京王線の事件、犯人のやったことは身勝手で決して許されることではないし、重体の方にはこんなことで命を落として欲しくないから回復を祈るばかりだが、「死にたいけど自殺する勇気がないから殺してもらうために罪を犯す」と考えること自体は正直わからなくもないと思ってしまう。その罪が他人を巻き込む形となることは絶対にやってはいけないことだけれど、例えば、この神社のこの柱に落書きをした人は死刑、と定められた法律があったとしたら、惹かれる人は少なくないような気がする。私はここ1年くらい、これから先、生きていても楽しいことなんてもう無いだろうとぼんやり思い続けてきた。これ以上自分や自分の人生に絶望する前に死にたいと思ってきた。でも、具体的に死ぬ方法を考えると怖くて涙が出てしまい、自分で死ぬことすら出来ない自分が情けなくて仕方がなかった。アラサーで、未婚で恋人もいなくて恋愛したいとも思っていなくて、でも周りがどんどん結婚する状況には焦ってしまっていて、自分は結婚しないんだと吹っ切れることも出来なくて、今の仕事は好きではなくて、同期や後輩は活躍して認められていて、自分は会社のお荷物だと自覚しながら、でも転職してまでやりたいことは無くて、そもそもこんな自分に転職できるわけがないと思って。こんな状況を終わらせるための死はとても魅力的に思えてしまう。だけど自分で死ぬことは怖くて辛くて出来ないから、人にやってもらえるならやってもらいたいと思う気持ちもわからなくはない。これからどんな証言が出てくるかはわからないけど、犯人はいつ自分がなってもおかしくない姿のように思えた。
でもさー現実的には犯人も死刑にならないよ そもそも見積り甘くない???
お前は殺し損ねるなよ。死ぬより恥ずかしいことになるからな