普段は世間に無関心でいるのに、たまに「負けたくねぇーっ」と思うときがある。
2年ほど前、人を見て異様に羨ましく思った。
その人というのが、まぁ知り合いなわけで、元○大院生で、就職のときに地元に戻ってきたのかどうかは知らんけど、偶然地下鉄で出くわしたわけです。
えらいカワイイ嫁さんつれて、いや、まぁそっちはどうでもいいのだけど、すでにかなり交通の便のいい場所都会な場所に家を買ったとかなんとか。
なんだよこの差は、と。
まぁ僕がフラフラしてる間に、彼は僕なんかが想像も及ばないような研鑽を積んだに違いないのだろうから納得もできるのだが、やはりやるせないものはやるせない。
そう人を羨みつつも、やはり自分がその羨望の対象になりたいなんて俗っぽい欲はあって、しかしながら苦労している様はあまり人に見られたくないなぁ、なんて思っている。
結局のところ、僕は楽して裕福な生活を手に入れたいわけで、ぶっちゃけ怠惰なんです。怠惰。
その彼が死に物狂いの努力をしたかどうかは知らないけど、彼はものすごく頭の切れる人物なので成果につながらない努力はしてないだろうし、気転も利くので簡単に不利な状況を挽回するのだろうし、ひょっとしたら苦労らしい苦労はしていないのかもしれない。
僕のような凡人というかダメダメ君とは違って、優秀な彼はいろいろ実になることを身に付けつつ生きて行くのだなぁ、と思ったり。僕はあまり何か見についたような感じもしない。プログラミングなんて誰でもできるし。
ここまで約27年間ダメダメ君を続けていると、さすがにこの自分という人格では一生成功しないのではないかという危惧もあり…というか薄々、僕が「僕」である限りは成功しないのだろう。
飛躍しまくるが、成功するためには「僕」では無理というなら「僕」でなければいいじゃん、ということになって要は別人になってしまえというわけで。
ダメダメな「僕」と別人になるということは言い換えると「僕」に対して自殺宣言するようなもので、大した成果も残せないこの自分という人間にそこまでの未練はあまりないと思っているのだけど、やはりこの27年間のしがらみというか怨念が成仏できないことになる。
「この27年間の人生が報われたい」と。
まぁどうせ自分自身がスゴイ人間でないことは僕自身が誰よりも知っているし、だったら別に報われなくてもいーじゃん、とは頭で考えてても、やはり今の自分に愛着というものがありまして。
でもいきなり人間を変えるなんて激しくストレスが伴う上に一から再構築とか積み重ねというものが無くなってしまうわけでやはり効率が悪い。
あぁ、何を言っているんだ俺は。人間を変えられるわけなんてないのに。
まぁそうなると現実的なのは欠点を修正し、長所を伸ばして、(他分野の)武器を増やすなんてことがセオリーとか王道とか確実とか言われるんだけど、なんで僕はそれができない。やはり怠惰か怠惰か怠惰か。
で、怠惰ということは裏を返せば欲が無いということなんかねぇ、と思いつつ、やっぱ俺って強烈に何かをやりたいとか欲しいとか思うことなんてねぇーや、と再認識。
某心理学セミナーに行った時でも「もし願いが全部叶うなら、やりたい事は何?」と聞かれたときでも全然思い浮かべることができず「地球にいいことをしたい」とかガラにもない事を言い出したエコな自分を思い出したり。
実際、自分が権力者やとてつもない資産家になった暁には「権力をフルに使って地球温暖化を止めてやるぜ!」とかそりゃー青臭すぎて恥ずかしいことも考えたりしたもんで。
何というか、僕って無欲だね、なんて思ったけどよくよく考えれば世の中の楽しい事とか気持ちいい事を大して知らないからそんな事を言ってるだけで、いろいろ知っちゃうと絶対に「アレもしたい!コレもしたい!」なんて言ってる自分が容易に想像できてしまう。
見識が狭い、楽しみ方を知らない、という問題もあるけど「コレは何が何でもやりてぇ!やらなきゃ死ぬ!」なんて渇望っつーか強烈に望むものなんてものは僕は何一つ無いので、もう家庭を持っちゃったからそこで満足しちゃってるのから、とか思った。そうだ。もう満足しちゃったんだ。
だから漠然と「世の中を良くするのが目標です」なんて思ってもそんなのハナクソ程度のモチベーションにしかならん。死ぬときゃ死ぬし、寿命が来るまでに地球環境が壊滅的になるわけでもなし。
それにそんな目標を達成できたところで射精&失神するほどの快楽を得られるわけでもなし。
あぁ、そうそう。油田を探す山師が巨大油田を掘り当てた時はマジでイッてしまうらしい。そういう快楽。
そんなエキサイティング&エクスタシーとは縁遠い生活をしているので、仕事で歯軋りすることはあっても、興奮することは無く、もしかすると修行僧とかお寺の坊主という感じの生活じゃねぇの、という味気なさに愕然としたり。
欲はとりあえず置いといて、「世の中のために…」とかの「地球のために…」なんて奇麗事満載な行動方針だと人生で痛快な出来事に遭遇することは無いのではないかと。
痛快と言えば『自分を見下した人間に対して「俺は正しかったんだ、ザマァ見ろ」と言う』みたいな雪辱を果たしたり復讐成功したりみたいなドス黒い一面があって、この27年間のうちにこのドス黒い怨念が染み付いてしまって成仏できないのでは、なんてことも思ったり。
あぁ、でもコレって自分自身を証明というか存在意義をアピールしたいという願望なのか。アイデン&テイテイですか。元ネタ知らんけど。