はてなキーワード: 冠婚葬祭とは
母が死んだ。
父は、家族葬にし、葬儀は極力地味にすると決め、親族以外一切連絡しなかった。
父が家族葬に決めたのには理由がある。母と同世代の人は大抵年金生活者だから、気を遣わせて無用な出費をさせないよう、
「極力派手な事はしない。」
と方針を決めていたのだ。
少人数なので、不快な出来事は起きにくいはずだった。
通夜の前日、母方の伯父が生花を出すと言い張り聞かなくなった。その伯父は元町会議員((実は、祖母の連れ子だった母とは直接血は繋がっていない。))。葬儀委員長だった父の弟((近所に住んでいて、私たち家族とは深い付き合いがある。冠婚葬祭に詳しい。))が渋々それを受け入れると、今度は父方の伯父が声を荒げて生花を出すと言い出した。
嫌な雰囲気になった。
翌日、火葬場で母が焼かれた。程なくして、骨を拾う事になった。マイクロバスが用意された。
私たち家族だけだろうと思っていたら、母方の親類が押し寄せるように乗り込んできた。それにつられてか、父方の親類まで乗り込んできた。マイクロバスは、満杯の親類縁者を乗せて火葬場に着いた。
生花にこだわった父方の伯父は、焼却炉を覗き込んでしたり顔で頷いていた。
母方の伯父の一族は、母の骨を見て、
「ほらほら、骨が黒くなってる。あっちも、あっちも。黒いところが病気のところなんだよね。」
とざわめき始めた。
「焼くと、病気だったところの骨が黒ずむ。」という俗説は、私も火葬場に行くたびに聞かされた。時には火葬場の責任者が骨を指して、
「ここが病んでいたところ。」
などと言う事もあった。
しかし、母の病巣は肝臓で、蛋白質主体であるその病巣が800℃以上で1時間30分以上焼かれてその痕跡を残すとは考えられない。
さらに、母が骨に転移などを起こしていなかった事は死の直前に行われた検査で明らかになっている。
しかも、彼らが「黒くなっている。」と騒いでいたのは、淡褐色になった骨髄の部分だった。そこに病巣はない。
生焼けなら可能性はあるが、いつからこのような俗説が流行り始めたのだろう。
親戚はざわめき始めた。
「こりゃあ、痛んだろう。」
「辛かったろうね。」
母は自宅療養だった。癌であるにもかかわらず痛みを一切覚えず、モルヒネを最期まで使わなかった。
父の献身的な介護で、母は快適に過ごしていた。死の6日前まで穏やかだった。笑顔もあった。
医師が何度も「痛みは本当にありませんか?」と聞くのがおかしいと笑った事もあった。
そして、医師が驚くほど母は長く生きた。念のためと入院してすぐに死んでしまった。
何も知らない親類縁者が、2年にも及ぶ父の献身的な介護を見ることもなく、穏やかだった母の生活を見ることもなく、勝手に母を苦しんだ事にし、母は辛かったんだ、不幸だったと言い始めた。
奥歯を噛み締めながら母の頭の骨を箱に収めていると、伯母((生花を出すと言い張った伯父の妻))が私の背後に近寄り、こう言った。
「○○ちゃん、あの黒いとこが病んでるとこ。」
怒りで涙が溢れた。
火葬場を出る時、私の顔を見て従兄弟((生花を出すと言い張った伯父の長男))が
「あいつ、大丈夫かぁ?」
と言った。
彼は、母が病気を克服するために頑張ろうとしていた2年前に家に来て、まるで通夜のような顔をしていた。
2年前には通夜のような顔をしていた従兄弟だが、初七日法要には最前列の端っこでいびきをかいて眠っていた。
通夜の前に母方の叔父と競って生花を出すと言いだした父方の伯父は、母の祭壇をカメラで何度も撮影し始めた。宗派が違うので面白かったのだろうか。
その夜、葬儀委員長だった叔父と、もう一人の伯父と父と私とで、遅くまで飲み、話し込んだ。
「火葬場に、野次馬が来てしまったんだな。」
