はてなキーワード: タケルンバとは
(あるいははてなにおいて戦線が拡大し収束不能になる過程の記録。)
悪いのは誰? - ある無人島漂流の物語 - タケルンバ卿日記
ま、これだけみんなが何かしら引っかかっているということは、それだけ良問ということなんだろうな。エクセレンツ。
@_temaki_ あ、そこか。あれは違うんだよ。話を聞いた女の子(研修した子)がそう言ってたんだよ。「感情論でおしたんだけど、ダメでしたー」って。俺が感情論って判断したわけじゃなす。
@Yoi ああ、あるでしょうね。実際、その研修時、論理的な回答をした男性に女性陣はd nbkだったそうですw
※dnbk=どんびき、らしい。
@yoppa0516 そうそう。俺もそう思ってたの。こういう喧々諤々できる設問がいいのにね。価値観がバラバラだから、思考実験にいいのに。なかなかおもしろいリアクションだと思った。これは新発見。
@Yoi 思考実験とはいえ、身に置き換えて考えやすいからこそ、痛みを伴うのかもしれませんね。想像上の世界とか、思考や論理ではなくて、自分の身に置き換えて考えやすいのかも。
@Yoi そうですね。共通の答えを導くプロセスの学習と、ほどほどの妥協の必要性とか。そういう社会性を身に着けるのに適しているかと思います。
@_temaki_ そうなんだけど、それを会社の研修という強制参加の場でどうよって反発はようわかる。わかるが、それは俺のせいじゃないw 第一、俺が講師か研修担当者なら、この論題選ばんよ。
@threelz つか、研修受けた人の話聞く限り、そういう研修なんよ。まとまらないことを学ぶ研修というか。あるいは強引にまとめることで、まとめたかに見えて、実はバラバラになる体験をしたりとか。
※以下流れを大づかみにつかむための説明文なので、詳細は本文を参照してくださいです。
論理的思考と説得の技術を試す機会だ、という考え方は『それはそれでひとつの考え方なのでしょう。』としながら
『女性の感情論を、ムリヤリ数の力と、論理で押し切ったようですな。』という卿の発言を批判。
会社の行った研修に対しても『低俗な心理テストもどき』として短く批判。
『「関係を迫った男が許せない」、「関係を持つことを条件に、船を直すだなんてヒドイ!」という極めて当たり前の道徳を、平気で「女性の感情論」と切って捨てることの出来る非道さを見るだけでも、このバカが如何に拙劣な人間性しか持ち合わせていないことは即座に理解できよう。』
「川を渡る女」の改編であると指摘。
『まあ、こういうしょうもないディスカッションって新人研修でやるところあるよな。俺が最初にこの業界で潜り込んだ会社でもやってた。正直アホらしかったがな。』
『ちなみに研修のときの回答は、「ただ、Lさんが金槌持ってSかBの後頭部ぶっ叩いて気絶させて有り金と船パクって渡っちまったら万事すべて解決するだけの話じゃね?」と。研修担当の産業カウンセラーから「あなたはめちゃくちゃ反社会的で歪んでる。」と言われたけどね。アホらしくて付き合う気にもなれない。』
『そもそもさ、このくだりもかなり偏見が入ってるわけで。元々、その女性たちの意見を「感情論」と片付ける発想と、「金出せばやらせてくれるからいーじゃねーか」というのを論理と考える発想ってさ。それこそ以前炎上した原因そのまんまの話なわけで』
価値観を問題にするのであれば一つの結論を出せるはずがないので、ディスカッションの意味がよくわからない、という批判。
卿のtwitterでの発言に対し批判に対し傍観者になるべきでないと批判。
(後に卿は該当の発言は仕事に対するものだったと弁明。)
id:takerunba これだけブコメがついて、誰一人、個人的な仕事についての発言という可能性を考えない件について。何でもかんでもブログのことについて発言してると思ったら大間違いあるよ。
このテーマでGDをセットした企業を『題材提示の時点で既に性差別が存在している』として批判。
『もし欧米の企業で同じ研修が行われたら、担当責任者の首が飛ぶ問題になりかねません』日本企業の性差別へのデリカシーのなさ等を批判。
「無人島」は「「川を渡る女」の『「性的な局面においてその人の大事にするものがわかる」という認識に基づく改変です』と指摘。
『その発想が新入社員研修において持ち出されることがセクシャルハラスメントでないなら、セクシャルハラスメントという概念が何であるかさっぱりわからない。』と批判
