2008-12-24

朝日は「裁判」に、何を求めているのだろうか?

本日東京版14版社会面の記事から。(ネット上では、自分が見たのと同一ではないが、概要はasahi.com(朝日新聞社):A級戦犯15人、意見書の写し 「自衛戦」主張明らかに - 社会)に)

国立公文書館で、東京裁判被告の、弁護団意見書が出てきた、という話題。

見出しは「A級戦犯 自説強弁」「責任転嫁も」。要約では「戦争は自衛だったと訴えたり、自分は命令に従っただけだと主張したりと、正当性を強調する姿がうかがえる。戦争では多くの犠牲者が出たが、自らの『非』に触れた記述はほとんど見られない」。

これはひどい

どうやら朝日は、裁判を、「反省」を求める場であり、同時に、慣用的に使われる「裁判真実を明らかにしたい」とする場であると考えているらしい。

確かに日本では、特に前者に関して、歴史的なそのような潮流があったことは事実である(たとえば新律綱領中の自首に関する規定)けれども、解説的な識者は「裁判上の反論であり、歴史事実かどうかは吟味が必要」という至極まっとうなコメントをよこしている。

そもそも(刑事裁判とは、有罪(guilty)であるかないか(not guilty)を、法(この際東京裁判の法的正当性云々という話題は脇に置いておくにしろ)に則って決める場である。極論すれば、「真実が明らかに」なることや「反省」云々は、それに付随するものでしかないということを朝日は忘れているのではないか。

これから始まる裁判員制度に関しても、世論への影響が小さくない朝日が、「裁判」をどのようにとらえているか、考えさせられる記事であった。(まさか東京裁判が「裁判」ではない、というオチはないと思うが)

(ちなみに個人的に裁判員制度は、判決にばらつきが出て、量刑不当を理由とした上訴が頻発し、逆に裁判か長期化すると予想してます)

  • オレは左翼だけど どうやら朝日は、裁判を、「反省」を求める場であり、同時に、慣用的に使われる「裁判で真実を明らかにしたい」とする場であると考えているらしい。 東京裁判と...

    • 元増田の (まさか東京裁判が「裁判」ではない、というオチはないと思うが) と、子の 東京裁判という「場」が一般の「裁判」とは異なるものであったことくらいは知っている。 ...

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