はてなキーワード: 劇場とは
食事に行ったスパゲティ屋で、隣の席でいきなりタバコ吸い出したオッサンがいた。きぶんわるい。
まー、法律にしても禁煙しろという規定なわけじゃないのだからしょうがないのだけど(下記参照)、飲み屋じゃないんだから、せめて灰皿を各テーブルに配置済みと言う、吸う人優先なのはやめて欲しい。
完全に分煙しろとは言わないが……、席をある程度分けるか、要求されなければ灰皿を出さないくらいの店にして欲しいな。
http://www.ron.gr.jp/law/law/kenko_zo.htm
第五章 特定給食施設等
第二節 受動喫煙の防止
第二十五条 学校、体育館、病院、劇場、観覧場、集会場、展示場、百貨店、事務所、官公庁施設、飲食店その他の多数の者が利用する施設を管理する者は、これらを利用する者について、受動喫煙(室内又はこれに準ずる環境において、他人のたばこの煙を吸わされることをいう。)を防止するために必要な措置を講ずるように努めなければならない。
分裂勘違い君劇場を好きでよく見てる。かなりたくさんはてブされるページ。ふとリンク元を見ると、テキストサイトみたいなページからのアクセスがかなり多いことに気づいた。
これらのページからのアクセスが千件も二千件もあるのが信じられないんだけど?リンクと一言寸評くらいで、お世辞にも見やすくはないし。ようするに誰か他の人のブックマークみたいなページを、そんなにたくさんの人が見るんかいな?はてブのホットエントリでいいんじゃないの?
と思ったがはてブは衆愚とか言われる所以、自分の好みに合った良質なリンクを大量にリストアップしてくれる便利サイトってことなのかね。
これを呼んで結構ショックを受けた。今まで常識だと思って疑わなかったことが実は必要ないかもしれないということ。自分は風呂は入らず朝シャン生活なので、ひとまずシャンプーを廃止してみた。もともと癖っ毛でパサパサな髪の毛なのだが、シャンプーを使わなくしてすぐ、髪の毛がしっとりしてきた気がする。いい感じかもしれない。このまましばらく、毛が生え変わるくらいまで試してみようと思う。
みなさんの体は何で出来ているでしょうか。
はい、お肉で出来ていますね。
本来、お肉以外のものを摂取する必要はないんです。
どんな人間も肉と骨と皮で出来ているでしょう?
肉と骨と皮さえ摂取すれば、それ以外には何もいらないんですよ。
みなさん、それをわかってないんですよね。
やれ身体に悪いだの、大豆のほうが美味しいだの…。
ちょっと考えればわかることじゃないですか。
大豆ばっかり食べているとモヤシになってしまいますよ。
分裂勘違い君劇場 - 分裂勘違い君劇場は、データねつ造疑惑発覚により閉館になりました。長い間ありがとうございました。
大豆農家の提灯ブロガーとして活動していた分裂勘違い君劇場もついに閉鎖しました。
しかし、彼が食肉業界に与えた損害を考えると、「閉鎖します」の一言で済ませられるものではありません。
これまで間違った言説を広めてきた責任を本当に取りたいのなら、
一刻も早くブログを再開して、今度は肉食の素晴らしさを訴えてほしいものですね。
はてブ衆愚の代名詞だったGIGAZINEも、最近は一時の勢いを失ってきたよね。
代わって台頭したのが、「痛いニュース」と「分裂勘違い君劇場」の2つだ。
性質だけを見れば、よりGIGAZINEに近いのは痛いニュースだろうね。
とにかく恐ろしく偏向しているところが高得点だ。
痛いニュースをブクマしてるってだけで変なレッテルを張られそうだよ。
これは「GIGAZINEをブクマしてる奴らは衆愚」なんて言われていたのに似ていると思うんだけど、どうかな。
最近の分裂勘違い君劇場は、エントリ生産力がアップしているのが好印象。
それでいて1エントリあたりのuser数は以前とほとんど変わっていない。
user数だけなら、GIGAZINEの後継者は分裂勘違い君劇場だよね。
でもd:id:fromdusktildawnって長すぎるな。
なに、この劇場型自作自演くん。死ねばいいのに。何もわかっちゃいない。頭が悪いと何も考えずに行動できるんだろうな、あーああーなんてうらやましいw。
