はてなキーワード: 裁判員制度とは
2009年5月から施行される裁判員制度。重大な刑事事件の第一審を6人の裁判員と3人の裁判官で"事実の認定""法令の適応""量刑の判断"を決定しなければなりません。そんな裁判員制度、なぜ日本でしなければならないのか、誰が得をするのか、もしかして一定数の利権の為に国民が利用されるだけなのか、反対賛成という議論ではなく、施行する事で社会がどう変わるのかをドグマ的メモとして言及したいと思います。 (半分パラノイアです)
まぁ、一般的に知らないのが当たり前だと思います。「法律なんか分からない」「私には無理だよ」というのが大多数ではないでしょうか。しかも、マスコミ、特にTVや新聞で報道される過激な犯罪、無罪を主張する被告人、嘆き悲しむ被害者遺族の姿、少年犯罪などを見て勝手に、「最近では、変な犯罪が増えたよね~」などと思い込まされているし、悪いことをすれば、全員が逮捕され刑務所に入れられると思っていたりもする。
しかし、マクロ的に見ると全く違う。むしろ逆のロジックなのかもしれない。逮捕されたところで刑務所のキャパシティが決まっているので数パーセントしか入れられない。少年院を合わせても想像以上に少ないのが現状だろう。
それからマスコミで報道される事件というのは、万人受けする記事を書く上での選別をしているので、つまらない殺しとか、話題性のない強盗とかは一切取り扱わないし、教育上使えるものを選んでいる程度だと思われます。だから実際裁判員として法廷で担当する案件はもっとえげつない事件に当たる可能性は十分にあります。
例えば、4人で銀行強盗をして帰りに仲間3人を殺したなど、マスコミでは報道していない(できない)事件を目にすることになると思うし、事件現場の写真や、証拠写真、バラバラ遺体写真も見ることになるかもしれない。言うまでもないが、これもTVで見ることはできない。
そもそも日本というのは、犯罪率や再犯率が非常に少ない国であります。重大事件といっても年間で何百件程しかないですし、その内7割が全面自供をしているので、裁判員として法廷に参加しても、7割の確立でただ見ているだけという授業参観状態になると考えられます。国民が想像している「無罪を主張している被告人」などというのは1%にも満たないですし、それがマスコミで話題になり報道されるので、人々が誤解をし勝手なイメージで司法を捉えてしまっているのではないでしょうか。
刑事事件というのは、警察が逮捕して検察庁に送られます。そこの執務室で検事が起訴するかを判断します。起訴された被告人は裁判所で裁かれる流れなのですが、この時の裁判所での有罪率が99.9%と言われています。ということは、検事が起訴すれば有罪。逆にいうと、犯罪者でも起訴されなければ無罪になるということなのです。つまり、裁判所で白黒を決めているのではなく、検察で有罪か無罪かを決め、裁判所で量刑を決めているのです。
少し話が脱線しますが、被害者遺族が法廷で被告人に質問などができるようになりました。しかし、この制度も明らかに奇妙なのです。例えば、こんなシーンを見た事ないだろうか。自分の子供を殺された母親が被告人を恨んで殺してやると涙してる姿を。しかし、実際にはこんなケースは希有で、殆どの殺人は身内殺人や遺族殺人ですから意味がないのです。しかも、色々時間掛けて参加しても最終的に無罪になれば被害者遺族は無残な事になります。このことから被害者参加の意味というのは私には理解ができないのです。
ご存知だと思いますが、国民の殆どが裁判に興味がなく参加したがらないのが現状です。これは施行後も変わらないでしょう。なのに裁判員制度は走りだしています。検察も弁護士も判事も政治家かも、これといって得をする組織がありませんし、国民も得をするとは思いません。
今までの司法村のあり方にガタがきているからか?グローバル化によって日本が静寂してるからか?いくら考えても何の為に施行するか考えつきません。個人的には、裁判官と話ができるし、法廷の雰囲気を体感できるので前向きに参加するのでいいのですが、俯瞰的に見たときにこれといった理由が思い浮かばないのが結論です。
ここからは私の理想論なのですが、裁判員制度を施行するのであれば、もっと国民が司法に介入してもいいのではと思っています。今の裁判員制度だと一生に数回しか参加できないですが、国民一人ひとりが裁判員を年に1回参加する頻度にすればいいのではと考えます。確定申告みたいに。そして、取り扱う案件も幅広くし、裁判官の人事権も参加できるようにすれば良いのではないでしょうか。つまり、社会の当たり前として考える事により色々解決すると思う訳です。具体的に何が変化するのか考えて見ました。3つあります。
