はてなキーワード: プルーストとは
昼間見て気になっていたのでいまさらレスしてみる。
自分は翻訳物ばかり読むエセ文系だ。一応ドストエフスキーとヘッセは大体読んだと思う。あとプルーストとかスタンダールとかアーヴィング(古典か?)とかブロンテ姉妹とかトーマス・マンなんかを点々と。まあ何というか中途半端だ。
でも、頑張って読んでみるとかなり楽しめる作品が古典には多いと思ってる。
最初はドストエフスキーの「地下室の手記」。増田に集まる非モテ(笑)のみんなに読んでみて欲しい。
「地下室の手記」は、引きこもったニートがひたすら恨み節を呟き続ける話だ。非常に痛い。(笑)
俺は本当は凄い奴なんだけどみんな俺をバカにするから俺はみんなをバカにするんだぜ! というような。
で、知人にキレた勢いでソープに乗り込んでソープ嬢を罵倒したりする。
この作品、やっぱり女性にはまったく理解不能らしくて(笑)、女性の訳者さんがあとがきで散々貶したりしたらしい。
読んでてゲロ吐きそうになるかもしれないけど、良いシーンもあるから、どうか我慢して読んで欲しい(笑)。
ドストエフスキーのほかの作品、「罪と罰」とか「カラマーゾフの兄弟」とか、サスペンスとしてもかなりドキドキできる作品だし、キャラクターも凄く立ってると思う。名前が長ったらしくておまけに何種類も出てきたりしてややこしいけど(汗)、慣れれば大丈夫。
あと、ヘッセの「荒野のおおかみ」という作品が個人的に大好き。
簡単に言えば、オタ中年がビッチな若い女に出会って教育される話だ。
女に命令されてモテ系CD買ったりディスコへ行ってダンス踊ったり女を買ったりイケメンを交えて3Pしそうになったりする。
実際はかなりシュールではっきりいってわけ分からないんだが(汗)、そのわけ分からない部分も含めて面白い。
自分は作中のこんなセリフが気に入った。
「踊ろうとさえしないで、生きるために骨をおったなんて、どうして言えるの?」
「あんたは世間にとっては次元を一つ多く持ちすぎているのよ。今日生活し、生活を楽しもうと思うものは、あんたや私のような人間であってはならないのよ。インチキ音楽のかわりにほんとの音楽を、娯楽のかわりにほんとの喜びを、お金のかわりに魂を、営業のかわりにほんとの仕事を、遊びごとのかわりにほんとの情熱を求める人、そういう人にとっては、この世のはなやかな世間は故郷じゃないわ……」
まあ「荒野のおおかみ」は読まなくても良いかもしれないけど(ヲイ)、「知と愛」(「ナルチスとゴルトムント」?)は本当に凄く面白いので是非読んで欲しい。
修道院のイケメン神学生をやっていたゴルトムントが、ひょんな事から女を知る。それから修道院を抜け出し、各地でヤりまくる、という話。本当にもう命がけでヤってヤってヤりまくる。(全部双方合意のもとでだけど)
単なる女食いイケメンの話みたいに思えるかもしれないけれど、一人一人の女性に対しては本当に誠実だ。というか、常人の域を超えた誠実さを抱えてしまった人間の話なのだと思う。
あと国文学だけど、夏目漱石なんかはかなり不器用な人だったらしく、読んでいて痛いのが結構ある。
「行人」は相当痛かったなあ。お前は俺か! という感じ。ひたすら愛されないことを嘆く兄貴が。(兄貴は既婚なのだが)
「明暗」なんかはリア充っぽい心理が入り乱れていて、小林(登場人物)と一緒に嘲笑できるかもしれない。ただし作者が執筆中に亡くなってしまったので残念ながら未完。
まともな評論とかあんまり読んでいないので色々怒られそうだし(汗)、チョイスもかなり変だけど、予備知識とかなくていきなり乱読しても慣れれば結構面白いよ、という例なので勘弁してください。
http://anond.hatelabo.jp/20080315152400]
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ポランニー『大転換 市場社会の形成と崩壊』東洋経済新報社