駅という場所柄、私の仕事上の客ではない、単なる通りすがりの利用客から、道を尋ねられることがよくある。
しかし、それらは大抵、駅構内の地図や、天井からぶらさがっている案内板を見ればわかるものがほとんどだ。
私はそういう人間のことを特に腹立たしく思う。何故人に聞く前に自分で調べようと思わないのか。
中には、前売り券を握りしめて、近所にある大きな劇場の場所を聞く人もいる。前売り券まで持っているのだから、今日はその公演を見る予定は前から決まっていたはずだ。であれば、何故下調べをしておかないのか。
ところで、この駅には改札口が3つある。しかし、どれも大きな改札口であり、入り組んだところにポツンと改札口あるようなものでもない。「改札口が3つもある」というよりは、大きなターミナル駅であるにも関わらず「改札口が3つしかない」という考え方のほうが自然だと思っている。
ところが、これもよくあるケースなのだが、「ここ以外に改札ってあるの?」と聞いてくる人が多い。待ち合わせをしているんだろうが、では何故待ち合わせをするにも関わらず、どこの改札にするか具体的に指定できないのだろうか。田舎の無人駅ではあるまいし、一つの駅に複数の改札があるのは常識の範疇といっても過言ではない。
なぜこういった人はすぐ他人に頼ろうとするのか。駅員に聞くならともかく、私は駅を職場にしている人間で、こういう人の道案内は少なくとも私の仕事ではないし、中にはこういう人の相手をしている間に、私たちの営業上のロスをしていることもある。そもそも私たちにとっては迷惑この上ないものなのだが、それを知ってか知らずか、道を聞いてくる人が多すぎる。
日本の識字率は世界一だという文章をどこかで読んだが、これでは地図も案内板も役立たずだ。文字は読めても、読もうとしない。かつて私は、親に「わからないことがあったら人に聞く前に辞書を引け」と言われて育ったが、その大切さが最近よく理解できる。きっとこういう人たちはそういう育ち方をしなかったのだろう。愚かなことだ。
(http://anond.hatelabo.jp/20070112140856)
カルテル・トラストといった「部外者を排除する・寄せ付けない」ためのシステムとしては、まごう事なき『悪』である。したがって独占禁止法でも、犯罪として規定されている。これは現実である。
http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/refer/200309_632/063201.pdf
ところで文献をウェブで検索してみると、やはりそれについて論じたレポート(go.jpドメイン!)があった。高速道路を通したりトンネルを掘ったり、あるいは貯水ダムを造るなどのよほどの大工事に関しては、ゼネコンのほうが様々なノウハウも蓄積しているであろうからそれは別格の部類として、中規模以下の工事(たとえば山地・奥地での道路敷設や舗装工事・則面の補強など)で地元業者以外が応札する事は、およそ稀なケースである。
そもそも地方部の小規模な工事では、大都市圏のそれとは違って土木業者の数自体がさほど多くは無いという事情もあって、応札する業者の数も自然と絞られてくる。そのような場合、土建業者が地域の経済・雇用・その他に与える影響としては、たとえ小額の工事であろうとも、地元では何かと語られる部分が多いのも、都会からは見えない現実のひとつである。
そして現状では、たとえば落札金額の率が予定価格の95%以上というケースが多い結果から談合が疑われる、という事らしい。もっとも冷静に考えてみれば、人件費やセメント代・あるいは土木機器のリース料という数々の要因を個々にチェックしていけば、おのずと求まる『想定工費』というものは、どこかに存在するはずである。それを大幅に割り込む価格が入札で提示される場合(※)、逆にその後の便宜を行政側とで図る可能性があるなど疑わしい関係がチェックできるようになっていなければ、価格の『叩きあい』やダンピング・そして最悪のケースでは『手抜き工事』を招く要因として、入札システムの負の面が機能してしまう恐れが無いとは言えない。
(その典型的な例が、あのシンドラー製エレベータに続発した、一連の事故ではなかったか?)
