コミュニティがある程度の年齢に達すると価値観の多様化が始まる。
その中でそのコミュニティが抱える低知能者だけはずっと同じ思想に染まり続ける。
するとコミュニティ全体における各思想ごとの人数比率で低知能者の集団がドンドン有利になっていく。
ここでコミュニティに排除的な機能(ツイッターの凍結とか)があり、低知能者集団の中に「そういった機能を気軽に使おう」という風潮が広まるとコミュニティは終わる。
あらゆる行動が「排除されないようにまずは低知能者コミュニティの顔色を伺おう」からスタートしてしまう。
これは活発なコミュニケーションを大きく阻害し、日常的な会話さえままならなくなる。
たとえばアイドルの人気がある程度大きくなるとちょっとした恋愛の話さえ「は?アイドルは恋愛禁止なのにもしかして恋愛する気か?みんな!コイツを躾けてやろうぜ!」と暴れだす集団が出てくるのがまさにそれだ。
コミュニティが大きくなるときはそういった低知能者集団の暴走を食い止めるような機能が必要になる。
だが、実際には多くのコミュニティはそれとは反対に低知能者集団にこそ有利になる形でそういった機能を実装してしまう。
この歪みを乗り越えることの難しさがよく言われる「コミュニティの一生」問題の本質なのである。
もちろん、コレに対してコミュニティ管理者側がするべきことは現在そのコミュニティが抱えている低知能者集団の暴走傾向に合わせて適切な対処をすることだ。
ひろゆきのように「まあコミュニティって腐るものなんで😁同じところにずっといる人がアスペなんすわー😎」と冷笑するのは当然間違っているわけだ。
さて、はてなはどうなんだろうか?
それは君たちの頭で考えてほしい。
もちろん、私と同じ考えになる必要なんて無い。