はてなキーワード: 人格障害とは
暴力により生命の危険が感じられると訴える方がよいと思う。明らかにDVなので病識がないと…という保健所の対応には首をかしげる。市役所とかにDV相談所はないかな。おそらくあると思うのだが。あと警察に行く場合も同じようにDVやストーカー対策を担当している部署に、命の危険を感じる、殺されそうな気がするので助けてほしいなどと(多少誇張であったとしても)訴えた方がことは迅速に進むと思う。
あとは人格障害か統合失調症の可能性があるかもしれないので措置入院に応じてくれる病院があるかもしれない。ひどい暴力があるようなら、救急車を呼ぶなどしてもよいのではないだろか。
こっちはちょっと
のあとに何が言いたいんだ?
先天的な性質や障害だというのなら診断書でも出して貰えばいい。
身体的な障害で非コミュの特性を得るとも思えんが、アスペルガーその他の人格障害なら確かにありえんこともない。
その場合は非コミュと分類されるものとは変わってくるだろうけどな。
不治のものだというのならこの世に「元非コミュ」の人間はいないわけだが、言い切れるか?
また自己責任論か、と言われるやもしれんが、非コミュがその特性を持ち続けるのは間違いなく自己責任の範疇だ。
抜け出せない、治らない、ではなく、受け入れるつもりもないくせに抜け出す努力を費やしたがらないか、費やすことを放棄して甘んじてるだけの人間だろう。
プライドだけは人一倍高く、自分の対人スキル不足を分かっていても、それを人前で認めて足りない部分を勉強させて欲しいと願い出る真似はしない。
他の人間と同じ場に乗り込んでいき、いきなり仲間の一人として混じってその場の人間を練習台にしようとする。
バーやラウンジなんかの「出費は必要だが練習に付き合ってくれる、場合によってはノウハウを学べる」ところへ行くこともしない。
この全部が当て嵌まるとは言わんが、少なくとも自らのマイナスを解消する努力を放棄し、自己弁護に走る者が多いのに変わりはないわな。
弁護の余地のある類の人間では到底ない。
ただの甘ったれだ。
査定が下がるのは当然では?
そもそも仕事内容or量と本人のマッチングが取れてないので鬱になるのだから、「仕事ができない人」という冷淡な目で見られて当然だとは思います。
あなたの公平に扱うというのは「病気が発覚する以前と同様の扱いをする」ということだとすれば、それは患者側からすると期待過剰です。実際できてないこともわかっているし、ミスしていることもわかっているので、そういうのははっきりと言及されて当然だし仕事が回ってこなくなっても当然。人格まで否定されたらおかしいですけれども、逆に病気になる以前と同じ扱いを受けても申し訳なさでますます悪化するものです。
治療が必要なので首にされたら困りますが、査定が下がることの何が問題なのか。いるんですよね、こういう人。障害者の扱いなんかではもっと顕著にあらわれますが、「~くんはしょうがいがあるんだから何を言っても怒っちゃだめなんだよ!」と自分の子供がいったらそれを正しいと思いますか。思わないでしょう。鬱病などもそうです。統合失調症や人格障害などは(滅多に診断もおりませんが)ちょっと違いますが。
これは当たり前のことです。普通と同じではありませんが、常識的な扱いを受けないということはまた別問題です。「ふつうに扱え=健常時と同じに扱え」というのが間違いで「ふつうに接する=現状の能力に見合った扱いをされる」というのを希望するだけの話です。
東大OB、顔出しイケメン、自称人格障害、プロのライターで多数の信者(アンチも?)を持ってる人。
過激な発言が多い。すぐぶち切れる。
人格障害は器質的な要因によるものと内分泌異常の2種類がある。混合の場合もある。
後者の場合、内分泌系の異常からくる自律神経失調やストレスにより症状を起こす。
心理療法的な治療だけでは医学的に効果が薄く、内分泌を調整する投薬などによって治療する。
精神科では精神的な診療・治療を始める前に、血液検査などを行ってこれを調べる。
カウンセリングは薬に比べるとプラシーボ効果程度と統計されている。
前者の場合も完治は無理でも投薬で症状を緩和する。
どっちにしてもカウンセリングだけより効果あるはず。メインの治療は薬物とカウンセリングの両方を併用。http://en.wikipedia.org/wiki/Recovered_memory_therapy
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E5%AE%89%E5%AE%9A%E5%89%A4
y_arimは自称ボーダーでも前増田が書いてたアスペでもなく演技性だと思う。
「次のうち5つ以上あてはまると演技性人格障害が疑われるようになります。
自分が注目の的になっていないと楽しくない。