一つ目は、大企業は勿論の事、中小企業や個人で仕事している人でも裁判員制度で穴が開くことを前提で仕事を組み立てようとします。そのことで働きすぎの企業体系も、仕事のあり方すら変化するのでは考えます。
二つ目は、司法村の改革です。重大事件以外も裁判員制度にすることで保守的な司法をオープンにできればと願います。
三つ目はは、国民一人ひとりの意識改革です。日本人は極めて傍観者的であり、お任せ意識が強く、何事にも関わろうとしません。昨今では、グローバル化で日本は先進国と言われていますが新興国の追随で、このままでは淘汰の可能性もあります。裁判員制度をきっかけに、銘々が少しでも自立し国全体の温床になればと妄想します。
ショッキングな事に、裁判官は法律を調べて量刑を決めていません。判例と比較して量刑を決めているのが実態です。なぜかというと、司法村で個性的な事(判例を無視した量刑)をすると左遷やクビになるからです。冒頭で述べたように、基本的に検察が白黒を決めているようなものなので、裁判所ではセレモニーが行われているだけなのです。判事にとってノルマは絶対ですし、仕事を溜めるのはご法度、勾留を却下することもできない、そんなマニュアルを見ているが如く流れ作業をしている判事なので、裁判員制度くらいでは保守的な考えは直らないだろうと思う訳です。
何が言いたいかと申しますと、例え裁判員(素人)が参加したとしても、3人の裁判官の内一人でも無罪に入れないと過半数でも無罪にならないことから、判事は絶対の権限を持っていますし永山基準は変わらず、保守的な形態は緩和しないのではと懸念します。
先ほどでも述べましたが、私としては、判事の人事権や重大事件以外(勾留判断とか)でも国民の監視下に入れることにより、ブラックボックスの司法村の透明化、国民のインセンティブ、国の温床になると考えますので、やるのであれば徹底してやるべきだと私は思う訳です。
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090218-OYT1T00580.htm
問題なのはこいつが「殺人及び死体損壊遺棄」で裁かれている点か。
それだと死刑にするには罪が軽すぎる。
正直、無期懲役(と言うより殺人及び死体損壊遺棄で裁かれることそのもの)は不当であると思うし、死刑が望ましいとも思う。
でも、刑法に照らし合わせた時の「罪」から考えると死刑には程遠いし無期懲役と言う刑罰も頑張った結果だと思う。
裁判員制度が始まればこいつは即刻死刑になるんだろうけど司法に感情論が飛び交うのはなんだかなぁ・・・
新しい罪を作るしかないのか・・・
それを判断するのが難しいから、裁判員制度とか変な制度が出来ちゃったりしてるんだろ
それを簡単に判断できたらそんないいことはないよな
http://anond.hatelabo.jp/20090120215245
この部分は激しく同意。
それでもまだ弁護士はマシな方だ。いちおう素人の被告の相手をしないと行けないからな。問題は裁判官と検察。もうコイツラはほとんど何も考えてない。テレビや新聞で話題になるぐらいになるとちょっと別だが、それ以外のそこそこ小さい事例だともうほとんど最初からシナリオが決まっていて、弁護士はそのシナリオを察してどの程度修正できるか、というだけ。
以前ついてくれた弁護士はみんなそろってこう言う「あの検事と裁判官ならこの辺が落としどころです」「あの検事は今法律変わって実績作りに立件に燃えてますからね」「あの裁判官はこの手の事件にはきついですから」オイオイ、事件の中身とかいいのかよ。まだ始まってもいないんだよ。
もうね、考える事なんてほとんど無いの。テレビゲームの攻略本みたいなもの。このキャラならこのコマンド、みたいな。情報と経験だけ。
裁判員制度はイイとは思わないが、もし唯一あるとしたら、ほとんど脚本付きの演劇みたいな裁判を引っかき回して検事や裁判官、弁護士を悩ませて考えさせて真剣勝負の場に変えること。彼らにはソレができるだけの力はあるんだから。ただメンドクサイからシャンシャン裁判ですませちゃってる場合が多いだけでね。そんなので50万とか100万とかふんだくられてはたまらんぜ。
裁判員制度を見越して「判りやすい」裁判っていうのをやってたんだ。
もうアホかと、バラエティ番組みたいな感じ。
印象付けたい単語を赤字でバンっと貼る。
あんなの公平な裁判じゃない
裁判員制度が始まることについて、知人の弁護士に聞いてみたんだ。
そしたらそいつはこう答えた。
「裁判員制度なんか迷惑以外の何ものでもない。
素人にも分かるように説明しなければならないので、争点が極めて単純になってしまう。
弁護士をはじめ裁判官や検事など、裁判に関わる人間はその制度を誰も喜んでいない。」
バカかと。
お前みたいな法律オタクが、密室で被告を裁くのを減らすために裁判員制度ができたんだろ?
