はてなキーワード: 山谷とは
在特会とかいわゆる「行動する保守」がいろいろな所でデモや抗議活動をしているといっつも思う。
朝鮮学校に押しかけて騒ぎたてるぐらいなら、表現規制に反対しやがれ!!と。
どうせ、在特会の会員のネトウヨだろ!? 多くは児ポ法反対なんだろ!?
少なくとも、桜井誠がこの記事で書いている内容は非常にまとも。
コメント欄に「高市、山谷両議員も規制推進派なんですよね。」と書き込まれても、そのコメントを書いた人が非難された様子はない。
在特会系のネトウヨから見れば、保坂展人氏はあまりにも反日的なはずなのに、保坂氏を持ち上げても非難されない。
俺にはそれが異様に思える。
長野の聖火リレーの時の騒動では、ネトウヨは「警察は中国人に甘い!!」と主張していたしな。
実際に、中国人が暴行したのを警察が無視したとする動画も投稿されてたしな。
朝鮮学校が在特会を訴えたそうだから、少なくとも事情聴取はされるだろう。
在特会の主張通り、朝鮮学校が公園を不法占拠していたとしても、立件とは無関係だしな。
事実、児ポ法反対は「行動する保守」の団体の街宣活動のネタにされてるしな。
デモを批判する相手と暴力沙汰を起こしたり、朝鮮学校に殴りこんだりする暇があったら、
さっさと表現規制に反対しやがれ!!
「前田雅英を日本から叩き出せ!!」とか「APP研を日本から叩き出せ!!」とか言いやがれ!!
ラディカル・フェミニズムなんか、ジェンダーフリーをもっと極端にしたヤツだからもっと攻撃してもいいんだぞ!!
中国共産党は、ポルノ規制を口実に言論弾圧やネット検閲をしているそうだしな!!
これはリテラシーの問題なのか?
平均してきてくれるならいいんだよ。山谷があるから問題なんだ。
たとえば、一度に100人乗れる電車が1日に100本走っているから10000人乗れるね、ってことにはならない。
朝晩の通勤通学時間には利用が集中するだろうし、始発終電の時間には空いているだろう。
提供側としては、ピークを乗り切れるように編成するのが大事なわけだ。
サーバにしても同じこと。
たぶん平均値は楽にクリアできると思うよ。でも重要なのは最大値なわけで。
更新間隔が2分ってことは、アクセスが重なる可能性もそりゃもう高くなるわけよ。
そのRSSリーダーのせいでほかの利用者に迷惑をかけるなら、はじいて負荷下げるのもわかるなあ。
お前は何度も言われないと理解出来ない馬鹿なのか。いい加減にしろ。
ケンカ、居眠り、床に座りこむ…。声をかけるとよく殴られた」と振り返る。
女性から「怖い」いう苦情が殺到したことから設置したという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080830-00000909-san-soci
「酔った勢いで(他の利用者に)絡んでくる」という事件がしばしば発生していたのである。加えて、三、四、五階の書架に向かうには
エレベーターを利用しなければならず、女性から「山谷の人たちと一緒にエレベーターに閉じ込められる」ことの「不安感が訴えられる」
こともあったという。また、児童の利用に関しては、児童から直接ではなく、「安心して子供を送り出せない図書館である」という
母親たちからの指摘も多く含まれていた。ある職員は、近くの小学校では「石浜図書館には行かないようにという指導もあった」
と語っている。
http://www.okiu.ac.jp/sogobunka/nihonbunka/syamaguchi/sanya.html
真っ昼間から酒かっ食らって人様に絡んでる奴らが生存の危機?笑わせるなよ。
いい加減現実見ろ。お前の想像するような自分の性善を証明してくれるかのような
都合の良い「綺麗な」ホームレスばかりじゃないし、でなきゃ社会問題化なんて最初からせんのよ。
>ケンカ、居眠り、床に座りこむ…。声をかけるとよく殴られた」と振り返る。
>女性から「怖い」いう苦情が殺到したことから設置したという。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080830-00000909-san-soci
>「酔った勢いで(他の利用者に)絡んでくる」という事件がしばしば発生していたのである。加えて、三、四、五階の書架に向かうには
>エレベーターを利用しなければならず、女性から「山谷の人たちと一緒にエレベーターに閉じ込められる」ことの「不安感が訴えられる」
>こともあったという。また、児童の利用に関しては、児童から直接ではなく、「安心して子供を送り出せない図書館である」という
>母親たちからの指摘も多く含まれていた。ある職員は、近くの小学校では「石浜図書館には行かないようにという指導もあった」
>と語っている。
http://www.okiu.ac.jp/sogobunka/nihonbunka/syamaguchi/sanya.html
→死にたく無ければ素人がマンホールに潜るべきではない、ということは大阪の子なら誰でも知っています。
2.キャベツ焼きなるものがあるらしい
→一銭洋食とも言う。
3.声がでかい
→当たり前ですが、でかい声の人はたいていお節介でおまけに目立ちます。ひっそりとした大阪人は目立ちません。少しマジレスすると、関西弁ネイティブはのどの中の声を出す位置が違いますからそのせいもあるでしょう。
4.あいりん地区をなぜそんなに怖がるのか
→幅?