あさはかで感情を表に出す。
自分への関心を引くために身体的外見を利用する。
芝居がかった態度や誇張して表現する。
他人や環境の影響を受けやすい。
対人関係を実際以上に親密なものとする。 」
自分の姿を写真等で誇示するはボーダーやアスペじゃなくて演技性だと思う。
素人判断だから正確には分からないけど。
「人格障害は治せない」書かれたエントリがあったけど、ホルモンバランスの崩れで起きている事が多いから、投薬治療すれば治る可能性はある。カウンセリングは人格障害にあまり効果ない筈。カウンセラーに通うより精神科の方がいいと思われ。
もう数年メールしてるメル友の女性がいて、好かれたり嫌われたりを繰り返してた。
具体的に言えば、俺が好き好き言ってみるも流されたり断られたりした。
何度も俺の配慮ない言葉にキレて連絡が途絶えるも、数ヶ月経つと「久しぶり」みたいなメールが来て関係再開を数回。
メールとか電話でしか知らないのに結婚しようか?とか一緒に住もうか?と言われて俺がビビって断ったり。
でも、会おうか?と申し出るも何度も断られ。
で、この間会った。
彼女の部屋に泊まった。
そしたら、俺ずいぶんおかしくなった。
誰にも認められることなく、受け入れられることなく、この先ずっとなんじゃないかと。
これでも、道を踏み外すことなくよくもないまでも悪くない人生を送ってきた自信はある。
職には苦労しないレベルの国家資格はあるし、資格に甘えることなく有用な人材であろうといろいろ頑張ってる自負もある。
仕事でもプライベートでも、他人の役にたつように振舞ってきたと思う。
でも、俺は他人の気持ちとか読めないから、(他人の気持ちを逆撫でするのが得意だ。もちろん意図せずに。)素の、裸の俺はなんかカチンと来る嫌なやつ。
そんな俺が、ようやく便利で使える奴にレベルアップ。
その先に、愛される人間になれるような気がしてたわけなんだ。
いままで7回くらいに振られたことがあって、そのたびに、次があるさと思い続けてきた。
自分が愛情の飢餓状態でも、他人を思いやる余裕気持ちを忘れないようにしてきたつもりだ。
気が付けば、見返りを求めてたわけだ。
でも、現実問題として、愛情の飢餓状態で見返りを求めない愛って振りまけるんだろうか?
見返りを求める愛を振りまくだけでもいっぱいいっぱいだ。
ああそうさ、大学のときもそうだったさ、卒論だテストだで手伝わされて、「ありがとう」とみんな言うけれども、打ち上げのメンバーに俺はいない。
子供の頃からそうだった。
いい成績をとるのは俺、母の姑と父にに対する愚痴、学校に対する文句を聞くのは俺、わがままを通すのは弟。
不平不満が貯まってダダをこねて、要求が通るわけでもなくただただ嫌われる。
で、えらくおかしくなって、彼女は俺にメンタルクリニックを勧めた。
メンヘラ歴がかなり長い彼女の言うことだから、受診が必要な段階だったんだと思う。
でも、意地張って、一人で大丈夫。
いや、もう受診が必要だよっていう感じのメールをもらったら俺が逆切れしちゃって、
一人で悩む分には誰にも迷惑をかけない。
あんたと違って誰かの戸籍を汚させたり、自殺未遂に追い込んだりしてない。
と、心の傷をえぐるような返信をした。
酷いことを書いたと思ってる。
でも、困らせたかったのかもしれない。
こんなにいろんな相談にのってやり、期待させられ、結局はいい友達かと。
いろんな男を経験しながら、30代派遣じゃもう後がないから誰でもいいから結婚したいと言いながら、誰でもいいからといいながら、俺は駄目だと。
まあたしかに境遇を考えたら、確実に結婚してくれるという人以外としか男と女になりたくないっていうのはわかる。
結婚する?といわれて断った俺が悪いわけだ。
結婚はしないくせに付き合いたいってのは、ようするにやり捨てたいって意味になる。
この恋の問題点は大きく二つもある。
お互いに受け止めるには精神が弱すぎる。
遠距離が問題。
俺にとっては、数年お預けを食ってたと思っても、彼女には一晩目からやりたいって体が目当て?待てないの?っていう気分だろう。
そして三つ目は、最後に俺が相手を傷つけてしまったこと。
やれなかった腹いせに相手罵倒した。
弟に嫉妬してダダをこねて叱られていた幼児の頃とメンタルは変ってない。
一応メンタル受診したら、「diseaseではなくdisorder、鬱ではなく発達障害か人格障害でしょう。アスペルガーっぽいですね」といわれた。
帰りに待合室にあった人格障害の冊子を読んだら、自分が境界性人格障害にあてはまるんじゃないかと思った。
「たった一人、完全に私を愛してくれる人がいたら、私はきっと変われる。でもそんな人はいないし、いたとしても頭がおかしい。」
俺の思考そのものだ。
でも、愛されたい、愛されたらきっとなにかが変るはずっていう思考は異常なんだろうか?