父は私にこういった。
「所詮、花を並べて皆に見せることでしか、母との関係を示せない人たちなんだ。」
葬儀に行く人にお願いしたい。
どんな形であれ、ずっと一緒にいた者が骨になっている家族の周囲で、あれこれ言い立て騒ぐのはやめて欲しい。
葬儀で眠いなら、席を外して欲しい。
ここ数日マジメに考えていることに
都内や関東近県に発生している、「初期分譲マンションの限界集落化(限界集落マンション・ゴーストマンション)」を
ネットカフェ難民と組み合わせてうまいとこなんとかならんものかというものがある。
「限界集落(げんかいしゅうらく)とは、過疎化などで人口の50%が65歳以上の高齢者になり、冠婚葬祭など社会的共同生活の維持が困難になった集落のことを指す」(Wikipedia)。
マンションの場合は空き部屋率が高く手入れをすることができる人間がいない、
建物の維持が費用的にも、人手的にもできない状態を指すと考えられる。
(都営住宅などの賃貸費用が格安の物件では、住民による草むしりなどの雑務が義務づけられているようだ)
「住民が高齢化すると、管理費支払いが滞り、マンションの老朽化によりさらに管理費が高くなるという悪循環が発生して、管理が悪くなって、徐々に若い元気な住民から去っていくということになる。都会、高齢化社会の抱える大きな問題だ」(関心空間:ゴーストマンション 都会の限界集落 http://www.kanshin.com/keyword/1529126)
そこで、ネットカフェ難民に空き部屋を提供し、無料の人手を提供してもらうのはどうかと考えているわけだ。
実際には部屋の割り振りや部屋割りなどを考える人材が必要なので、
まずはNPO法人を立ち上げ管理者を選抜。彼らの給料は行政から支払われるのが望ましい。
(ネットカフェ難民から回収した資金で給料を払うと、ホームレス住民との軋轢が生じる可能性があるため
ネットカフェ難民の家賃→マンション管理会社→市・区・町→NPO法人へ支援金→給料 と回るのが理想)
月給は最低ランク(20万円程度)、普段は率先してマンションの維持・管理を行う。
また、ネットカフェ難民住人にとっての身元引受人、相談員になる。
(理想としては若年層だけでなく、中年、リタイア後などの余裕がある高齢者層が混在していることが望ましい。
新規雇用に結びつくとなおよい)
ネットカフェ難民は初期1年間は、無料でマンションに住むことが出来る。光熱費は各自負担。
その代わり週に2回、週合計8時間程度マンション内共有スペースの修繕や草むしりなどに取り組まなければならない。
翌年は収入に応じて家賃を負担してもらうことになるが、その分修繕活動の時間が軽減される(月1、2回程度)。
修繕活動には教師役として地元住民に協力してもらい、塗装などの技術を学ぶ場としても作用するようにする。
可能であれば、マンション内の高齢者住民からネットカフェ難民住民へ、「買い物代行」や「水回りの修理代行」「ゴミ捨て代行」などの依頼が行われると、交流にもなり望ましい。
自治体として回っていくようになるだろうから、ネットカフェ難民に毎月15万円渡して飲みしろにさせるよりは
管理者に毎月20万円与える方が、よほど世間にとって役立つと思うがどうか。
それを踏まえて発言するのが普通じゃね。
あら、そうだったんですか。冠婚葬祭並に難儀な増田さんですね。
モトマスダは「泊まるのも微妙に金がもったいない」だけで、交通費まではわからないよ。
宿泊費出さずに交通費出すのか、って推測は出来るけど。
読み返すと、金がないから行きたくないってわけでもないから、まぁいいけど。
いや、だから交通費は負担されないって書いてあるだろ…。
どこに?
