「【ある迷惑な行為を繰り返す集団】は知的障害を持つに違いない」って考えは相当危うい気がするのだが、これをナチュラルに言っちゃう人見かけるんだよな
まあ撮り鉄の話なんだけど
属性で一括りにしてまとめて知的障害者扱いって雑すぎるのがまず一点
ひょっとしたら実際に知的障害を持つ人がいるかもしれない、さらにひょっとすると何らかの傾向があるかもしれない
だがそれでも一括りで言ってしまうとやばい、口に出して公言してしまうとそうでない人々への巻き添えダメージが大きい
そして二点目、罵倒語としての知的障害者、ここが自分自身怪しい箇所なのだが
「あいつらは知的障害者だ」という言葉が罵倒として機能してしまう点
もし本当に傾向があり、迷惑行為が知的障害由来だったならば何らかの公共の福祉などの対処が必要なのだろうけれど
この属性の人々は知的障害の傾向ありと判定すること自体が差別的に感じてしまう
知的障害者は差別されるべきでないのに(すべての人類は差別されるべきでないという大前提の建前)
差別的に感じるということは、自分自身は知的障害者へ差別感情を持っているということ
とても居心地が悪い気分になる
「撮り鉄は知的障害を持つに違いない」という発言に対して「そういう言い方よくないよ」と言ってしまうと、知的障害という括り方に侮蔑的ニュアンスを持っていることの自白になりかねない
世間一般に侮蔑ニュアンスがあるので自身がどう思うかはともかくそういう言い方避けた方がいいよ、という逃げ方もできないことはないが……
考えをまとめるためにここまで書いたが、ふと関連して思い出した
池沼とガイジ、どこで差がついたのか
つまり撮り鉄を池沼呼ばわりするのは池沼に失礼だと 一理ある