興味が出たら偏狂的に丸覚えする性格だからとくに頑張らなくても成績はよかったのもあるけれども、優等生で通してきたの褒めてもらうのが構ってもらうためには手っ取り早いからって理由だったのかもしれん。
事実、みんなの、親の気を引きたかった。
学校の成績なんかじゃ、認められたうちに入らない。セックスさせてもらえることが、本当に受け入れられた証なんだ。
と間違った思考が暴走。
今に至る。
ちょっと違う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A2%83%E7%95%8C%E6%80%A7%E4%BA%BA%E6%A0%BC%E9%9A%9C%E5%AE%B3
どちらにせよ、真剣に付き合う気があるのなら、彼女が行ってると言う病院に行って医者やカウンセラーに話を聞いてみるべき。
病状・病名や経過を偽ってる場合もあるし、病院も教えてくれない場合はなおさら鬱じゃなく人格障害、病気を装ったメンヘラの可能性も考えられる。
正直早期の完治は難しいから、深みにはまらないうちに離れた方が良いと思うけどね。
前からわかってはいた。母親の仕掛けてくるあれこれに翻弄されて心を病みながらもそれを認められずに生きてきて、去年の夏やっと病名がついた。ほっとしたというよりも恐怖だった。
医者がずいぶん前からかかっていたようだと言った時正直やっぱりなと思うのと同時に安堵した。よく頑張って普通の生活を送ってきましたね、ともいわれた。考えてみれば心を病みながらも大学入試を乗り越え、大学を卒業しようとしているのだから心の病にかかってるとは言い難いのかもしれない。自分ではよくわからない。ただ、母親の存在が自分の毒になっているということがはっきりしたことだけが嬉しかった。
考えてみれば、母親とはまともな会話をしたことがない。いつも物の置き方や歩き方、扉の締め方で機嫌を伺っていた。突然スイッチが入るのだ。それは例えば、あのころはまだ小さかった妹が粗相をしたとか、皿を割ったとか、あるいは父親がへまをしたとかそういう負の原因の矛先が自分に向いていることもあった。たとえば運動会で一番になれなかったとか、マラソン大会で後ろの方を走ってたとか、勉強しているとかそういう自分に原因のある場合もあった。あるいは表情が変わらないとか、びくびくして隠れてばかりいるとかそういう環境による原因から来た自分の状態を責められることもあった。時には鍋が焦げ付いたからとか買ってきたものを間違えたからとか庭の植木の剪定がうまくいかなかったからとかそういう母親のミスが原因でスイッチが入ることもあった。いつどこでどういう風にスイッチが入るかはわからなかった。とにかく機嫌が悪ければ、自分に矛先が向いた。うまくことが収まらなければ、ちまちまとためているお小遣いを没収されたり、教科書などの学用品を捨てられたり、あるいは着の身着のままで追い出されたりもした。折檻も受けた。いまだに残っている傷跡もある。でも一番きつかったのは給食費や修学旅行費などの学費を出さないと言われることだった。それが一番弱った。
スイッチが入っていなければ普通の、ごく普通の家庭だったと思う。大学にまで行ってるのだから、と人は言うからおそらくは幸せだと考えなければならないんだろう。感謝しなければならないんだろう。そうずっと思ってきた。
学費のことはよく言われた。困らせようとしているのはある程度大きくなったらわかっていたが、しかし実際困った。中学を卒業してしまえば、金を出さない働けと言われてしまうとそうするほかなかった。そうしなければならないんだろうと何度か学校をやめようとしたこともあるが、そのたびに誰かに止められた。先生だったり友達だったり、恋人だったり。お金を出してあげるからと言ってもらったこともある。金を出さないという脅し文句は一番卑怯で最も子供に言ってはいけないことなんだから自分が悪いと思う必要はないと諭してくれた人もいた。その中で毒親という言葉を知り自分の母親がそうであるということも理解した。
よく考えてみれば、何を言っても言い訳になるようになっている。うまいこところころと人の発言を自分の思う通りに解釈してそれを掲げて人を糾弾するのが得意な人だ。自分が悪いような気がしてしまう。誰かを責めるためなら直前にいったことと180度逆のことも恥ずかしげなく言える人だ。しかしそれはうまくコーティングされて、それが正しいような気がしてしまう。そういう能力に関しては長けている人だ。生きてきた年数分うまいのだろう。