本来、入札システムが導入される目的は、「コストに“疎い”行政側が、業者の言い値で『高い物』を売り付けられる」というデメリットを避けるためである。ゆえに、業者側の一定の利益を確保する目的としての談合は、その後の「特定業者への“恩義”」と「立候補者への有形・無形の支援」とも絡み、“癒着”として厳しく追及されることとなる。
だが一方で、工事の内容に関して言うなら「安かろう・悪かろう」の懸念が生じるのは事実である。どんな技術であっても、クオリティを確保するには、それを施す者に対して『一定のコスト』を払わねばならない。そしてその場合のコストが、本当に適正な金額なのかどうかを計るような指標が発見できれば問題ないのだろうが、厳正な基準となるものを見つけるのはおよそ不可能に近い。ゆえにやむなく、「入札」という形で工事全体の価格を競争させるしかないわけだが、この辺りに人間社会全体としての一種の限界を見る思いがする。
そしてそういった入札は、上はポスティングシステムにおけるプロ野球選手の移籍から、下は派遣社員の登録・賃金の決定システムにも関わってくるわけで、やや乱暴に言ってしまうなら『談合を非難するということは、自分も労働市場の下で選別される事を肯定する』ことに繋がってくるわけである。
ただもちろん、それだけでは「労働者としての人権」がないがしろにされかねないわけで(実際に『偽装派遣』などで裁判も起こっている)、労働者としての最低賃金や労働三権といった形での発言権は、別の面から補強されなければならない。このあたりに踏み込むとなると、『分裂勘違い君劇場』さんの筆力に劣る自分としては、お茶を濁す形で話をまとめるしかなくなってくるのが口惜しい。
分裂勘違い君劇場 - 社員全員がホワイトカラーエグゼンプションの会社で働いてたことがあります
ホワエグ社でなら働いていたことがあります。
3教科以上勉強するのが億劫だった私はマーチクラスの大学に入り卒業しました。
親や親戚など身近な人でメーカーの重役をしている人が多く、実情を見聞きしていたのでメーカーに魅力を感じず100名前後の中小企業に就職しました。
大手で補欠選手のまま数年も過ごすのが嫌だったのです。
ホワエグ社は人材が常に不足しているので、それなりに使える面を上に見せてあげるだけで即戦力として現場に投入され実績をあげることができました。
何十としれない同僚たちの戦死を経験し私も年をとり二十代後半になりました。
それぐらいになると自分の仕事をお客さんがいくら支払っているのかもよく見えます。
会社がそれを幾らで売って、途中で幾らピンハネされているのかも、必要経費がいくらかかるのかも把握しているつもりです。
会社の規模も知れているので会社の台所状況も手に取るようにわかります。
社員に払える報酬の限界も計算できます。
残業代は事実上ついたことがありませんでしたが、27歳の頃には年収は400万円程度になりました。
一方大手に勤めた仲間は、30歳前後にしてようやく補欠からレギュラーになりだし始めました。地方勤務が本社勤務になったり工場勤務から本社に戻ったり。
残業代もしっかりつくので月収が45万円を超す同期もでてきました。
私のいた会社では40代後半の専門学校卒業の部長に見せてもらった月収が40万円未満でした。私は焦燥感を覚え30歳になる前に独立することにしました。
手に職はついているつもりですが、30歳になった今の給与所得はフリーター並みです。
東大を卒業した後輩はメディアに勤め今年の年収はだいたい800万円(20代)だそうです。それなりの頭と忍耐力を持ち合わせているのなら勉強することにより得られる対価としてはどうでしょうか?
