はてなキーワード: ハロウィーン文書とは
気持ち良いと思われやすい金の回り方と、気持ち悪いと思われやすい金の回り方があって
不透明な金の回り方は、より悪い想像をさせるから後者にとられやすい
企業は同じ儲けをあげてるんでも、なるべく前者に見えるように努力する
それは透明性の証明であったり、社長の人柄であったり、顧客満足度に努めるスタンスのアピールであったり、社会への貢献活動であったり様々
多少のコストがかかっても、そうやって企業のイメージをよくすることが結果的に収益に繋がるとある程度証明されてるからじゃないかな
それに社会から非難されている会社に勤めてるより、社会的に認められてる会社に勤めてた方が、社員の意欲もあがると思う
金の流れだけを考えると、確かに金のない奴からあるほうへ流れるという結果しかみえないけど
同じ流し方をするんでも、気持ちよく金を落とさせる、金の流れに疑心暗鬼にさせない、というマジックは現実にあるし
同じように金が流れるなら気持ちいいほうがいいに決まってる
内側には企業イメージをあまり重視しないって問題もあるんじゃないかなー
例えば悪者にされやすいマイクロソフトと、そうではないアップルにはそれなりの理由があるんだよね
(僕は林檎信者ではないけど、ハロウィーン文書を読んでわろちゅwとは思うし、IEが滅びないので仕事が増えてdamnとは思う)
ある時期に「オープンソース」というものがすごいぞと喧伝されていたことがあった。
ソフトウェアを作る際、プロジェクトリーダーがスケジュールや役割分担を決めて作っていくよりも、
ネットを通じて不特定多数が思い思いに自分のアイデアを注ぎ込み、
一つのものを作った方が色んな奴の知識や発想によってすごいものが出来るぞ、という考え方だ。
どっかの外国人が旗振りとなって、色んなプログラマが賛同して、それなりに盛り上がった。
でも、結局、今見てみたらどうだろう?大失敗じゃないか?だって、リナックスはOSの主流になってないじゃん。
梅田望夫はオープンソースの思想をプログラミングの分野だけでなく
ネットを使って人文科学などにも応用したらなにやらすごいことが起こるはずだ、と書いていた。
速水健朗はそれを「ニューエイジ」と切って捨てていたけど、でもある程度は成功していると思う。
その一つの集大成がウィキペディアだと思う。今やウィキペディアは誰も読みきることができない雑学の貯蔵庫になっている。
プログラミングの分野から出発したオープンソースの思想だったけど、結局はプログラミングでは失敗した。
やっぱりお金をかけた企業製品の方が優れているし(そもそも優秀なプログラマは企業に囲われちゃうしね)、
便利なフリーウェアはあるけどみんな個人個人で作っていて、誰もオープンにしちゃいない。
マイクロソフトがオープンソフトについて分析した「ハロウィーン文書」にあるように