『そう。この設問は、それそのものが理不尽なんだろう。』としながら一連の流れが面白いという反応。
『この話では誰が悪いという結論はどうでもよくて、その過程の反応にこそ価値がある。』としている。
話の論点は『「答えの出ない理不尽な状況下に、個人とビジネスどちらを優先するか?」』にあるのではないかという考察。
GDの議題に対する個人的回答。
問題文を読み変え再設定することで上手く切り抜ける方法を提示。
その後、『こういった鬱展開に揺らがないためにはどうすればいいのか?』という問題に対し、独特の考え方が続く。
『そしてもちろん僕は僕自身の宗教を打ち立てる道を選んだ。大学一年の春のことである。』
『僕の宗教に神はなく、ただ僕と僕以外がいるのみである。世界に不幸があるのはつまるところ僕が世界を救わなかったからだ。』
twitterでのy_arimとのやり取り提示しながら卿の意図の推測と卿への批判。
『ビジネスの場、それも一企業の内部では、多くの場合で前提状況そのものを問うことは禁じられている。
いや、禁じられてなどいないかのようになってるけど、誰も歓迎はしない』として
この議題は差別的なジェンダー規範を内面化させものではないかのではないかとして批判。
『それにしてもid:takerunbaさんは少し叩かれすぎだと思います。』卿を条件付き擁護。
研修がアウトソーシングされそこで企業の日常業務では到底ありえないような行為が公然と行われるケースが多くあることを指摘。企業の研修が「聖域」となり、パワーハラスメントの場になってしまうケースが少なくないことを指摘。
卿は厄介な問題だという認識を欠いたまま首を突っ込んでしまったのかもしれないとコメント。
『あの課題の設定された目的(どの価値観を重視するかという話)とはかなり離れたところで、ふと哲学的な疑問が沸きました。選択の余地があるのと無いのと人間はどっちが幸せなんだろうという話。』
セクシュアリティにからまない別の設問を提示した上で、正答の無い問題を考えること自体は良いことなのではないか、という視点を提示。
※戦線が拡大しすぎてこれ以上追うのはむりぽ。
興味がある人は元エントリのはてブ>「このエントリを含むエントリ」で確認してください。現時点で32コある。
あとはキーワード無人島ではてブ検索とか。エントリについてるタグで飛ぶとか。
派生エントリにはトラバ売ってるけど元エントリにトラバ打ってないエントリも多い。
>id:Midas 面白そうなのでエントリ書いてここのブクマで告知してもらえればまとめに追記しますよ。
>id:matcho226 あまり考えてなかったので反省した。まとめエントリがほしかったけどなかったので書いてみた。
ぼくはid:y_arimが好きだ。
タケルンバのとこの一件でさらに好きになった。
彼は、異常にやさしい。タケルンバがおかしなことを言ってるときに、友人だからこそ「それおかしいよ」と言う。でも、友人だから、友人を責めるような言い方をすることがつらい。自分が「正論」を吐くことによって、それに「乗っかって」タケルンバをDISる人が増えることは、きっと彼にとってとても辛いことなのだろう。そうして、「友人」をめぐって彼は消耗して、だけどそれを「友人のせい」にできなくて、さらに苦しんでしまう。ぼくの目にはそういう風に映る。
そうやってどうしようもなくなって、twitterに弱音をPOSTするy_arimもぼくは好きだ。彼の攻撃性は、いつも最終的に自分に向って、自分を苦しめている。それはたしかに病気なのかもしれないし、本人を傷つけてしまっているのかもしれないけれど、その苦しみが友人への優しさから来ているものであるようにぼくには見えるから、ぼくは全力でy_arimに「少なくともぼくが見ているy_arimはとても素敵な人間だ」と伝えたいと思う。
匿名ダイアリで書いてしまうあたりがぼくの小心者っぷりを表しているのだけれど。この文章が余計な心労をy_arimに与えないことを願う。
追記:タケルンバのだいぶ昔の記事がまた炎上してて、なんかy_arimも辛い気持ちになっているのではないかと思って辛い。
追記2:なんかハックルベリーの人疑惑みたいな部米がついてますけど、ちがいますよ。
追記3:やられた…!http://anond.hatelabo.jp/20090122120756
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090116/p2
断然、おじいさんが悪い!