雇われの身なのに雇う側の責任だけ負わされる上場企業の社長、役員や、時代が変われば手が後ろにまわるかもしれない財務担当。廃止になりそうな省庁の官僚などは学歴に関係なく報われない気がします。
76世代は学歴とも報酬とも無関係ないところで市役所に勤めたやつが一番勝ちじゃないですか?5年後に逆襲します。
普段は世間に無関心でいるのに、たまに「負けたくねぇーっ」と思うときがある。
2年ほど前、人を見て異様に羨ましく思った。
その人というのが、まぁ知り合いなわけで、元○大院生で、就職のときに地元に戻ってきたのかどうかは知らんけど、偶然地下鉄で出くわしたわけです。
えらいカワイイ嫁さんつれて、いや、まぁそっちはどうでもいいのだけど、すでにかなり交通の便のいい場所都会な場所に家を買ったとかなんとか。
なんだよこの差は、と。
まぁ僕がフラフラしてる間に、彼は僕なんかが想像も及ばないような研鑽を積んだに違いないのだろうから納得もできるのだが、やはりやるせないものはやるせない。
そう人を羨みつつも、やはり自分がその羨望の対象になりたいなんて俗っぽい欲はあって、しかしながら苦労している様はあまり人に見られたくないなぁ、なんて思っている。
結局のところ、僕は楽して裕福な生活を手に入れたいわけで、ぶっちゃけ怠惰なんです。怠惰。
その彼が死に物狂いの努力をしたかどうかは知らないけど、彼はものすごく頭の切れる人物なので成果につながらない努力はしてないだろうし、気転も利くので簡単に不利な状況を挽回するのだろうし、ひょっとしたら苦労らしい苦労はしていないのかもしれない。
僕のような凡人というかダメダメ君とは違って、優秀な彼はいろいろ実になることを身に付けつつ生きて行くのだなぁ、と思ったり。僕はあまり何か見についたような感じもしない。プログラミングなんて誰でもできるし。
ここまで約27年間ダメダメ君を続けていると、さすがにこの自分という人格では一生成功しないのではないかという危惧もあり…というか薄々、僕が「僕」である限りは成功しないのだろう。
飛躍しまくるが、成功するためには「僕」では無理というなら「僕」でなければいいじゃん、ということになって要は別人になってしまえというわけで。
ダメダメな「僕」と別人になるということは言い換えると「僕」に対して自殺宣言するようなもので、大した成果も残せないこの自分という人間にそこまでの未練はあまりないと思っているのだけど、やはりこの27年間のしがらみというか怨念が成仏できないことになる。
「この27年間の人生が報われたい」と。
まぁどうせ自分自身がスゴイ人間でないことは僕自身が誰よりも知っているし、だったら別に報われなくてもいーじゃん、とは頭で考えてても、やはり今の自分に愛着というものがありまして。
でもいきなり人間を変えるなんて激しくストレスが伴う上に一から再構築とか積み重ねというものが無くなってしまうわけでやはり効率が悪い。
あぁ、何を言っているんだ俺は。人間を変えられるわけなんてないのに。
まぁそうなると現実的なのは欠点を修正し、長所を伸ばして、(他分野の)武器を増やすなんてことがセオリーとか王道とか確実とか言われるんだけど、なんで僕はそれができない。やはり怠惰か怠惰か怠惰か。
で、怠惰ということは裏を返せば欲が無いということなんかねぇ、と思いつつ、やっぱ俺って強烈に何かをやりたいとか欲しいとか思うことなんてねぇーや、と再認識。
某心理学セミナーに行った時でも「もし願いが全部叶うなら、やりたい事は何?」と聞かれたときでも全然思い浮かべることができず「地球にいいことをしたい」とかガラにもない事を言い出したエコな自分を思い出したり。
実際、自分が権力者やとてつもない資産家になった暁には「権力をフルに使って地球温暖化を止めてやるぜ!」とかそりゃー青臭すぎて恥ずかしいことも考えたりしたもんで。
何というか、僕って無欲だね、なんて思ったけどよくよく考えれば世の中の楽しい事とか気持ちいい事を大して知らないからそんな事を言ってるだけで、いろいろ知っちゃうと絶対に「アレもしたい!コレもしたい!」なんて言ってる自分が容易に想像できてしまう。