・・・と思ったが、弁護士を敵に回しても得は無いので
「そっかー」
と、笑顔で答えておいた。
弁護士が「先生」「先生」と持ち上げられ、周りにYESマンしか集まらない理由が少しわかった。
これは職業病だと思う。
過去の判例ではどうだったのか。その事実はあったのかなかったのか。など、
とにかく弁護士の仕事は過去との取っ組み合いだ。未来を創る職業ではないのだ。
裁判が変わってから、その変化に合わせて弁護士もようやく対応を始めるのだろう。
過去が変わらないと今の彼らは変われないんだ。
裁判官が庶民的であっては困る、という記事だと思う。『だからこそ裁判員制度がある』という意見にはとても同意だけど。裁判員制度がある『からこそ余計に』裁判官に【庶民感覚】など不要だと思う。
そもそも、言ってることが変であるか無いか、ということと、立場をわきまえた発言か否か、というのは全然違う話だから。
たとえば(居酒屋でオヤジがクダを巻いてるならともかく)取り締まる警察官が公の場で「交通取り締まりとかウザいよねええええwww」とか、国の利益を考える大臣が「ぶっちゃけ竹島とかどうでもよくねwwww?」とか言っていたら、それは常識を疑われて当然っしょ。同じく刑を決めて一般人に更生を求める裁判官が「ぶっちゃけ刑務所で更生とかあり得なスwwwwww」って言ったも同然なんだから、そりゃ非難されるっしょ。
オレは左翼だけど
どうやら朝日は、裁判を、「反省」を求める場であり、同時に、慣用的に使われる「裁判で真実を明らかにしたい」とする場であると考えているらしい。
東京裁判という「場」が一般の「裁判」とは異なるものであったことくらいは知っている。
増田は「裁判上の反論」であって反省の有無とは別問題、と捉えたいようだけど、A級戦犯とは天皇免責のための生け贄役であって、個人的にはむしろ『どう考えても無罪主張は無理』であり、その意味では裁判戦略としてはむしろ本来『情状酌量を狙って反省の弁を述べる』方向でいくべきだった、とは思う。
だが、おそらく『生け贄役を務めるため、あえて有罪を目指』しつつかつ『不名誉な名目で断罪されることを拒否』した結果として、戦中と同じ『聖戦を信じた狂信者』のごとき言説を述べざるを得ず、『国民はそれを「我々を欺いた狂信者奴!」と罵ることで自らの無罪性の担保とする』という壮大なマッチポンプがそこにある仕掛けなのだ。そして、その一歯車として朝日新聞は機能したし現在もしている…というのがそこにある問題だよね。
で、そういう戦後空間そのものの欺瞞性を問いあらためて国民と天皇の罪を問うという文脈でならば、この件の欺瞞性を問う行為には意味があると思うが、どうもそういう意図にも見えない。そのあたりの踏み込みが浅すぎて、増田のエントリには納得できないと言わざるを得ないな。
つーか、裁判員制度に絡めて朝日叩きがしたいだけなら、別なネタ探した方が良いと思うんだ。
(追記)
それにしても、イラク戦争反対・ブッシュくたばれ派のオレだが、戦争裁判が今行われて「ブッシュをA級戦犯(平和・人道に対する罪)に問うべきか?」という問題が出されても、それがイエスかノーか分からないというのが本音。戦争というのは、個人や特定の少数の考えで起こるようなもんではないという気がする。単なる感覚ではあるけれども。
本日付東京版14版社会面の記事から。(ネット上では、自分が見たのと同一ではないが、概要はasahi.com(朝日新聞社):A級戦犯15人、意見書の写し 「自衛戦」主張明らかに - 社会)に)
国立公文書館で、東京裁判の被告の、弁護団宛意見書が出てきた、という話題。
見出しは「A級戦犯 自説強弁」「責任転嫁も」。要約では「戦争は自衛だったと訴えたり、自分は命令に従っただけだと主張したりと、正当性を強調する姿がうかがえる。戦争では多くの犠牲者が出たが、自らの『非』に触れた記述はほとんど見られない」。
どうやら朝日は、裁判を、「反省」を求める場であり、同時に、慣用的に使われる「裁判で真実を明らかにしたい」とする場であると考えているらしい。
確かに日本では、特に前者に関して、歴史的なそのような潮流があったことは事実である(たとえば新律綱領中の自首に関する規定)けれども、解説的な識者は「裁判上の反論であり、歴史的事実かどうかは吟味が必要」という至極まっとうなコメントをよこしている。
そもそも(刑事)裁判とは、有罪(guilty)であるかないか(not guilty)を、法(この際東京裁判の法的正当性云々という話題は脇に置いておくにしろ)に則って決める場である。極論すれば、「真実が明らかに」なることや「反省」云々は、それに付随するものでしかないということを朝日は忘れているのではないか。
これから始まる裁判員制度に関しても、世論への影響が小さくない朝日が、「裁判」をどのようにとらえているか、考えさせられる記事であった。(まさか東京裁判が「裁判」ではない、というオチはないと思うが)
(ちなみに個人的に裁判員制度は、判決にばらつきが出て、量刑不当を理由とした上訴が頻発し、逆に裁判か長期化すると予想してます)