6.カタカナやひらがなの名前の駅が多い
→由緒あるワールドシティですから。
7.スーパーでもまけてくれ言う
→言いませんよ。しょうもないこと言う時間の方が惜しいじゃないですか。ただ、マジレスすると正札取引の越後屋が定着した東京の方が世界的にみれば異端で、値切り交渉のある方がグローバルスタンダードだと思いますよ。
http://www12.ocn.ne.jp/~history/topics/trivia/040707.html
→淀川です。ところで神奈川と東京、埼玉と東京、千葉と東京、そして23区とそれ以外の間にはやはり結界が?
→多分NYでも手に入らないと思いますが、NYで自分がそれ言うところを想像してみてください。マジレスすると、どれもそれなりには手に入りますけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20070818135658
http://anond.hatelabo.jp/20070818141853
旧来型の貧乏
・自分が住んでいる地域とか、血縁とか、性別なんかで貧乏かどうかが決まっちゃう貧乏。
生まれたときから親兄弟親戚近所一同皆負けてます、みたいなもの。
部落とか、母子家庭とか、田舎に住んでいるかとか。生来的なもので決まっちゃう。
あとインフラ格差の解消とか。下水道ありません、とか、電車通ってません、近所に病院ありません、とか。
その解決の道具がお金(土木系公共事業・ばら撒き行政)と教育。
田舎や貧乏人の子供は家の手伝いで小学校までしか行かせてもらえなかった分、就ける職業も限られてた。そのために夜間中学なんてあったし。女が学問するなんて!って驚かれた時代。
でも、昔は学歴小学校卒非モテニートでも親の家業や農業を継げばよかったし、自分の家のクラスや住んでいる地域に合わせて勝手に決められた見合いで結婚できた。後天的なコミュニケーション能力不足なんて関係ない。とにかく家の面子を守ることと嫁という労働者が欲しいということ。離婚なんてタブー。嫁が子供が産めないという理由で離縁されることはあった。そこに職業選択の自由と結婚の自由はないけど。
それと長男は親との同居が当たり前。女は姑と同居が当たり前。介護に嫌気が差して座敷老人なんて問題もあった。
『ALWAYS三丁目の夕日』みたいな貧乏があっても皆幸せだったのは、『皆いっしょ』に貧乏で皆一緒に豊かになろうとがんばっていたから。
新しい貧乏
・『中流家庭』に育ったはずなのに、ある日突然貧乏。またはいつのまにか貧乏。
生まれたときは一応中流(中の上、中の中、中の下)だったけど、いつの間にか自分ひとり負けてましたもう這い上がれません、みたいなもの。
雇用の流動化、核家族化、少子高齢化、消費社会化による行き過ぎた個人主義、グローバリゼーションと自己責任。
ばら撒きしようにも、今の家族の単位が小さくなりすぎた結果(中年独身男女も含む)、ばら撒く家族が増えてしまったことと、独居老人が多すぎることで、ばら撒けるお金に限界が見えた。
だから、国に頼る前にもっと皆繋がってください、支えあってください、自分の人生自己責任でということになる。
繋がれないと、老人孤独死。中年はへたすりゃ自殺。自殺率最悪。職のコネがないローン抱えた中年の親父が自殺。息子勉強して大学行ってサラリーマンになっても、同じサラリーマンの親自殺。自分の職業、労働単価の安い海外に外注で自分の職がなくなっちゃうかも。自分の職がいつ職業ごとなくなるかわからない。学問よりもコミュ能力。英語だのファシリテーションだのコーチングだの。
ニートの親はサラリーマン。自分が継げる先代から脈々と続く家業なんてない。地域社会の商店は大型ショッピングモールが出来てからボロボロ。工場は単価の安い中国に出ちゃった。農業は、海外から輸入作物の価格に影響されて、国内農作物の価格が安くなりすぎるもんで、補助金に頼らないと生活できない。でも国は地方にばら撒ける金もうないよ。
それと、昔は正社員の職しかなかったけど、今は契約社員とか、派遣とか、バイトとか、いつ首切られて孤立するかわからない立場の職ばっか。フリータになりやすい。雇用が流動化して職場すぐ変るから人間関係も不安定。山谷とか釜が崎とかに集っていた日雇い労働者も高齢化。若い日雇い労働者はネカフェの個室に一人きり。
こういうときに必要なのは、お金ばら撒きや職業教育よりも、人とのゆるい繋がり(コネ)と根拠なき自信。一旦繋がりが切れると対人関係の自信もなくなって二度と繋がれない。皆問題抱えためんどくさい他人と付き合いたくない。昔は地縁や血縁で面倒くさくても嫌々人と繋がってたけど。それで、格差っていうのは世間にある幸せコミュニティには自分は二度と入れないんだっていう絶望みたいなもの。ちがう?うーん、どうなろう?
