最近しばらく考えていた事を話すきっかけになる増田ありがとう。
俺が考えていたのは、しいて名前をつけるとしたらニューバランス教。
靴のメーカーですでにあるが、それしか言いようがないから仕方ない。
物事はどこかに振れると必ず触れ戻しが生じます。バランスを取ろうとします。
例えば人口が増え過ぎた場合、パンデミックや大規模な戦争が起きて人口が減る方へ触れ戻しが発生します。
二酸化炭素が増えて地球の温度が上がれば植物が増えて二酸化炭素が減るフェーズに戻ります。
ニューバランス教としては、それらマクロなバランスを受け入れ、自分の中のミクロなバランス感覚を養う事がその中心教義となります。
人と人とのコミュニケーションに落とし込めば、それは中庸の追求となります。中庸は人ひとりで完結せず、止揚の中にしか存在せぬものとして、互いを尊重する、という教徒の生活指針が、現代社会にも十分受け入れられる余地があるものと思ってます。
それニューバランスとかじゃなくて 熱の均衡とか化学的均衡のほうが 正しくそれを記述してそう