デリダ『グラマトロジーいについて』
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
メルヴィル『白鯨』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
ブランショ『文学空間』
日本文学
樋口一葉『にごりえ』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
志賀直哉『小僧の神様』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
横山利一『機械』
谷崎潤一郎『春琴抄』
川端康成『雪国』
太宰治『斜陽』
大岡昇平『俘虜記』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
坪内逍遥『小説神髄』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
保田與重郎『日本の橋』
吉本隆明『転向論』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
「高校国語」擁護派の意見を書いた増田より。今回はもう少し「文学」に話を振って、擁護してみるよ。
まず、プログラムについては大昔にプログラミングの基礎みたいのを独学で勉強した程度なのでBN記法とかは知らなかった。面白い言葉を教えて貰ったことに感謝したい。けど、一応論理学は大学で学んだし、法律のとっかかりみたいなのも学んだ。オレは「理想として」高校国語にはそれらが含まれているという話をしはしたけど、同時に高校の国語授業に「現実問題として」それらが欠けているという増田たちの主張も、もちろん分かる。その通りだと思う。
ただ、同じく「現実問題として」言うならば、それをやらないのは多分生徒の理解を超えるからだという面もあると思う。年齢が一年二年違うだけで、同じ事柄に対する理解力が驚くほど変化するのがこの年頃だ。大人から見て「こんな簡単な理屈が…」ということが、子どもには全然分からなかったりする。「論理的な精神活動とは全く別の芸術ですよ、ということにして明確に区別したらいい」という意見も、確かによく聞く意見だが(以前2chの教育板で、これと全く同じ議論をしたことがある)多分「論理的な精神活動『だけ』を教える科目」は高校では科目として成立しにくいだろうと思うよ。個人的には、明治の初めまで日本人の「論理的思考力」は漢文を学ぶことによって鍛えられていたと思うが、同じ役割を英語に期待するのはやはり難しい(漢語はある程度日常化しているが、英語は(特に文字の面で)それほど日常的なものではない)と思う……英語の授業で民主主義の原理や自由・権利といった概念について学ぶというのはなかなか筋が通ってると思うのだが。
しかし、真に「異質な他者・異文化との出会い」や「自分を遥かに超える思想体系との出会い」と言うのが文学で学べるかというと、それはないんじゃないかなと思う。
学べたつもりにはなれるので娯楽としては成立するがね。
「異質な他者・異文化との出会い」に触れる経験なら実際に異文化に触れた方が早い。旅行に行ってもいいし、自分と違う階層の友達を作っても良い。
「自分を遥かに超える思想体系」がどう言ったものを指すのかは微妙だが、知りたいなら数学を勉強すればよい。数学以外でも技術や物理でも良い。