見識が狭い、楽しみ方を知らない、という問題もあるけど「コレは何が何でもやりてぇ!やらなきゃ死ぬ!」なんて渇望っつーか強烈に望むものなんてものは僕は何一つ無いので、もう家庭を持っちゃったからそこで満足しちゃってるのから、とか思った。そうだ。もう満足しちゃったんだ。
だから漠然と「世の中を良くするのが目標です」なんて思ってもそんなのハナクソ程度のモチベーションにしかならん。死ぬときゃ死ぬし、寿命が来るまでに地球環境が壊滅的になるわけでもなし。
それにそんな目標を達成できたところで射精&失神するほどの快楽を得られるわけでもなし。
あぁ、そうそう。油田を探す山師が巨大油田を掘り当てた時はマジでイッてしまうらしい。そういう快楽。
そんなエキサイティング&エクスタシーとは縁遠い生活をしているので、仕事で歯軋りすることはあっても、興奮することは無く、もしかすると修行僧とかお寺の坊主という感じの生活じゃねぇの、という味気なさに愕然としたり。
欲はとりあえず置いといて、「世の中のために…」とかの「地球のために…」なんて奇麗事満載な行動方針だと人生で痛快な出来事に遭遇することは無いのではないかと。
痛快と言えば『自分を見下した人間に対して「俺は正しかったんだ、ザマァ見ろ」と言う』みたいな雪辱を果たしたり復讐成功したりみたいなドス黒い一面があって、この27年間のうちにこのドス黒い怨念が染み付いてしまって成仏できないのでは、なんてことも思ったり。
あぁ、でもコレって自分自身を証明というか存在意義をアピールしたいという願望なのか。アイデン&テイテイですか。元ネタ知らんけど。
ブロガーは万人によって求められることを自ら欲し、ブックマーカーは万人によって愛されることを自ら望む。かつてはホッテントリを衆愚ならしめるためにGIGAZINEが最も強き大旦那にブクマされたことがあった。今やホッテントリと注目エントリとをアルファブロガーの独占より奪い返すことはつねに進取的なるはてな市民の切実なる要求である。匿名ダイアリーはこの要求に応じそれに励まされて生まれた。それは生命ある不朽のエントリを少数者の見栄と体裁とより解放してはてブトップページにくまなく立たしめはてな市民に伍せしめるであろう。近時大量セルクマの流行を見る。その自作自演の狂態はしばらくおくも、後代にのこすと誇称するエントリがその編集に万全の用意をなしたるか。千古のネタの執筆企図に敬虔の態度を欠かざりしか。さらに通過を許さず読者を繋縛して過去ログの読破を強うるがごとき、はたしてその揚言するWeb2.0のゆえんなりや。吾人は天下のアルファブロガーの声に和してこれをRSS登録するに躊躇するものである。このときにあたって、株式会社はてなは自己の責務のいよいよ重大なるを思い、従来の方針の徹底を期するため、すでに十数年以前より志して来た計画を慎重審議この際断然実行することにした。吾人は範をかの2ちゃんねるにとり、古今東西にわたってWeb2.0論・はてな論・無断リンク禁止論・なぜころ問答等種類のいかんを問わず、いやしくも万人の必読すべき真の古典的価値あるエントリをきわめて簡易なる形式において逐次投稿し、あらゆる人間に須要なる生活向上の釣堀、生活批判の劇場を提供せんと欲する。この匿名ダイアリーはidの表示を排したるがゆえに、読者は自己の欲する時に自己の欲する話題を各個に自由に執筆することができる。うんこ投げに便にして敷居の低きを最主とするがゆえに、顕名を顧みざる内容に至っては厳選最も力を尽くし、従来のはてなコミュニティの特色をますます発揮せしめようとする。この計画たるや世間の一時の投機的なるものと異なり、永遠の事業として吾人は微力を傾倒し、あらゆる犠牲を忍んで今後永久に継続発展せしめ、もって匿名ダイアリーの使命を遺憾なく果たさしめることを期する。はてなを愛しブクマを求むる士の自ら選んでこの挙に参加し、改変ネタとやおいネタとを寄せられることは吾人の熱望するところである。その性質上モヒカン的には最も困難多きこの事業にあえて当たらんとする吾人の志を諒として、その達成のため世のはてな市民とのうるわしきクネクネを期待する。