわかった。自分は日本が好きだ。

だから大前提として、日本で何が出来るんだろう、という話になる。あるいは、日本ソフトウェアエンジニアは何に力を振り向けるべきなんだろうか。

コスト競争力

今の時代、どんな業界でもソフトウェアは必要とされるし、仕事がなくなることはないだろう。そして日本人が必要とするソフトウェアは、どうせなら日本人が作った方がよいだろうと思う。別に世界に打って出るようなものではなかったとしても、必要とされるものは誰かが作らないといけないんだ。

問題は、コストか。日本の優秀なエンジニアがみんな海外に出て行くのだとしたら、誰に仕事を頼むのかということになる。同じお金を出すならば、日本の平均的なエンジニアよりも、アジア各国の優秀なエンジニアに頼む方がいいのではないか。少なくとも日本経済的優位が続いている限りは。

日本ソフトウェア仕事がなくなるわけではないけれども、日本エンジニアが負けないためには、海外エンジニアと比べてコスト優位性がなければならない。そのためには安い給料に甘んじる・・という選択肢は考えないことにする。前向きに行こう、うん。

人件費を下げることなくコスト競争力を上げるには、どれだけ付加価値のあるものを作り出せるか、ということだ。

集中と分散

どうすれば価値の高いものを生み出せるか、なんてのは自分にはわからないし、自分はただ目の前で必要とされているもの、自分が価値あると思うものを精一杯作り続けるだけだ。

ただ、それでもなんとなく時代の変化みたいなものは感じている。

ただ著者は、物理インフラが集中する一方、情報は各ユーザーがつくるuser-generated contentとして分散化し、ウェブが「バルカン化」する可能性が高いと予想する。その結果、在来型のメディア無料化して産業としては縮小し、新聞広告媒体となり、映像音楽インフラ産業のプロモーション・ツールとして買収されるだろう。意外に時代は、ソフトハードのおまけだった時代に戻るのかもしれない。

コンピュータ世界は集中と分散を繰り返すと言われるが、今はまた集中の時代へと向かってきている。Googleの言う「クラウドコンピューティング」が成功するかどうかはわからないけれども、そうでなくともサーバの集約や仮想化といった話はとても身近だ。

インフラが集中し、ハードウェアコストが上がれば上がるほど、ソフトウェアコストは相対的に小さくなる。ソフトウェアの開発費が「おまけ」と言われるくらいに小さく出来るならば、逆にソフトウェア付加価値は非常に高くなる。集めたハードウェアを生かすのはソフトウェアなのだから。

集中の時代には、ソフトウェアを作りやすくなるのかもしれない。

努力の方向を意識する

そうであるなら、自分たちも集中の時代に合わせたソフトウェアを作るというのはどうだろうか。必要なものはいくらでもあるだろう。多数のマシンを効率的に活用する基盤システム。多数のユーザサービスを届けるウェブシステム。業務をサービスとして行なうSaaSアプリケーションシステムを集中管理し、プロセス改善していくバックエンドの技術。

個々の技術がビジネスとして成功するかは全くの別問題なのでここでは考えないけれども、個々のエンジニアの立場として考えるならば、集中の時代を意識して技術を磨くというのは一つの方向ではないかという気がしている。

未来のことは誰にもわからない。だけど、次の20年を生き延びる技術は何かというのを意識して、腕を磨いていかねばと思う。

2008-02-26

土建屋利権

ITだって立派なインフラだ − @IT

「生活のインフラ」といった時に思い浮かぶのは、電力やガス、水道、あるいは交通機関などだろうか。しかし、1つ重要な要素が抜けている。IT、あるいはICT情報通信技術)だ。

ITはいまや、重要インフラを形作り、そのコントロールを担う存在となっている。

親戚に土建屋がいるんだけど、こいつはもうほんと政治に詳しい。TVとか見てると「○○はだれそれの息子で大学はどこ。だれそれは道路族だったからこいつもそこらへんをバックに……」とかいう話をいつまでもできる感じ。そいつの親父も土建屋で、やっぱりそんな感じ。

で、直接そんな話をしたわけじゃないし、できるわけもないんだけど「誰が仕事くれるのかちゃんと知ってるんだなー」と思った。

彼らはきちんと、自分たちに対して仕事をくれるであろう人を選んで、選挙に行くのだ。そのために必要な知識も仕入れて、何が自分たちに対してプラスになるのかを見極めて(あるいはそういう人に推薦されて)行動しているのだろう。それが今の日本で、社会的にプラスになってるとは思わないのだけれど、そういう姿勢を我らIT土方も学ぶべきなんじゃないだろうか。

インフラ整備は大事業だ。○○党は道路お金落としすぎ、と言ってる。さて、ITインフラ投資してくれる政治家、いる?