去年の夏ごろ、父親が病気になった。体に多少不自由が残っているが、自分で身の回りのことはできる。思うように動けないせいかややひがみっぽいことを言うことが増えたが、命に別条はない。父親も被害者のようなものだった。昔はそうでもなかったような気がするのだが、最近は呆けたような顔をすることが増えた。長年人格を否定され罵声を浴びせられ続けるとあんな空虚な顔になるのだろうと思う。その父親を母親は親の敵のように嫌っている。いや、母親が親に恩など感じているわけがないし自分でもそう言っているのだから、犬猿の仲とでも言えばよいのか。物心ついた時には母親が父親をいつものやり方で責め立てているのが日常の風景だった。
正月、正直実家に戻る気にはなれなかった。卒論もあるし、家に帰ったらそれどころではなくなるのはわかっていたのだ。でも帰らなければまたうるさいということもわかっていた。最大限の妥協をして年末の数日実家に帰り年が明けてすぐ下宿先に戻ろうと思っていた。でもやっぱりそうは問屋がおろさなかった。
愚痴を聞くだけなら、かまわなかったのだ。病人を抱えていればそれなりにたまってくるものはあるだろうということは簡単に予想できるから、それを聞くのはやぶさかではないと思っていた。忙しくてあまり帰らず申し訳ないとも思っていた。夏はちょうど私自身も心を病んでいてどん底にいたのであまり父親の病気には関わらなかった。関われなかった。それでもできる限りのことはしようといろいろしたのだ。しかし、それが足りなかったらしい。まずその不満からだった。母親は自分のしゃべっていることでどんどん興奮していくたちなのでなだめながら聞いていたが、でもやっぱり駄目だった。父親に向けられなくなった分こちらに向かってくるエネルギーがすさまじかった。私は疲弊した。そんな私を好きなように攻め立て、あらゆる事実を捻じ曲げ、母親は私を糾弾した。薬をいつもより多めに飲んでもそれでも駄目だった。気分が落ち込んでいくのは止められなかった。そんな私に母親はあんたの性格が悪いから病気になるんだといった。薬を飲むのをやめろと言った。医者なんか信用するなと言った。そして、その医者はあんたの好みなのかと聞いて嗤った。それでもおさまらなかったらしく、離婚してやると喚いた。離婚して父親の面倒を押しつけてやるといった。離婚したら結婚も難しくなるあんたはみかけもたいしてよくないし、と言った。父親の面倒をみたら仕事にも支障がでるだろうねと笑った。親が離婚していてさらにその親の介護をしているあんたは嫁にいけないよと言った。仕事にも集中できないから貧しい暮らしになるに違いないと言った。そういいながら笑った。ずっと私は正座し黙っていた。10時間。ひどい正月だった。卒論は進まなかった。たぶん留年すればいいとでも思っているのだろう。そういう人だ。留年したら就職は難しくなるから、これからも矛先を向け続けることができるし、そして逃げ出せなくなるとわかってやっているのだ。わかっていた。だから黙っていた。もう何度死んでくれたらいいのにと思ったかわからない。頭の中でぐるぐるとどうやって殺してやろうかと考えていた。そう考えるだけでずいぶん楽だった。どうやって苦しめてやろうかと考えていた。静かな気持ちになれた。
母親は私を捨ててやるとよく言った。母親は私を不幸にできることを信じて疑わなかった。子供のころはそうだった。しかし、いつまでもそうではないのだ。私は卒業し、就職したら母親を捨てるだろう。徐々に不自然でないくらいゆっくりと捨てるだろう。性急になってはいけない、勘付いて何もかも元の木阿弥になってしまう。母親は困らせればすがりついてくると思っている。またいつもの手を使って絡め取ろうとしてくるに違いない。だが、私は捨てるのだ。なにもかも。親もきょうだいも何もかも捨てて過去は断ち切るのだ。まともな生活を普通の人間関係を、得てもいいといろんな人が言った。幸せになっていいんだとたくさんの人が言った。母親が私を評したのとまるで逆のことをいつも他人から言われる。居場所を奪わない人がいる。失敗したら許してくれる人がいる。泣き言を言っても聞いて慰めてくれる人がいる。怒りを向けてもそれを受け止めてくれる人がいる。私のことを思い、傷つかないように言葉を選んで忠告をしてくれる人がいる。世の中にはそういう人がいてそういう人たちにたくさん助けられてきた。普通の、ごく当たり前のこと、そういう幸せを私に与え、私が差し出すものを受け入れてくれる人がいることを私は知っている。ふつうになりたい。いつも切望している。