「実際に異文化に触れた」経験が無意味とは言わないが、「実際に異文化に触れた」結果としてひどい偏見を抱え込むことも別に珍しくない。そもそも日常的に「実際に」他人と触れ合っていながら我々は、相手がその内面に何を抱え込んで生きているかを理解しているとは言い難いだろう? 文学で現実を分かったつもりになるのはキモいが、一方現実の体験の「方が」「同じこと」を「より効率的に」学べるという考え方もまた危険だと思う。どんな体験をしようとも、結局の所それを「解釈」するのは自分だから。つまり「学びて思はざれば則(すなは)ち罔(くら)し。思ひて学ばざれば則(すなは)ち殆(あやふ)し」(書物や人から聞いただけで自ら考えることをしなければ、実は何も分からない。一方、自ら考えるだけで書物や人から学ぶことがないのは、危険なことだ。)という意味でね。
また「言葉」というのは、一見共通OSのように見えて実は「出力が近似である」に過ぎない。だから、誰もが気づいているように「同じ日本語」を喋っているように見えて「理解しがたい」人間が存在するのだ。初期条件として与えられた僅かなものをてがかりに、我々は一人一人自分自身のOSを構築して生きている。従って、一見同じに見える人間が全く異なるOSを積んでいても、それはごく普通のことなのだ。
そういう、OSの設計思想から異なる人間は普通に身近に存在するにも関わらず、日々の生活の中では互いにその「出力」しか見ていない以上そのことに気づくのは難しい。「数学」というのは、完全に定義された一つのOSを巧みに操作する方法を学ぶことだと思う。それは確かに高パフォーマンスをあげることが可能な世界だが、そこで学ぶことができるのは「一つの」OS思想でしかない。もちろん数学史上色々なパラダイムが時代時代に存在したことは知っているが、しかし「互いに通じない言葉」を用いていたら、それは数学ではないだろう。その意味では数学は「一つの言葉」しか用いていない。一方「文学」の世界には、先に述べた理由で無限のOSがあり、つまり無限の設計思想がある。たとえばオレが過去に感銘を受けた詩や小説の書き手は、オレに「(同じこの)世界をこんな風に見ている人間がいたのか」という衝撃を与えてくれた。それは自分自身のOSをくみ上げていく上で、また後々他者を理解する際におおいに参考になった。たとえば宮澤賢治の詩を読んでいたことが「共感覚」に対する理解を助けてくれたりした。
一方また、「言葉」を限界まで使いこなす実験を行ってきたのも文学の領域の仕事だ。論説文は名詞に、小説は形容詞に、そして俳句や短歌は助動詞や助詞にどこまで意味を盛り込めるかの実験だと考えてみても良い。「もしフランス語に『郷愁』にあたる言葉があれば、プルーストが「失われた時をもとめて」を書くことは無かっただろう」という話があるが、逆に言えば彼の試みは、自分が持っている言葉では未だ語り得ない何物かに千万の言葉を使って迫ろうとした行為だと言うことができる。それもまた文学の仕事だ。いわゆる有名な「ブンガクサクヒン」を授業で取り扱う意味というのは、究極すればここにのみ意味を見いだすことができる。自分が学んだ大学の教授の言葉を借りれば、時代を越えて残る名作の表現というのは「その時代の表現水準に挑戦した言葉」だと言えるからだ。凡百の「娯楽作品」と「芸術」としての言語表現を切り分ける場所があるとすれば、それはこの一点にあると言えるだろう。その意味で、いくつかのラノベ作品なんかは、「時代の表現水準を変化させ」「多くの人々に受け容れられることで後代の表現のスタンダードを為した」という正しい意味で「芸術」だと言っていいと思っているよ。
最後に、「音楽・絵画・スポーツ」の「本物」が清新に与えるインパクトはなるほど大なるものがあることは否定しない。けれど、その「本物」を全国全ての学校の教室に持ち込むコストはどのくらいだろうか? そして、それと「本物の文学」を教室に持ち込むコストを比較してみれば、どうだろう。それでも、国語の授業は非効率的で不要なものと言えるだろうか。
まあ、こうして述べながらも、改めて「国語」の授業に期待されているものの大きさと現実との差違には打ちのめされるような気持ちではある。まだまだ、増田が触れていた「情報伝達」に関わる話とかしたいところなのだが、時間がないのでとりあえずここまで。