日本の政治がITに介入してきちんとした成果を挙げたものなんてろくに無い気がするんだけど、日本IT土方はそんな政治家議員椅子からひきずりおろすべき。ちゃんとITの先を見て、必要な投資を行わないと、ソフトウェア産業なんてすでに手遅れ状態になってるのに、いつまで放っておくのだろう。声をあげないことは自分たちに降りかかってくる災いを容認しているも同然だ。

土建屋さんは彼らの築いた大きくはないけど強固なネットワークを持っている。ITを使うひとたちは強固じゃないかもしれないけど巨大なネットワークを持っているはず。もっと使うべきだし、使わないと自分たちが危ない。

2008-01-30

ソフトウェア産業ダメにしてきた定年間際管理職のお言葉

ソフトウェア産業を食い物にする、自称「業務改善コンサルタント」の発言

  1. 自分達の職場は自分達が考え、行動することが会社を良くする
  2. これは人作りのために大切な課程である。
  3. くじけずに追求して自分達で考えて行動して欲しい。
  1. 自社製生産性測定Webアプリケーションから出た数値に基づく事実を読み取る力を養ってください。
  2. 事実を見ることができないと足踏み状態に陥ります。
  1. 仕事量が少なくなると生産性が落ちる傾向があります。
  2. 仕事量が少ないときにも生産性を高める工夫が必要です。

2007-10-22

8bit時代とは何だったのか - 8色タイリングが拓いた表現者の時代 -

ブックマークでも人気のこちらを見て考えた。

YouTube『PC-6601が歌うタイニーゼビウス』

80年代に隆盛を誇った8bitホビーパソコンの追憶の詩と映像である。若くてそんなの知らない向きにはこちら→Wikipedia 8ビットパソコンホビーパソコン

要するに貧相な計算能力ながらようやく「人間にも分かる」表示能力と発音能力を持った初期のパソコンの、ユーザーがその表現をプログラム側からながら自由に扱うことができるところに面白みのあった一時代についての懐古である。曲も素晴らしい。

もちろん私も8bitホビーパソコンのストライクゾーンユーザーだったわけで上記クリップの言わんとする感じは良く分かる。逆に世代が違うとそれだけでこのビデオ作品には何も感じないかもしれない。

しかしそんな懐かしズムについて語りたいわけではない。いや、むしろ猛然と語りたくてしかたないのか。ともあれ、この国産8bit時代に我々現30代はアーダコーダと雑誌を横に機械語まで弄ったりしたのだ。頭の柔らかい中学生ぐらいだから理系とか関係なく自然言語を取り扱えた。いきなりバイナリコードを組んでる姿は親からみたら異星人だったに違いない。それでもクラスに数人はいたはずだ。希少種というほどでもない。

そこで疑問に思うのがそんな我々30代が社会で中堅と相成った現在において、この日本ソフトウェア産業レベルが低いのはどういうことなのだろうか。かように自主的にコンピュータの実習をしてきたにもかかわらずだ。

怪しい部分はいろいろある。

8bitパソコンうつつを抜かしている間言われたのは「プログラマーでは食っていけない」という呪いだった。実際、私も特性があったとも思えないが選択肢から最初から除外していた。この辺の妥当性は現在プログラマーの人のコメントを待ちたい。外見的にはWebプログラマーとして人材が流れ込む現在とは対照的だとは思う。

また、90年代の停滞だ。Macintosh廉価版と続くPC/ATWindows95の普及まで「パソコン」は暗黒期にあった。さらに言うと2000年ごろのウェブプラットフォーム現実感として開けてくるまで80年代のような「パーソナル」さはなかったように思う。

思うに、80年代パソコン90年代(後半)以降のコンピューティングは全くの別物だったのではないだろうか。

そこで8bitパソコンがなんだったかというと、実際はパーソナル「コンピュータ」ではなくパーソナル「メディア」だったのだろうと思うのだ。(当時ログイン伊藤ガビンPCメディア論を振るっていたが、ここではもっと画用紙同様の素直な意味である)今からみると惨めな表現力しかないのだが自由に、難しい表現だが、扱うことができた。サラリとその場でBASICを組めばキーに音を割り振れるような自由だ。いくつかの8x8マスのカラフルな独自“文字”を設定してテレビ局しか触ることのできなかったCRT画面を芝生“文字”や樹木“文字”で埋め尽くし草原にしてしまう自由だ。

特に当時は計算能力限界があったためユーザーも遅くて動かないアルゴリズムに凝ることより表現に凝ることに走ったのかもしれない。

ゆえにコンピューティングの正統な進化たるMacintoshPC/ATではそれを引き継ぐことはできず、ラピッドプロダクションで表現を行うメディアであるウェブの普及までその再来感覚がなかったのだ。

そしてこれはコミック60年代??)、アニメ70年代??)と続きゲーム(90??年)が引き継いだ日本サブカルチャーの基底をなす一つでもあると思う。

だから大人になったパソコン少年※が作るのはウェブプラットフォームランタイムではなく『PC-6601が歌うタイニーゼビウス』なのである。

※作者が何者か全く知らない。本当は20才のモデルかもしれないし65才会社役員かもしれないのであしからず

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