もしもカレー味のウンコが目の前にあるとして、なぜそれがウンコだってわかるんだろう。味は完全にカレーだ。味覚がカレーだということは、おそらく嗅覚でもカレーだとしか判断できないんだろう。味覚と嗅覚は密接に関連しており、鼻をつまんで舌だけで食材を味わっても、何だかさっぱりわからないことは風邪をひいたときのようにザラにある。
カレー味のウンコは恐らく、味覚も嗅覚も、そしておそらく食感もカレーなのだ。
食感ということは触覚もカレーと同じなんだろう。
五感で残るのは聴覚と視覚だが、口の中で噛んだときの音も同じなんだろう。カレー味のウンコとウンコ味のカレーという究極の選択肢があげられているからには、見た目からしてわかりづらいはずだ。
要するに、五感のすべてがこれをカレーだと判断しているのに、これがウンコであると定義づけるのは何であるか。人間の理性は時間と空間という枠組みの中で、五感でとらえたものしか認識できない。
言い換えるならば、カレー味のウンコが食べられない人は、五感でとらえられないウンコである本質、「ウンコ性」をカレー味のウンコは有していると考えているはずだ。
この目に見えない本質は恐らくプラトンの唱えたイデアである。イデア世界のウンコ、ウンコの理念を不完全ながら有しているのがこの世界のウンコである。
プラトンはウンコを食べることを拒絶するだろうから、ウンコ味のカレーを選ぶだろう。
一方で、イデアに対して否定的であったアリストテレスなら、カレー味のウンコはすでにカレーであると判断し、カレー味のウンコを選ぶはずだ。
このプラトンの立場を取り、ウンコの理念が実在すると考えるのが実在論であり、ウンコの理念はなくウンコという名があるだけなのが唯名論ということになる。これが普遍論争だ(逆だったので直した)。
きのこ形のたけのこの里と、たけのこ形のきのこの山 どっちを選ぶかで哲学的スタンスがわかるわけだね
コーヒー味のウンコであるコピルアクは高級品として重宝されているから、 病気とかの実害がなければカレー味のウンコが社会に受け入れられてても不思議じゃない気がする
カレー味でもウンコを食えば肝炎になって死ぬのでここは嫌でもウンコ味のカレーを食うしかない
倫理の覚えづらかったやつ、このノリで全部解説してくれたら売れる。 センター古典のためにゴロゴ13(知ってる?)を買う俺のような奴は多分買う。
まる検ニュース : 【悲報】ワイ、ソープで嬢のウンコを食べて寝込む https://l.pg1x.com/fvHKytmvPQDoNLTS7 アリストテレスはうんこ食って死ぬ。