じゃまた。
これを全部読んでいない人間は「猿」です。
ちなみに猿に人権はありません。ネットで表現をする権利も自由もありません。よく覚えておくように。
レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』岩波文庫
ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』岩波文庫
ヴァレリー『精神の危機』
ハイデッガー『存在と時間』ちくま文庫, 岩波文庫, 中公クラシックス
ベンヤミン『複製技術時代における芸術作品』複製技術時代の芸術, 晶文社クラシックス
ウィトゲンシュタイン『哲学探求』大修館書店
デリダ『グラマトロジーいについて』
ベイトソン『精神と自然』新思策社
海外文学
『唐詩選』岩波文庫
シェイクスピア『ハムレット』角川文庫、新潮文庫、岩波文庫、ちくま文庫
ゴーゴル『外套』
ポー『盗まれた手紙』
エミリー・ブロンテ『嵐が丘』
フローベール『ボヴァリー夫人』
ドストエフスキー『悪霊』
カフカ『審判』
魯迅『阿Q正伝』
トーマス・マン『魔の山』
ザミャーミン『われら』
ムージル『特性のない男』
セリーヌ『夜の果ての旅』
フォークナー『アブサロム、アブサロム!』
ゴンブローヴィッチ『フェルディドゥルケ』
サルトル『嘔吐』
ジュネ『泥棒日記』
ロブ=グリエ『嫉妬』
レム『ソラリスの陽のもとに』
エリオット『荒地』
二葉亭四迷『浮雲』
樋口一葉『にごりえ』
島崎藤村『破戒』
田山花袋『蒲団』
有島武郎『或る女』
内田百〓『冥途・旅順入城式』
江戸川乱歩『押絵と旅する男』
谷崎潤一郎『春琴抄』
大岡昇平『俘虜記』
埴谷雄高『死霊』
安部公房『砂の女』
野坂昭如『エロ事師たち』
島尾敏雄『死の棘』
古井由吉『円陣を組む女たち』
後藤明生『挟み撃ち』
円地文子『食卓のない家』
中上健次『枯木灘』
斎藤茂吉『赤光』
萩原朔太郎『月に吠える』
北村透谷『人生に相渉るとは何の謂ぞ』
正岡子規『歌よみに与ふる書』
石川啄木『時代閉塞の現状』
小林秀雄『様々なる意匠』
花田清輝『復興期の精神』
江藤淳『成熟と喪失』
by 柄谷行人、他
追記
ネットにはほとんど「猿」しかいないんじゃないかと思うことも多いので、是非、脱「猿」してみて下さい。2chは「猿」の巣窟でもかまわないのですが、はてなが「猿」の巣窟であってはインフラ、リソースの損失だと思っています。実のありげな議論が起こっているなと思いきや、はてな「猿」が集団でやってきて議論を潰しているケースがほとんどなので。
http://anond.hatelabo.jp/20070507043101
http://x51.org/x/04/08/0431.php
漠然と、嗅覚は本能に近い(食欲とか性欲とかを刺激する)から、
大丈夫、当に雄飛すべし。中国の故事
良薬は口に苦くして病に利あり。忠言は耳に逆らいて行いに利あり。孔子
聴くことを多くして、語ることを少なくし、行なうことに力を注ぐべし。成瀬仁蔵
昨日が曇りなく公明であったら、今日は力づよく自由に働け、明日にも希望がもてる。明日も同様に幸福であれと。ゲーテ
天高うして鳥の飛ぶに任せ、海闊うにして魚の躍るに従う。大丈夫この度量なかるべからず。
衣を千仞の岡に振い、足を万里の流れに躍らす。大丈夫この気節なかるべからず。石川丈山
志なき人は聖人これを如何ともすることなし。荻生徂徠
よろしく身を困窮に投じて、実才を死生の間に磨くべし。勝海舟
臨終の夕までの修行と知るべし。上島鬼貫
危ぶむこと淵に臨むが如く、慎むこと氷を履むが如し。孝謙天皇
多くの事をするのは易いが、一事を永続きするのはむずかしい。B・ジョンソン
善を見ては渇する如くし、悪を見ては聾するが如くす。太公望
