これ初めに断っておかないと毎回政治思想上の「右」「左」の話になっていますからはじめにそうじゃないと言っておきます。
で、右ってありますよね。右側。
でも右側を見るとそこには右と左がありますよね。右側の、どっちかというと右側と、どっちかというと左側。
じゃあその右の左側は右なんでしょうか? でも左ですよね。右ですけど。
で、右の右側をよく考えていくと、右の右側にも、右側と左側がありますよね。北北西、みたいな。
右の右の右もある。でもこれは割とすっきりしていて、どこまでも右なんですからそれは右です。
でも一番厄介なのが、例えば右側の左側にある右、とか、右の左の左にある右の左の右、みたいなところは、じっさいのところ右なのかどうかだんだん分からなくなってきますよね。
さらに考えると右にズンズン進んでいくとたまに左に出ることありませんか?
佇立して右をズンズン見ていくと左で見るような景色になりません?
運転していていくつか右折を繰り返していくと理論上左折に他ならなくなることありません?
いっぽうで丁字路を右に進む場合は左に出ません。
これは右に1度しか動いていないはずなのに、とても右です。
右に1回しか曲がっていないのに右度が一番高くなる。右を繰り返せば繰り返すほど左に近づいていく。
右に1度動くだけで後は真っ直ぐ進むことが一番右なんです。
実は右は真っ直ぐに担保されているのではないでしょうか。
右手も真っ直ぐ生えています。右手がいつの間にか左手になりご飯を食べる手が食事中にボクシング選手の戦術みたいにクロスしたりいつの間にか変わっていったりとかは、おそらくほぼないと思います。
これはおそらく右なのに真っ直ぐをかなりの割合で含んでいる。手が含んでいるから大丈夫なんだと思います。
左手も同じです。
もし右手と左手に真っ直ぐ度が少なくなったら、きっと述べてきた通り右と左のふわふわとした概念が湿潤してきて右手は右手じゃなくなります。
例えば掌を下にしたとき、小指は右の右ですが親指は右の左です。
さらに言えば右手を左側に持っていき、左手を右手に持っていった場合、左手なのに右側にあったり、その逆があったり、さらにいうと指が重なるようにクロスさせると左手の小指が右の左あたりに出てきたりします。
これは手を真っ直ぐにしないでクロスするからそうなる。割としっかりしている手ですら、右の右の左、みたいな可能性を内包しているのです。
まとめると右と左は本当に恐ろしい考えで、右の中の右や左といった永遠の分割の落とし穴にはまらないこと、そのために、右と左の真っ直ぐを意識することが肝要なのだと普段感じています。