はてなキーワード: 心拍とは
夫は、別に子供が欲しいわけではない。どちらでもいいと言っている。
それは嘘でも思いやりでもなく、本当に、心底どちらでもいいらしい。
できたら楽しいと思うけど、夫婦二人でも楽しいし、僕はそれでいい。
君がどうしても欲しいなら不妊治療するのは構わないし協力するけど、
3回体外受精をして、3回目で着床したものの、8週、心拍確認後に流産。
ホルモン補充でうつっぽくなる体質らしく、1年間常に後ろ向きな精神状態。
正直、これを続けるのはかなり気が重いが、可能性がある以上、もう少し取り組まないと、後で後悔しそうだとは思う。
そんな状態でも仕事を続けていられるのは、私がフリーに近い仕事だから。
ペースを落としても、今のところ誰にも迷惑かけない。
もっと集中して取り組みたいことがある。
その間、精神的にも肉体的にも負担が重く、仕事はおろそかになっていいのか?
それとも、もう子供を持つことはあきらめて治療をやめ、仕事に集中するのか?
2人の子のはずだけど、夫の意思はどこにもないので、私が決めるしかない。
もし、彼が「子供が欲しい」とひとこと言ってくれれば、1年といわず2年でも3年でも頑張れるのに、と思う。
でも、そんなこと強制できないし、それは仕方がない。
自然に授かれば考える必要などなかったこの問いを、突きつけられている。
一人は自分そのもの、もう一人は自分がネットゲームで知り合って、オフ会とかであった人。
あ、付き合うってのは男女の交わりじゃなくて男同士が単に飲み会とかで騒いでる風なやつなので。
自分がもう一人の前から失踪したのは、単純に生活環境の変化で、その人と遊ぶ時間がとれなくなってしまったから。ネットゲームもあまりやらなくなったし、ゲームでの交流に使われるIRCチャットシステムにもログインしなくなったから、もう連絡手段はケータイくらいしかなかった。
自分はネットでの関係はそれとして置いておいたので、自分の身を晒していても、実名や住所がわからないならすっと消えられるものだと思っていたし、実際何回かケータイに電話がかかってきたけど、それもとるのが億劫なほど忙しくなってしまったので、自分は彼の前から失踪したことになっているのだろう。ただ、忙しかっただけで、別に人生が大変で嫌になるということではなかった。
その人はゲーム内で割と付き合いの広いほうで、オフ会にも割と良く行くようであった。それでまあ、飲み会とかで自分らの話をするわけだけど、彼は会うたびに人生として危機的な状況に置かれているということを自覚しつつも、なんとかやっていくという感じだった。
最後に会った後、彼は付き合っていた彼女と結婚したー、というところまでは覚えていた。その後は自分の失踪によりよくわからなくなっていた。
それから相当時がたって先月、久しぶりに昔のことを思い出して、彼のSNSプロフィールを見てみた。
プロフィールが悲痛なものに。さらに、かなり前から日記が止まっている。いなくなってしまった。
実際は、自分がそうであったように、ゲームをやらなくなったから、こっち方面の関係はリセットをかけているだけなのかもしれない。ただそうであっても、実際に会った人の連絡が無くなって、どうなっているかわからないということが、これだけ心拍を上げることがわかって驚いた。
ゆるい関係、実際にいろんな助けができるかわからない関係、ハンドルネームで呼び合う関係でもこれなのだから。これからの人生で、もっと強い関係になったひとがこうなったらどうなるんだろうか。自分は平常を保っていられるだろうか。
こういうのに似た話は自分の記憶に会って、題材として増田に投げ込むには陳腐だなとは思うんだけど、情動に任せてしまったのでご容赦を。
不妊治療の病院に通って、二人目の待望の妊娠に大喜びでした。しかし6週の頃に赤ちゃんの姿は見えたけど心拍が微妙です、と言われ、半分覚悟してたけど、半分は次の週には元気な心拍が確認できるんじゃないかと思ってました。でも7週になっても心拍は確認できず赤ちゃんも大きくなっておらず、8週になっても同じ状態で、もうダメだと思っても無駄につわりが続くのがしんどくて、ネットで流産の掻爬手術のことを調べたりして恐ろしかったです。流産前は流産の陣痛並みの痛さや大量出血、もしくは掻爬手術が怖くてたまりませんでした。
でも結果的に生理痛の範囲内の痛さと出血で自然に流れてしまいました。
赤ちゃんが意外にも思ったよりあっさり流れてしまったので、主人にも妊娠を伝えた両親にも「大丈夫だよ」と言ってました。事実身体は生理のような痛さとダルさ程度で元気でした。仕事も休まず行けました。
流れて3日目くらいにブログやってる友人の二人目妊娠をブログで知りました。ちょうど同じくらいの週数で正直かなり落ち込みました。順調に妊娠が継続している友人のことをまったく喜べませんでした。5日目くらいに別の友人から二人目出産の報告が来て、以前から妊娠は知ってたしさすがに出産となるとあまり自分とかぶることもなく素直に「おめでとう」と言えたしその3日後には病院に赤ちゃんを見に行きました。
新生児室のちいさな生まれたての赤ちゃんたちも心からかわいく思えました。ちょうど彼女の妹も来てて、妹も第二子妊娠中で小柄なので7ヶ月のお腹がだいぶ大きく見えました。病院にいたときは、ほんとにいやな気持ちはありませんでした。
でも、家に帰って、子どもをお昼寝させて、ひとりで夕ご飯の準備をしているときに急にお腹に宿った赤ちゃんがいなくなってしまったことの喪失感と悲しみが押し寄せて、いままで泣けなかった分の涙がはらはらはらはら止まらなくなりました。私も来年の春には赤ちゃんが生まれるはずだったのに、私も順調だったらあんなふうにお腹が大きくなるはずだったのに、エコーにうつった赤ちゃんは小さかったけれど確実に姿が見えたのに、感傷的になっても仕方ないと分かっているのに、ひとりになって、ようやく実感とともに涙が出ました。神様、赤ちゃんを返して。
流産した人たちは「赤ちゃんは忘れ物を取りに行ったんだと思います。それでまた私のお腹に帰って来るんだよね」という言い方をしますが、いまになってようやく共感します。そう思うことで少しだけ救われる気がします。流産の確率は6-7回の妊娠に対して1回(化学流産含め)、よくあることなんだと知っていたけどよもや私が流産するとは思わなかったというのが本音。
子どもがいるので休日は公園に行ったりするけど、公園はたいてい80%子連れのうえに妊婦率が高いのでしばらく行く気分になれません。妊婦さんを目にするとやはりまだ辛いです。心が狭いのは承知で妊婦友達とはしばらくこちらから連絡することはしません。ママ友とはもともと第一子つながりの人が多いのでこのまま縁が切れても構わないといまは思います。
時間が過ぎて、早く立ち直れますように。