地域によるだろうけど、交通費も出す場合もあるよ。
冠婚葬祭に拘る地域なら、特に。
そういうふうに悩む人はすごくシンプルな服を揃えればいいと思う。
1、柄、ワンポイントは買わない。
問題が複雑化するので模様には手を出さないこと。
本当に最後の最後の段階で服そのものに飽きてきたら買ってもいい。
2、迷ったら、全部黒で揃える。
黒系だったら冠婚葬祭含めてだいたいどこに着ていっても問題が少ないし、
慣れてきたら白と灰色を買うようにする。
灰色と白と黒の組み合わせで失敗することはまずありえない。
で、最後に色のあるものを買う。
有彩色系の組み合わせは初心者には難しいので最初は避ける。
組み合わせるとしても無彩色とならばどんな色でも合うので、有彩色は最後に揃えるべき。
3、服を買い換えるときには冒険せずに前のと似たようなアイテムで、かつ前のよりもいいもの(品質やデザイン的に)を買うようにする。
こういうやり方をすると、常に前よりもいいものを買うことになるので、服全体のクオリティが確実に向上する。
空気読学を作りたい。
人間関係を円滑にすすめるためのコミュニケーションの基礎として
学習&教育を行えば昨今のヒキコモリ、ニートやいじめなどの諸問題を
解決できるではないかと思う。
空気は千差万別で一定ではないがマイルストーンとして最初の成果物は
日常生活で使用でする範囲の「空気読辞書-日常-」を作成する。
困難を極めることが予想されるので優秀な空気読学者の登場が待たれる。
空気を読むと言う行為は視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚に続く第六感である
この空気を読むという感覚を生物学、倫理学、医学や言語学などのさまざまな分野から
研究を行う国家級の研究所を設立する。また、空気読辞書の作成機関でもある。
小学生から空気を読むことにふれさせ、人格形成の基礎に役立てる。
その坊さんは謙遜しすぎだろう。冠婚葬祭にはよく御世話になるだろうし、人の人生にものすごく影響力を持った仕事してると思うよ。どうでもいいことなんてきっと一つもないくらいに。
あのねぇ。。。
あなたが「マナーは共有されている」って言うから、どの範囲で共有されているの?という前提をきいただけじゃん。
なぜならあなたが下のように答えたじゃないですか。
マナーの根拠となっているものは何か、本当に全員が共有しているものか、とかもうちょっと深く考えてみた方がいいよ。
だからお作法や(本来の)マナーでは明文化されて共有されていますよ。明文化されていないものは本来の意味でマナーとは言いません。
明文化されて共有されてるのが本来のマナーだって言うから、どのマナーが統一基準か示してしてくれって言っただけなんだけど。その上でマナーの根拠(非常識・他人を不快にさせる・etc)が何に従っているのか、それがどの程度の割合の人に共有されていて妥当なものか説明して欲しかったんだけど、単にできないんでしょ。
明文化されて共有されてるなんて言えないじゃん。(それこそが幻想)
さらにはさっき言ったように地域や流派や著者によってマナーのルールは違ったりするし、個人のレベルでもばらばらだよね。
「マナー」なんていうと、明文化されて共有されている、普遍的なものと勘違いしているあなたのような人がいるけど、本当は個人個人の信じているレベルでばらつきのある常識にしか過ぎないんじゃないの。
だからあなたの上の発言はマナーを人に押し付けるマナー厨の理念そのものなの。そういう文脈で口出してきたんだから、自分の立ち位置を突然ごまかさないように。
少なくともその本でどこかから孫引きされた範囲内では「普遍的」なマナーでしょう。(普遍的はそういう意味では使いませんけどね。つまり普遍的なマナーなど定義的にはあり得ない。日本の冠婚葬祭においてとか、関西の葬儀においてとか、寝屋川市の葬儀において……というようにTPOによって変わるのです)
繰り返しに成りますが、マナー自体はTPOや文化に寄って衝突するものです。普遍的だからと誤解している人は単なる厨であって、マナー自体とは関係ありません。
「少なくともその本で孫引きされている」(孫引き?ってのもおかしいな(笑))ことだけでなぜそれが「普遍的」と判断できるのか。
その考え方が、「マナー」っていう語義に引きずられて思考停止している状態をよく表しているよ。
自分でも矛盾していることよくわかってるんでしょう。(つか、この議論の途中でわかったんでしょ)
もっとも、現実的な手間や費用で身に付く範囲だけが「不躾」とされていると私は思いますけど。
マナーは「こうすると不躾にならない」ということを強引に決めていますが、行動を強引に押し付けてはいませんよ。単にそれをしなければ「不躾な人」という状態になるだけです。