じじいが悪いです(キッパリ)。理由はこう。
最も無責任だから
この話の場合、登場人物が5人だけど、
たとえば6人とか7人くらいで、相談されない人がいたらどうなるんだろう?
まったく相談されなかったAと、おじいさんに相談していたのを見ていたBがいたとする。
二人ともそれだけで何もしないとする。
AはともかくとしてBは悪くなりそうだよね。
相談され、事実上スルーしたことでおじいさんが「責任」を負わされるのなら、
話を聞いたのに何も行動を起こさなかったBはもっと悪くなる。
おじいさんが行動を起こさなかったことに対してアクションをとらなかったし、
妻にたいしてもアクションを起こさなかったからだ。
なので、このおじいさんは、通りいっぺんの答えをしながら、何の解決方法も示せず、ただ妻を突き放した。それだけなのです。で、それが最も罪深い。何のリスクも負わず、知らん顔。そういう状態だと思うので、俺としては最もひどいと。そう思うわけです。自分が無責任な傍観者であることを嫌うという理由も大きいけどさ。
「リスクを負わないことが悪い」という結論はどうだろうね。
まさしく最後の行で言ってるんだけど、
この話のような少数限定の限界状況でなければ、大抵のことでは、僕らは否が応でも傍観者にならざるをえない。
「何もリスクを負っていないおじいさんが悪い」ってのはブーメランで、見てるだけの人間は常に「悪」になってしまう。
だとしたら正直、たまったもんじゃない。
といいつつ、
ちょっと前(1〓2年くらい)関西の方で、特急電車でレイプ事件があったけど、それを思い出すなあ。
「共犯者」としての目撃者。
おじいさんは「共犯者」なのかな?
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20090116/p2
というのが話題にあがっていた。
実は、昨日行った某企業の説明会のグループディスカッションでも、同じような話が出てきた。
ある婚約者(L美とB男)、その妻に思いを寄せる男性(S郎)、資産家(M夫)、そして関係の無い若者(H男)。
L美とB男は川の向かい側にそれぞれ住んでいて、彼らは普段橋を渡って会っていた。
二人は将来結婚するはずの幸せな婚約者同士だったのだが・・・ある日突然台風が川を襲い、橋を壊してしまった。
橋が修復するのにどれくらい時間がかかるのかは分からない。数週間後かもしれないし、数か月後かもしれない。
橋が壊れてしまったので、L美がB男に会いに行くには船を出して捜索するしかないが、L美には船をつくる能力もなければ、船を所持していない。
そこで二人が助け舟を出した。一人はM夫だった。
M夫「船ならすぐに出せるよ。ただ、100万円を渡してくれなければそれは無理だね」
彼は資産家だったのだが、渋チン野郎でもあったのだ。L美はそれを断った。
L美はもう一人の男性、S郎に頼んだ。「船を出してください。B男に会いたいのです」と。
S郎は直すと言った。だが、条件をつけた。その条件とはS夫と一夜限りの関係を持つこと。
「あなたのことがずっと好きでした。あなたに婚約者がいることも知っています。一夜だけでもいいんです」
L美は結局、S郎と関係を持った。S郎は約束を守り、船を出した。
向こう岸についたB男は驚いた。「何で君がここにいるんだ」と。
L美は夫に、B男に会うため、船を出してもらうために男性と関係を持ってしまったことを告白した。
B男はL美を許さなかった。不貞であると。B男はL美との婚約を破棄した。
すべてを見守っていたH男はL美にこう言った。
「あなたはとても正直な方です。B男に嘘をつくことができたのに、それをしなかった。そんな正直なあなたのことが好きです」
本筋はだいちょっと違う部分もあるが
・最後の人がおじいさんではなかった
・無人島ではなく、川が出てくる
他はだいたい同じだろう。
・船が出てくる
・船を出すために、女が関係を持つ
・すべてを見守る人(関係ない人)が出てくる
さて、誰が一番悪いのか?
…というのはどうでもよくて、「何を重視するかによって、物事の価値は変わってくる」
ということを言いたかったらしい。
・L美-LOVE 企業愛、会社愛とかそういう愛なんだろうか?