追記:
わわわ、ありがとうございます。がんばって逃げます。
icloud 幸せになってほしい。あまり大きな声でいえないけど、計画がうまくいくといいな・・ ・・・・・ところでうちの母もこのような感じ(ここまでではない)のだけど・・・病院につれていってみるかな・・
残念ですが毒親本人はおそらく病院に連れて行ってもせいぜい境界線人格障害と診断?される程度じゃないかと思います。それだったら距離を置いてしまうのがよいのでは。程度によりますが少し距離を置いた方がうまくいったり環境を変えることで寛解することもあるらしいです。
お母様が毒親に苦しめられているということだとしても病院は病気になってる人しか助けられないので病名はつけてくれるかもしれませんが原因が取り除かれないことには…。穏やかな日々が来るといいですね。がんばりましょう。
私が飲んでるのはデパスじゃなくてリーマスなんですよね…正真正銘メンヘラです。はぁ。でもたぶんきっと本当に必要なのは、薬じゃなくて簡単になくならない信頼関係なんじゃないかと思うのです。たとえば私は無自覚に誰かを傷つけたり怒らせたりすることはあるわけだけれども、そういう状況になった時にあぁ生活すべてがめちゃくちゃになるこれで何もかも終わりだっていう絶望感にとらわれなくてもよい、という思えることが本当は必要なんです。そういう信頼関係が築ける相手がいることが必要なんです。対立しても怒らせても、ちゃんといいたいことは言って嫌だと思うことは伝えて、そういうことができる関係というのが。
母親は自分の存在を確かめるために、自分が必要な人間だと思われているということを確認したいがために私を使ってきたわけで、私はあくまでも母親の自尊心を確保するための道具だった。必要な道具だったからそこにおいていただけなんですよ。私じゃなくてもよかった。ただちょうどよかっただけで、そのために手入れもしたんだろうし金もかけたから手放すのは嫌なんでしょう。でももし代わりになる道具がでてきて私が必要なくなれば簡単に捨てるだろうってことを私は知ってる。
道具が持ち主を愛さなきゃいけないんでしょうか。しなくてもいいですよね。理解すらしなくていいと思う。泣かせてもエグいとすら最近は思わないです。やりこめることはできる(そのあと包丁が出てきたりとか面倒なことになるので避けることが多いですが)。だって私は道具だし。都合のよいように使えなかったから泣いてるだけでただの子供なんです。あの人は私にとって脅威ではない。ただの面倒な子供で、縁を切ってしまいたい。でもあの面倒な子供は生きてきた年数分だけ聡く狡賢いやり方を知って、攻撃力は半端ないし、私も痛いのは嫌だし職や住まいや恋人を奪われるのは嫌なので空気のように消えていくしかないんだと思います。中途半端はよくない。やるなら徹底的に消息を絶たないと、たぶんいろんな意味で殺されるから。
いやあ、もうまさしくそれこそが非モテの特徴だと思うよ。イケメンとブサメンにしてもそうだし、処女は貞淑だけど非処女はビッチとか、相手に100%の好意を示してもらえないのなら全否定されたも同じとか。
これ(http://b.hatena.ne.jp/entry/9816184)なんかも、「非モテ批判は矛盾してるじゃねーか!」という内容の記事に、「極端から極端に行くからダメなんだろ」ってブコメが沢山ついてるし。
実は、「努力しなくていい」「皆俺に気を使え」「実は物凄い才能がある」っていう思考回路は、皆境界例人格障害や自己愛製人格障害によく見られる特徴なんだよ。あと、モテと非モテ・理想の処女像と肉便器の非処女像といった極端な二極化思考をする『分裂』や、好きな女が自分の思い通りにならなかったら、今度はその女を激しく貶める『理想化と脱価値化』や、一番モテないことを格好悪いと思っているのは他ならぬ自分自身だが、それを直視したくないので、世間が自分のことをモテないことで罵っているのだと思い込み、その世間に対して反発するといった『投影』なども、その種のパーソナリティ障害によく見られる特徴だよ。