だから、それがどこに書いてあるんだっての(私は思うとか言ってる時点で俺ルールだってことに気づけよ)。マナー押し付けてくる人多いよ。あんたみたいに、マナーがわかんない人は「不躾」だ、とかって言っているってことはおもいっきし押し付けてるのに、わかってないね(○○の範囲だけが不躾だとか、ププ)。
それは、マナーがあなたのいう「躾」と「不躾」を判断する基準を最初から設けているからじゃないの。であなたはそれを信じてるけど、それがどこまでどんな範囲で適用できる基準か、考えずに普遍的なものだという意味合いを感じて判断基準にしてるんでしょ。
って言ってるんだから、無理しないでいいですよ。
もしかして「俺を勝手に不躾な人という状態にするな!」という事ですか? それはその場所のマナーに従っていなければ無理でしょう。従わない信念があるのなら気にしなければ良いのでは。(押し付ける人は困る。という話は別ですよ)
いや、他人の基準で判断されることなんてなんとも思わないね。
その場のマナーとやらで相手を判断しようとしてるし。頭わるっ。
コピペになりますが。
>マナー厨の人は自覚がなくていけない。
わかってないですね。明文化されてると書いてるんだったらそれが誰が作った誰のルールでどの範囲で共有されてるか示してくれなきゃ。でも本屋においてあるって書いたところで、そんなことできないでしょ。
意味不明。
もしかして世間で流通しているマナーを片っ端から提示しろって言っているのですか? それは無意味なので拒否しますし、議論にも関係あるとは思えません。
何を言いたいのですか? 解釈すると「マナーを知るチャンスがあまり無いのに、マナー知らずだと批難する人が居る。それは獲得する機会が無いのに無茶だ」という事ですか? (たぶん「俺の行動範囲に合致するマナーは誰が作った誰のルールなんだよ?」ということかも。「誰が作った誰のルール」なのかは歴史・文化人類学者の調査でも分からない物も有れば、発祥と理由が明確な物も有るでしょう。それはそれで興味有れば調べればいいじゃないですか。念のために言いますが「誰が作った誰のルール」と、マナーの妥当性の検証は別の話ですよね。作者不明のマナーでもメリットが有れば支持するでしょう)
それは
ということですか? 3番目が「コストをかけていないから知らない。マナーを押し付けるな」というのであれば、単なる「押し付け」の話であって、マナーは関係ありません。
また「あまりにも非現実的なコストをかけないと身につけられないマナーはやめようor知らなくても失礼じゃないことにしよう」という提言が有ったとしたら、それは私も大賛成です。もっとも、現実的な手間や費用で身に付く範囲だけが「不躾」とされていると私は思いますけど。(あなたがその範囲をもっと安く考えていて、平均値と食い違っていて困るからみん辞めてくれとか、現実的とされる範囲をもっと安くした方が良いと運動することについても賛成しますよ。提言に費用対効果的なメリットがあればね)
マナー厨の人がやってるのも実はそれと同じレベルで、本当は個人によってばらつきがあるのに、「マナー」と信じてる時点で普遍的なものだと勘違いしてるから(本屋においてあって明文化されてるとか)、すぐ他人に対してマナーの押し付けが始まるんだよね。
だからそれはマナー厨(? 強引に押し付けする人のことかな。それともマナーの目的を見失って、条文を守る事だけに固執する人のひとかな)の行動への批判であって、マナーそのものとは無関係じゃないか。
少なくともその本でどこかから孫引きされた範囲内では「普遍的」なマナーでしょう。(普遍的はそういう意味では使いませんけどね。つまり普遍的なマナーなど定義的にはあり得ない。日本の冠婚葬祭においてとか、関西の葬儀においてとか、寝屋川市の葬儀において……というようにTPOによって変わるのです)
繰り返しに成りますが、マナー自体はTPOや文化に寄って衝突するものです。普遍的だからと誤解している人は単なる厨であって、マナー自体とは関係ありません。
押し付け行為を批判してほしいのであって、マナーが良くないという話ではないのです。
その場にいる複数の人間に当てはめることを強引に決めてるのがマナーって自分で書いてるじゃん。
マナー厨の人は自覚がなくていけない。
はい。まったくそのとおりです。厨は困りますね。
でもあなたはもしかして「強引に決める」ということと「強引に(行動を)押し付ける」ということを混同していませんか?
マナーは「こうすると不躾にならない」ということを強引に決めていますが、行動を強引に押し付けてはいませんよ。単にそれをしなければ「不躾な人」という状態になるだけです。
もしかして「俺を勝手に不躾な人という状態にするな!」という事ですか? それはその場所のマナーに従っていなければ無理でしょう。従わない信念があるのなら気にしなければ良いのでは。(押し付ける人は困る。という話は別ですよ)