・M夫-MONEY 金はやっぱり重要ですよねー。金がないと企業が成り立たない
・S郎-SEX 不倫愛とかセクハラ的な要素は会社にとってもマイナスなんじゃないんですかね
・H男-HUMANITY 「人間を大切にする」「お客様第一」的な要素なのだろう
・B男-BUSINESS 合理的判断をするのがビジネス、という意味合いなんだろうか
多少こじつけっぽい感じもするし、何だか「疑似科学的」なそういう気持ち悪さすら感じた。
さらに、はてブのコメントでも書いたが、キャラクターの名前がM夫だったから
「こいつ、マゾ野郎なのか?」という事が気になっていて質問やディスカッションに全然集中出来なかった。
以上、とりとめも無い話でしたとさ。チャンチャン。
もちろん、妻が一番悪い。
確かに人の弱みにつけこんで性交渉を迫った男はひどい。下衆だ。
しかし、どんな売買春契約でも、買う人しかいないならその契約は成立しない。
妻は取引に応じたのだ。たとえ夫の失踪で気が弱っていたとしても。自分の意志で。
それによく考えてみて欲しい。
妻には取引に応じずに自分で夫を探す手段がいくらでもあったはずだ。
自分の服を浮き輪代わりにして海を探索してもいいし、泳げないなら足がつく範囲の浅瀬を歩き回ってもいい。
気を失った夫が浜辺に漂着しているかもしれない。無人島を歩いて一周して探すという手もある。
それに素人が船で当てもなく海に出たところで簡単に見つかるはずもなかろう。
こういったことをまったく考えずに、妻は取引に乗った。
いや、逆だ。自分で考えたくないから。自分で自分の行動に責任を取りたくないから男の提案に従ったのだ。
いや、これも不正確だろう。
彼女は売買春契約を結ぶという決断さえ自分の主体的な判断でしていない。
そう、おじいさんに「相談」しに行ってるところだ。
多くの人に心当たりあるだろうけど、こういった場合の「相談」というのは嘘だ。
AかBかどっちがいい?と訊いてるときには既に「相談者」の心は決まってるのだ。
じゃあなぜわざわざ人に訊くのか?
失敗したときに人のせいにしたいから。自分で自分のリスクを引き受けることができないから。
あげく、黙っとけばいいのに夫に不貞を告白する。
どうせやったなら墓場まで自分の頭の中に隠し通しとけば万事丸く収まるのに。
ただ自分が楽になりたいから。
一言で言うとバカである。
以上、ぼくが妻が悪いと思う理由でした。
ちなみに、もっとも悪くない(というかどーでもいい)と思うのは同ポイントでおじいさんと「妻に思いを寄せる男性」。
理由を訊かれても困る。ぼくにはこの二人が悪いとする視点が想像できない。
男の子一人一人には綺麗な引き出しがついていて、その中にはあまり意味のないがらくたがいっぱいつまっている。
わたしはそういうのがとても好きだ。
わたしはそんながらくたのひとつひとつをひっぱりだしてほこりを払い、それなりの意味を探し出してやることができる。
『羊をめぐる冒険(上)』141ー2ページ改編
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タケルンバ擁護するわけじゃないが、批判のポイントがズレてる気がする。
「ひと口も味見せずに、いきなり」醤油とかかけんな、と言ってるだけで
ひと口食べた上で、やっぱりかけた方が旨いと思ってかけるのは否定してないと思うぞ
あと、ひとの料理をつまむ云々も、じか箸いやなら
取り皿・取り箸使えばいいだけのことじゃん。
じか箸を受け入れろとは、書いてないぞ
なんでも醤油をかけるヤツがいるのです。マヨネーズを欲しがるヤツがいる。胡椒をかけないと気がすまないヤツがいる。オレがうまいと思って連れて行ってるのだから、とりあえず一口目くらいはそのままで食ってみりゃいいと思うわけですが、まずかけてみる。味を変えてみる。自分好みの味にしないとダメなんですねえ。
こういう輩を連れて行くと、これはこれで「変なの連れてきてごめんなさい」という気分になる。その店はその店の味付けにこだわりがあるもんだし、自信もあるはずなのに、それを確認もせずにいきなり味付けを変えに行くのはどうかなあと。「味付けクラッシャー」だし、場合によっては「味付けレイプ」。
「あ、しょっぺえ。醤油入れすぎた。……もういいわ、これ」
説教したい。
まあ俺が何にでもかけて食べたりするわけじゃないが、
「オレがうまいと思って連れて行ってる」とか。
だからなんだと。
「その店の味付けにこだわり」を重視しなきゃいけないいわれはないし、
自分の好きな食べ方をしてるだけで「味付けレイプ」呼ばわりはひどい。
それから、こういうのもなあ・・・。
グループで行ったときは、お互いの頼んだものをつまめばよろしいじゃないですか。また、それを前提として「グループとして」注文するものじゃありませんか。
(まあ、例にあがってる自分で注文したのは自分だけで食べて、人がつまんでるのも食べるってのはひどいと思うけど)
俺は人が箸をつけたものは食べられないから、グループでつまむようなのはお断りする。
結局「俺流儀」でなきゃいけないんでしょ?