心は非常に楽しむべし苦しむべからず。身は常に労すべしやすめ過ごすべからず。貝原益軒
服従は人間の普遍的義務である。屈曲しない者は挫折するより外はないであろう。カーライル
我日々に三度わが身を省みる。曰く午前中何ほど世界に善を為したりやと。さらに夕と夜に。ブース
完全なある物を創作しようとする努力ほど、心霊を純潔ならしめるものはない。ミケランジェロ
労働は適時にはじめること。享楽は適時に切り上げること。ガイベル
人間が自分の仕事において幸福であろうとするならば、その人間はその仕事を好きでなくてはならぬ。その人間はその仕事をやりすぎてはならぬ。その人間はその仕事を成功するという感じを抱いていなければならぬ。ラスキン
真の閑暇とは、われわれの好きなことをする自由であって、何もしないことではない。ショウ
ひとびとは閑暇を犠牲にして富裕をうる。だが、富裕をはじめて望ましいものにする唯一のものである自由な閑暇が、富裕のために犠牲にせねばならないならば、私にとって富裕が何になろう。ショウペンハウエル
学問は、ただ年月長く、倦まず怠らずして、励み力むるぞ肝要にして、学びやうは、いかやうにてもよかるべく、さのみは拘はるまじき事なり。本居宣長
ランプがまだ燃えているうちに、人生を楽しみ給え。しぼまないうちに、ばらの花を摘み給え。ウステリ
最も純粋で最も考えぶかい人は色彩を最も愛する人々である。ラスキン
「熱望」することはこの上もなく容易なのに、「志す」ことはなぜ、そんなに難しいのか。熱望のさい、口を利くのは弱さであり、志すさいには強さだからである。リントネル
人間が、自分で自分の内から才能をつくらずに、これを他人から貰い受けることができると考えるのは、無理な話であって、あたかも招かれた先で、医者とたびたび晩餐を共にするだけで、健康を養うことができると考えるようなものであろう。プルースト
日に新たに、日に日に新たにして、又日新たなり。大学
機会を待て。だがけっして時を待つな。W・ミュラー
人生の幸福とは何であるかを知ったら、お前は人の持っている物など羨ましがる必要はない。プルターク
およそ事業をするのに必要なのは、する力ではなく、それをやりとげるという決心である。リットン
私は想像する。私はそう思う。私はそう信ずる。私はそのとおりになる。ヨガのことば
人事を尽して天命を待つ。古諺
艱難汝を玉にす。日本のことわざ
問題を正しく掴めば、なかば解決したも同然である。C・ケタリング
今日立てたプランは、その日に最高なのであって、次の日には、すでに最高とはかぎらない。周囲の状況は、生きかつ動いているから、毎日毎日、計画を検討すべきだ。加藤升三
真実とは苦い薬である。人はそれをのもうと決心するよりも、むしろ病気のままでいる。コッツェブー
あることを真剣に三時間考えて自分の結論が正しいと思ったら、三年間かかって考えてみたところでその結論は変わらない。ルーズヴェルト
あるのは目標だけだ。道はない。われわれが道とよんでいるものは、ためらいにほかならない。カフカ
われわれが悩めるひとにあたえることができるいちばん正しい助力は、そのひとの重荷を除去してやることではなく、そのひとがそれに堪えうるように、その人の最上のエネルギーを喚び出してやることである。ヒルティ
天才とは自ら法則を作るものである。カント
人間の強い習慣や嗜好を変えるものはいっそう強い欲望のみである。マンデヴィル
読書は人間を豊かにし、会議は人間を役に立つようにし、ものを書くことは、人間を正確にする。ベーコン
平凡なことを、毎日平凡な気持で実行することが非凡なのだ。A・ジード
やってみなわからしまへんで、やってみなはれ。鳥井信治郎
何でも見てやろう。小田実
わたしの前には道はない。わたしのうしろに道ができる。高村光太郎
一度に一つずつ行なえ。あたかも自分の生死がそれにかかっているような気持で。U・グレース