これも境界例の特徴の一つなのですが、なにごとにも極端から極端へと移行してしまい、中間というものがないのです。白か黒かのどちらかの世界しかなくて、その間にあるはずのグレーゾーンというものがないのです。そして、すべてか無かという、二つの選択肢しか持ち合わせていないのです。
半分自慢話なんだが、俺は7割くらいの確率でトラバ, 6割くらいの確率でブクマされてる
ウンコみたいなエントリは最初から返事を期待してないのであんまり凹まない。やや寂しいかなという程度
狙って良質エントリ書いたつもりのときは9割くらいの確率でブクマがあるのだが、
もしrukuなどの何人かの増田ブックマーカーがいなかったら5割以上の確率でブクマが無いということになるだろう
彼らには救われている
ただ、狙って良エントリ書いたつもりの時はたいていトラバはあるけれども
関係ないが、いま
http://b.hatena.ne.jp/entrylist?url=http%3A%2F%2Fanond.hatelabo.jp%2F&sort=count
を見たら俺のエントリが最初のページにあった
たぶんどれか分からないだろう
俺は増田で一番たくさんの文章を書いている人の一人だと自負しているんだけど、そうしたら「またいつものアイツか」とか「暇なの?」って思われないかと気になって。
文体を変えないと同一人物だとバレるような気がしてくるので、文体はなるべく変えている
それから、俺は変態でも真面目でもあるので、変態エントリと真面目エントリの両方を書いているんだが、
なんか「変態エントリ書いてた人がこんな真面目エントリも書いてたんだ?!」って思われるのがなんだか気恥ずかしくて。
変態な自分が真面目な自分を排除している一方で、真面目な自分が変態な自分を拒否しているといった状態
こういうのが酷くなると解離性人格障害とかなるのだろうか?わからんが
併発する場合もあるよ。アスペルガー症候群は生まれつきで、人格障害は生育歴によるものだから、生まれつきアスペで生育歴がアレだったりしたら、併発する可能性は十分にある。しかし、アスペと人格障害は分けて考える必要があるんだよ。
時々非モテがアスペを自称していることもあるけど、そういうのはマジアスペの中じゃ嫌われてるな。「生まれつきだから仕方ない=自分のせいじゃない=努力しなくていい」とか「俺は障害者だから支援されるべき=皆俺に気を使え」とか、あとアスペって時々天才がいるから「自分は実は物凄い才能がある」っていう優越感も感じられて、非モテが自称するには色々と魅力的な障害なのかもしれない。
まあ実際は、アスペ特有の『特定の分野に物凄いこだわりを見せる』という特徴が世間に『天才』と認識される人はほんのわずかで、大半の人はこだわりが明後日の方向に向かっていて生きていく上で役に立たないし、「努力したくない」とか言ってたら生きていけないから、世間に馴染もうと必死。
実際、アスペの集まるコミュニティを覗いてみるとわかると思うけど、モテるかモテないかで悩んでいるアスペはほとんどいない。悩みの大半は就職と職場の問題。あと、家族とうまくいかないとか、モテるかモテないか以前の切実な問題に直面しているかんじ。
実は、「努力しなくていい」「皆俺に気を使え」「実は物凄い才能がある」っていう思考回路は、皆境界例人格障害や自己愛製人格障害によく見られる特徴なんだよ。あと、モテと非モテ・理想の処女像と肉便器の非処女像といった極端な二極化思考をする『分裂』や、好きな女が自分の思い通りにならなかったら、今度はその女を激しく貶める『理想化と脱価値化』や、一番モテないことを格好悪いと思っているのは他ならぬ自分自身だが、それを直視したくないので、世間が自分のことをモテないことで罵っているのだと思い込み、その世間に対して反発するといった『投影』なども、その種のパーソナリティ障害によく見られる特徴だよ。
http://anond.hatelabo.jp/20081014005347
ところでアスペルガーと自己愛性人格障害入った境界例人格障害って併発するものなのかね?