俺はこういう人とは食事に行きたくない。
まあ、この人と食べるとまずくなると思った人とはもう食べにいかなきゃいいとは思うけどね。
http://anond.hatelabo.jp/20080828111101
http://anond.hatelabo.jp/20080828113539
一応、この二つは俺によるレスってことを明記しておく。
ublftbo あなたも相当「俺流儀」ですよね
「俺流儀」を主張してるのはお前だろw
典型的なコミュニケーション能力不全w お前が嫌がってる「俺流儀」こそがお前がやってることだって気付けよ。
「俺流儀」を主張してるんじゃなくて、「俺流儀の尊重」を主張してるつもり。
「俺流儀」を押し付けてくるな、それぞれの俺流儀を尊重しようよ、ってね。
お店に対して不作法というよりは、連れて行ってくれた相手に対して不作法だろう。 「これが美味しい」と言って連れてきているのに、それをまったく信用してないということだし。
そういう「作法」があるのは理解するけど、悪しき作法だと思ってる。
結局多数派の論理だからね。
「『これが美味しい』と言って連れてきている」かどうかは状況次第だけど、
少なくともそれを明言してなければ、「まったく信用してないということ」ってのは「読み」でしかない。
(読みが当たりとは限らない)
ymScott 食・レシピ, これはひどい ふざけんな。味も見ないで調味料足して、どうやって味の調整ができるんだ馬鹿野郎。お前は見ただけで味が解るエスパーなのか?/払ってるのは食うための料金であって、料理を蹂躙する代金ではない。
俺がそうだとは書いてないけど、調味料足さなきゃ食べれないって人もいるだろうし、何であろうが調味料足すのが好きって人もいるだろうよ。
「払ってるのは食うための料金」には同意するけど、それには調味料を足す権利も含まれると思う。
「正しい」食べ方じゃないと許せないとかどんだけ狭量なんだって話だよ。
増田は料理を作ったり、他人に食べさせたりしたことがなさそうだから書く。
彼女や嫁さんが作った料理に同じことをしたら、相手を萎えさせることは知っとけ。
知ってて、敢えてするなら、不和になるぞ。
いや、人に料理を作ったことはあるよ。
というか、自分がかけるわけじゃないって書いてあるの読めよ。
だけど、何にでも調味料かけなきゃだめって人は、
そういう間柄の人にはきっちり話して理解してもらうのがいいと思うけどね。
まあ、俺自身はこうされても特に気にしない。
steam_heart つ取り皿
REV つ取り箸
なるほどね。確かにそういう形にしてもらえば問題ないね。
(俺は何にでもまず調味料をかけるってタイプではないけれど、)
「マナー」とか「常識」かもしれないが、俺はそれには理がないと思うのでそんなものに従おうとは思わない。
(「軽蔑されるよね」って言ってるだけでするとは言ってないが、)
軽蔑したければすればいい。
そのまま食べてほしければ、そのままのほうがうまいからそのまま食べてみろって言えばいいんだ。
(そして、調味料をかけなければ食べられないならそう返せばいい)
マナーとか常識ってのは必ずしも共有や了解されてるわけではない。
「それが当然」で「そうしないのはおかしい」としてしまうのは悪しき全体主義みたいなもんだ。
Straynap 増田, 食事, ネタ マイ調味料がベストかつマストなら調理時の味付けは不要では。「調味料足さなきゃ食べれない」「何であろうが調味料足すのが好き」本当にあらゆる食べ物に必ず足す人ならその主張は尊重する。デザートにもかけようか
すでに味付けてあったら仕方ないような。
ほとんどのおかずのみ適用ってのは普通にありそうだけど、例外があったら尊重しないの?
