はてなキーワード: 橋本萬太郎とは
実はいまから十数年前,地名の仮名書き論が国語審議会において大きく取り上げられた。地名の場合も読めない字があっては困る,地名を仮名書きにすればだれでも読めるではないかという議論がその根拠であった。
地名の仮名書きは結局,多分郵政省方面からの反対によってつぶれたのであろうと推察している。
しかし,これは単なる地名だけの問題ではなくて,その裏には人の名字も仮名書きにしようという明らかな意図があったと思う。名字をいきなり仮名書きにすることは非常に抵抗が多いから,まず差し当たり地名でいこう,地名が成功したら,次は名字にいこう,名字にいったら今度は名前もということではなかったかと思う。
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/13/sokai103/07.html
実は,日本語の表記にはそういう不思議なことがある。これは本来漢字が持っている宿命であるが,結局概念を表して,読み方は各自好きなようにしなさいということが実は漢字の本来の姿であったのだということを,橋本萬太郎という漢字学者が,このごろ声を大にして言っている。
つまり,字形で登録されて,その登録が漢字で行われていれば,それはどう読んだって構わない。この字がこの人をアイデンティファイするものだというふうにしている。名前とはそういうものだという哲学が戸籍をそうさせている
昔は,すべての人が名前を持っている必要はなかった。民衆は生きていることで十分で名前なんか必要はなかった。上流は名前をちゃんと持っていた。その場合には名前が立派な字で書かれるということが必要だから,音の形ということではなくて,字の形でその人を決める,それをどう読むかは自由だ,というところに楽しみもあった
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/13/sokai106/03.html
https://www.bunka.go.jp/kokugo_nihongo/sisaku/joho/joho/kakuki/13/sokai104/03.html