どうでもいいことだが。
http://sana0329.cocolog-nifty.com/silent_voices/
に誤診を受けるケースと併発してるのではないかというケースについて報告があります。
http://sana0329.cocolog-nifty.com/silent_voices/2006/11/post_b692.html
また、
「意味不明な人々??発達障害(ADHD、アスペルガー)と人格障害に取り組む」(ご本人自身がADHDなお医者さま)
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/
では、ほとんどはジャイアンと受動型ASではないかとまでおっしゃられてます。もちろん、諸説あるとは思いますが。
「精神疾患に見える発達障害シリーズ??」(上記ブログ内記事)
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20070922/1
心療内科の3年間の臨床経験では、少なくとも自分で「AC」とか「境界例」とか「自己愛」と言って正直に受診する人はほとんど結果としてADHDだった。
きちんと発達障害を除外する作業を進めたとすると、もしかすると「自己愛」や「境界例」はほとんどがジャイアンと受動型ASだったということになるのではないかという実感がある。
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/20080305/1
受動型ASも別の意味で「ボーダー」でありうると私は考えている。そしてジャイアンと受動型ASを除いて行ったら、実は「純粋な境界例」は私の知っているケースの中には一人も残っていない。
私見では、
1.アスペ特有の「他人の痛みが想像しにくい」「他人には理解しにくいこだわりや執着を持つ」などの特徴が、人格障害と誤解されやすい
2.遺伝傾向が強く親にも発達障害があることが多いため、生育環境に問題を生じやすく、人格障害(かそれに近い思考)になってしまうことがある(見捨てられ不安、低い自己評価から来る二次障害)
が混在しているのではないかと思っています。
人格障害は疾患なの?疾患になりやすい体質ではあるが疾患ではないだろう。
元増田です。
だから悪い事は言わない、逃げられるもんなら早く逃げてくれ。
関わり合いを持たないことが一番。
治そうなんて思うと自分が巻き込まれて痛い目に合うよ。
関わり合いをもたないわけにはいかない(これが悪いのかもしれないが)ので、
治そうとか助けようと思って思い悩まない方がよさそうだ。
放置すると不味いと思ってこっちのことほっぽり出して慰めても
ちゃっかり自分のやりたいことだけはやってて脱力することもしばしば。
確かに人格障害は厄介なんだけど
確かに、自己申告だから本当かどうかはわからないな。
人格障害であろうとなかろうと、そうゆう人だと割り切って接するのが良いのかも。
どうせ計画だおれになるよ。
僕は回避性の人格障害(しかし社会適応はなんとかできてる)なのだけど、ありえない人生プランで自分の心を満たそうとしたり、それを人に話して肯定してもらいたかったり、いろいろあります。
その人も、自分の問題との直面を避けたいために、遠回りな反応を示しているだけなのかも知れない。
話を鵜呑みにするのではなく、「精神科やカウンセラーとの関係がいつもうまくいかない」という悲痛なメッセージとして受け取ればいいんでないかな。
知人の話。
知り合ったときからどことなくおかしい人だなと感じていたが、
どうも人格障害っぽいものを抱えているようだと気づいたのが最近。
その後、通院歴なども知ることになった。
人は人だし、まぁいいかぁー。といった具合に放置していた。
それがいきなり留学すると言い出した。
高校もまともに出ておらず、
勉強が出来るようにも思えない。
話を聞いたとき、私の顔は(゜Д゜)?こんな感じであったと思う。
曰く、「大検取って日本の大学で心理学を学ぼうと思ったが、私の求めるものじゃないと思う」
曰く、「同じ苦しみをもつ人たちのために、アメリカとかで最先端の臨床を学びたい。」
そんなことを言う彼女が読んでいるのは胡散臭い心理学本。専門書ではなく。
それに話を聞くと病院での治療もドロップアウトしてるような話。
身近な精神疾患の例だが、
このような人は意外と多いのだろうか。
もしくは、これ以上が溢れかえっているのだろうか。
電話で怒鳴り続けるくだりを読んで毒親だと思った。