全部なら尊重するけど、例外があったら駄目ってのはよくわからないな。
sajiwo 増田 暗黙の了解とかマナーとかうぜぇとか思ってるんだから放っておけばいいじゃん。塩分過多で高血圧になって早死にすればいいじゃん。
ここらへんや、はてブ等々を見ていると、そんなんだから遅漏になるとか、早漏で候とか
しかし、そもそもそのような議論に興味は無い、
ポリネシアンセックスとは?ムードがとっても大切![LCのちょっとHなラブ・コラム]
ポリネシアンセックス派にとっては、早漏だろうが遅漏だろうが関係ない。
そもそも、そのような議論とは時間の流れが違う。
早漏??遅漏??
否。
ちなみに、俺は、朝から晩飯前まで3回セックスした後で、寝る前に律儀にオナニーをして
しかし、遅漏になることなどないし、オナニーのし過ぎと遅漏との間に相関関係など、
少なくとも、俺に限っては無い。
あるとすれば、それは、そいつのオナニーが変態的すぎるからだろう。
経済的な合理化が叫ばれるこの現代において、スローライフの最後の聖域が、
セックスまで、合理化を求めてどうする??射精のスピードなど、どうでもよいでは
ないか。個人差などどうでもよいではないか。
懸命なる諸兄においては、セックスの目的を見誤ることなく、射精道を追及して
頂きたいと願ってやまない。
http://d.hatena.ne.jp/takerunba/20080720/p2
http://d.hatena.ne.jp/gothedistance/20080722/1216664081
この辺の発言とブクマコメを額面どおりに受け止めたが、限定も留保も無しに「発言を額面どおりに受け止めること」を賞賛する態度というのは正直どうかと思う。「発言を額面どおりに受け止める」ことが有用な場合もあることは否定しないが、それを採用すればアナタも幸せに、なんて手軽なもんではないことは明らかだからだ。
端的に言えば「発言を額面どおりに受け止めること」というのは「冗談の通じない」状態のことだけれども、「冗談を冗談と受け止めず、過剰反応する人々」はかなりうんざりするような存在だし、当然世間から肯定的に扱ってはもらえない。幸せになることも難しいだろう。――もちろん、「発言を額面どおりに受け止めること」を無条件に礼賛する人々が、そういう冗談を冗談と受け止めず、過剰反応する態度に肯定的とは思わない。例えば、発端となったエントリを書いたタケルンバ氏自身、冗談を好んで使う。だが、冗談と非冗談の境界を分けるものは、全ての人に自明ではない。そこには既に「空気を読んだ」判断が求められる。(最近あった示唆的なニュースだが、このようなものがある>http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080719-00000051-san-soci)
つまり、「発言を額面どおりに受け止めること」という態度は非常に恣意的に使われており、しかも、その恣意性というのは結局「空気を読んでいる」「社交辞令」と何ら変わりがないということだ。だから、この手の「額面どおりに受け止めている」人からのアドバイスというのは概してあまり役に立たない。結局何に対して「冗談だ」という認識を行い、何に対して「額面どおりに受け取る」と判断しているのかが分らない人が同じ事をやってみても、袋叩きにされて終わる。こうした恣意性に全く非自覚的なまま、「額面どおりに受け止めたら?」なんてアドバイスを平然とのたまう彼らの姿に深い憎しみ(*)を覚える。同じことが出来るなら苦労はない。問題は「額面どおりに受け止める」ということだけでは解決しないのだ。
(*)もちろん、自分が彼らに感じる憎悪は、全く理不尽な感情だとも思う。自分自身「持てる者」であることに非自覚的なアドバイスをしたことは何度もあるし、いちいちこのような指摘をするのもあまり建設的とは思わない…が、そう感じることは禁じられない。せめてそれを自分の心に留めることさえも『「相手にこう思われたらどうしよう」を捨てよう!』なんて安直な言葉で否定するのなら、そう言った側は、その結果出てくる憎悪を受け止める自覚も当然に所有していてくれよ、とは思う。