単に「死にたくない」だけで生きていていいと俺は思うんだけど、一応理屈も絡めて書くね。
オオカミの社会ぐらいシンプルであれば、群の中に「リソースを創出する側」と「リソースを消費する側」しか生まれないだろう。
あるいは、中世の村社会ぐらいの規模であればまだ成り立っていたかもしれない。
しかし、現代の人間社会は非常に巨大で複雑になってしまっていて、一体誰が「創出」して誰が「消費」をしているのか、一見ではわからない。というか、現代社会においては、ほとんどの場合、誰かの「消費」はすなわち誰かの「創出」に繋がってしまうので、あらゆる人がその瞬間瞬間でリソースの創出と消費に同時に関わっているといえるかもしれない。
人間が作るリソースは単に子を成すこと、労働をすることだけによるものではなくなってしまっている。「生きているだけで価値がある」というのはもうすでに綺麗事ではなくなっていて、現代社会で人間が生きていて、日々の生活をいろんな選択をしながら営んでいることそのものが、資本主義の巨大な社会を支える演算エンジンそのものになっているのではないだろうか。と思う。
だから、完全にドライな意味において、増田が生きていることで、誰かの得になっているんだと思うよ。もし増田が労働をするんだったら、もっとそうだと思う。
いつかの増田が言ったという、「役に立たない命は早く死んだ方がいい」という理屈は、数百年前には有効な土地も多くあっただろうが、現代においては端的に間違っている。
これから増田がどんなふうに生きて行くかは完全に増田自信の勝手なんだけども、俺としては、増田にも死ぬまで楽しく生きてほしいと思うよ。
現代日本はとにかく暇つぶしには事欠かない上に、その暇つぶしでさえも誰かの利益になるんだ。誰かの役に立ってないなんて気に止む必要はまるでないし、もしもっと役に立ちたくなったら、何かできることを探せばいい。
毎日増田の声が聞こえる。 少し前に話題になった、子なしを選択したけど満足してるというエントリーについた「フリーライダーはうちの子が納税する前に消えてくれ」の増田 顔も見た...
単に「死にたくない」だけで生きていていいと俺は思うんだけど、一応理屈も絡めて書くね。 でも私の命は役に立たずただ社会のリソースを食いつぶして未来ある子供たちを苦しめる...
ありがとう。確かにそんな簡単に括れる社会じゃないね。 私はたまたま納税しているけれど、納税してようがしてまいが社会の一員として価値ある命だよなあ。 子供を持てなかったこと...