http://www.mhlw.go.jp/houdou/2007/06/h0628-1a.html
で、家族っていうのは相互扶助社会の最小単位。昔は伝統や世間体を理由にして嫌でも家族と付き合う、っていう前提があった(その代わり家族の中でどんなドロドロが起こっているかわからない。嫁姑問題とか親から子への体罰とか当たり前。貧乏な家の子供は小さな大人であり労働力なので、ひっぱたいてでも働かせる。中流以上の家庭の子供は、親の面子そのものであり大事な家を支える跡取りだから、親の敷いたレールからちょっとでも外れたら親とドロドロの喧嘩)。
そういう前提が日本が消費社会化するにつれて変った。まず、日本の住宅に団地というものが登場して、核家族が爆発的に増えた。核家族っていうのは1970年代のアメリカンホームドラマを模倣したもの。家電製品に囲まれた消費社会的な家族の始まり。そこから消費社会的な自由が進行して、お父さん仕事とオタク趣味、お母さんも仕事と女友達とお買い物、子供はモバゲーで皆バラバラな家族の出来上がり。一人に一台携帯電話持ってるから話したい人と話せる一方で、話したくない人とは絶対に話さないということも出来る。最近の家族はLDKの持ち家やマンションに一人一室の個室を割り振られて住んでるし。昔ながらの障子や襖で仕切られているだけのプライバシーの無い部屋なんてありえない。だから皆付き合いたくない人とは絶対に付き合わない。付き合っても嫌なものは見ない。というか無関心。でも、おばあちゃん、おじいちゃんはどこ行った?親に事情のある子供だって、昔は親戚に養子に出されたのに今は施設直行。
そんな人付き合いの伝統や義務が無くなって人間関係が流動化した時代に、一旦自信の無さの塊になって、人付き合いに自信がなくなるとあっという間に孤立。行政はお金が無く、制度は家族の相互扶助の前提を崩そうとしないのに、「家族が嫌いでも、それでもやっぱり家族なのだから支えあうのは当たり前」という大義名分を主張することが、消費社会的な自由を阻害しているということを皆直感的にわかっているから中々主張できない。そして地縁、血縁、義理や情などで、面倒くさいんだけど義務的に構ってくれる人はどんどん少なくなり、他人の無関心に囲まれて消えるように自殺する。
これから日本人は、縁に縛られて毎日同じ他人といがみ合う苦しみと、生まれたときから将来が見えてしまっている不条理と共に生きることを選ぶのか。それとも、縁から自由になりすぎて高速で自分の前を通り過ぎる周りに無関心になるむなしさと、不安定な将来への漠然とした不安と共に生きることを選ぶのか。今の時代はそれらの選択の分岐点なのか、それとも折衷の機会なのか。国が行うシスティマティックなばら撒き福祉が大事なのは当たり前。けれどもそれだけじゃなくて、自分が嫌いな人や嫌いな世代に対しても、関心を持って扶助しあうような相互扶助社会も必要なはずなのにね。皆自分のことだけを大事にして生きてきたわけでは必ずしもなく、お互いに面倒くさいことを求めない、嫌なことはしなくていい、貴方は自由に生きていい、という優しさと気遣いを持って生きてきただけなのに。
だから格差社会っていうのは、世代間や地縁血縁の相互扶助と承認が機能しなくなった、今の核家族・孤立家族といった家族社会の拡大版だと思う。
山谷えり子首相補佐官(教育担当)は19日、社会の啓発広告を行っている公共広告機構(AC)と、広告の苦情相談に応じる日本広告審査機構(JARO)を訪れ、性や暴力などの有害情報から子どもを守る対策への協力を求めた。具体的には、テレビコマーシャルに有害情報が含まれているかどうかの審査を強化するほかコマーシャルの内容に応じて放送時間を配慮するなど広告の放映基準を策定することも想定している。
山谷氏は、政府の教育再生会議の事務局長の立場で政府の方針に理解を要請。訪問先のJAROで山谷氏は「不用意な有害情報が子供の心を傷つけ犯罪を助長する」と指摘。JARO側は「検討したい」と応じた。
傷ついているのは、子どもではなく、ホンネとタテマエを使い分ける大人たちのプライドの方だ。
結婚していても風俗に行って性を楽しむ。昼は教育者でも夜には女や男を買っている。そういうオトナの現実を子どもに知られることによって、性的道徳を教えている親の権威は失墜し、権威に依存する一部の親たちのプライドは傷つく。
恋愛やセックスの仕方、風俗の楽しみ方を子どもといっしょに話すためにはそれなりの人格の成長が必要だ。
だが、人格的に未成熟な親たちは、自分の人格で対話することができない。だから、そういう未熟なオトナは権威やルールに依存する。
だから山谷えり子たちはルールやモラルや権威を声高に訴えるのではないか。
というわけで、山谷おばさんにオススメの健全なテレビコマーシャルはコレだ!
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://www.youtube.com/watch?v=MMIhT6H0T9Y