2022-05-07

何者かになりたかったいつかの自分は間違っていたのか

大学生になり、自分は周りのやつとは違うんだと思い始め、学生団体所属しいろんなことをした。

周りから意識高い学生として馬鹿にもされてきた。そんなの全く気にならなかった。

それでも自分デカいことをやってやるんだ、と息巻いていたし、何者かになりたかった。

根拠もなく何者かになれる自信があったのが大学生だった。

それがいつの間にか何者かになることを諦め、なりたかたことすら忘れたふりをしてしまっていた。

どれだけ意識が高くても、就職活動では結局選ばれる側で、いつの間にか大言壮語も吐かないようになり、迎合していった。

それなりのところに就職をできたが、同期で一番になるわけでもなく、それなりの成績だけど上司から特別に期待されるわけでもない。

そうこうしている間に結婚をし、子供もできた。今考えることは出世のことと転職した場合の同業種の給与水準、そして家のこと。

学生時代に肩を並べていた気がしていた知り合いは、起業家となってメディアに出たりしている。

自分と一緒に並んでいたはずなのに?どこで差がついたの?もともと違ったの?

あいつは何者かになったようで、自分は何者でもないナニカのまま。

就活なんてしない方がよかったのか?就職してから本気出してなかったのか?

本気出しても自分たかだかこんなもんなんだろうか。

何者かになるためには何をするべきだったんだろうか。

そもそも、何者かになりたいと思っていたはずなのに、何者かになる、というのは結果であり、目的でない、というところから間違っていたのかもしれない。

学生時代に語っていたような世の中を良くしたい、みたいな言葉は今全く響かない。

自分を酔わせるため、人から見てすごそうに見せるためだけの言葉だったんだろうか。


GWの長い休みの中で、ふと昔のことを思い出してしまった。

心の中で涙が止まらない。

俺はどうすればよかったんだ。これからどうしていけば良い?

どうやってこの気持ちと一緒に生きていけばいいのか?

こんな気持ち、気付くんじゃなかった。

  • 世の中何者にもなれなかった人たちばっかだし、 人生は続くんだから泣いてもしゃーないよ

  • 嫁さんの旦那さんにもなったし、子供のパパにもなっただろ? それだけで充分じゃないだろうか。

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