一日に少なくとも一つは自分の力のあまることをなしとげようとしない限り、どんな人間でも大した成功は期待できない。E・ハーバート
相談するときは過去を、享楽するときには現在を、何かをするときには未来を思うがよい。ジューベール
人間とは一つの総合――無限と有限、時間的なものと永遠なもの、自由と必然――である。キェルケゴール
大事な事は数字を使って話すことではなく、数字に裏うちされた行動を起こすことである。中村輝夫
己が欲を遂げんとて義を失ふは、小人と申すべし、されば、義を目的として欲を制し申すべきことと存じ候。広瀬久兵衛
学問ありて、しかるのち先見あり。先見ありて、しかるのち力行あり。カント
死ぬよりも、生きている方がよっぽど辛い時が何度もある。それでもなお生きていかねばならないし、また生きる以上は努力しなくてはならない。榎本健一
若者の遊山を好むは、然るべからず候。御奉公の道油断なく候えば、遊山がましき事存ぜず候。又徒然なる事もこれなく候。藤堂高虎
天才?そんなものは決していない。ただ勉強だ。方法だ。不断に計画しているということである。ロダン
桃李もの言わざれど、下おのずから蹊をなす。史記
今日を捕えよ。他日ありと信ずることなかれ。ホレース
「いったいどれだけ努力すればよいか」と言う人があるが「キミは人生をなんだと思うか」と反問したい。努力し創造していく間こそ人生なのである。御木徳近
日々を神とともに始め、神とともに終われ。ウェスリー
学生よ勤勉なれ。この語の中には学生の有すべき一切の美徳が含まれている。カーライル
美しいバラは刺の上に開く。悲しみのあとに必ず喜びがある。W・スミス
善いものは常に美しく、美しいものは常に善い。ホイットニー
ものを観るのに目をあいただけでは足りない。心の働きがなくてはならない。ミレー
ささいな出費を警戒せよ。小さな穴が大きな船を沈めるであろうから。フランクリン
悦びは人生の要素であり、人生の欲求であり、人生の力であり、人生の価値である。人間は誰でも、悦びへの欲求する権利を有している。ケップラー
汝の敵には嫌うべき敵を選び、軽蔑すべき敵をけっして選ぶな。汝は汝の敵について誇りを感じなければならない。ニーチェ
価値は名声より尊い。F・ベーコン
偉大なる精神は、偉大なる精神によって形成される。ただしそれは同化によるよりも、むしろ多くの軋轢による。ダイヤモンドがダイヤモンドを研磨するのだ。ハイネ
光はわが世に来りつつあり。人は闇を厭い光を愛す。カーライル
花のかおりは風に逆らえば匂わず。されど、善き人のかおりは風に逆らいても匂う。法句経
愛は精神を与える。そして精神によってみずからをささえる。パスカル
春に百花あり秋に月あり。夏に涼風あり。冬に雪あり。すなわちこれ人間の好時節。松尾芭蕉
修身斉家治国平天下。大学
勤めても、また勤めても勤め足らぬは勤めなりけり。道歌
非理法権天。楠木正成
私はつねに、二年先のことを考えて生きている。ナポレオン
人生においては、チェス競技のように用心が勝利を収める。バックストン
いかに快くとも未来を信頼するな。死んだ過去はその死んだものを葬るがよい。生きた現在に行動せよ。意気を心に、神を頭上に。ロングフェロー
現在は過去と未来との間に劃した一線である。此の線の上に生活がなくては、生活はどこにもないのである。森鴎外
さらばここにまた一日、青空の朝は明けた。考えよ。汝はそれを無用に過ぎ去らしめようとするか。カーライル
簡素で高ぶらない生活の仕方は、だれにとっても最上のものである。肉体のためにも精神のためにも最上のものである、と私は信じている。アインシュタイン
労働なしにひとり休息に達することもなく、戦闘なしに勝利に達することもない。T・A・ケムピス
世を長閑に思ひて打ち怠りつつ、先さしあたりたる目の前の事にのみまぎれて月日を送れば、ことごとなす事なくして、身は老いぬ。吉田兼好
冬来たりなば春遠からじ。シェリー