これは最近気づいたことなのだが、わたしはその絵を描いた当時の自分の感情がわかる。
具体的にどんなものが見えるかというと、ある絵には「これは下手でもとても頑張った」と感じるし、またある絵には「これはとても楽しそうに描いたんだな」と感じる。ところが、ここ最近(特に年が明けてから)描いた絵にはどれも同じものを感じる。その感情とは「疲れ切っている」だ。
たしかにわたしは某界隈にて半孤独ながらも推しマイナーNLCPの絵や、そうでない絵を描いてきた。3年くらいあまり休まずずっと描いていた。単純にその疲れもあるのかもしれないが、それよりわたしは界隈の人間関係に疲れたんだと思う。界隈内の有名絵師に自部だけフォロバしてもらえず疎外感を感じたり、そもそもCPがマイナーすぎていいね数個しかもらえずRTがほとんどもらえなかったのもあるだろう。それから過去のものとはいえ公式の展開がいろいろ地雷で無理というのもある。
こうして文字に描き起こしてみるとお絵描きとSNS疲れなのだろう。しかしSNSをやめたら追いたい情報が追えなくなるし、お絵描きもやめたら腕も落ちるに決まってる。それに、仮にどちらもやめれたとしても、今度はゲームしかすることがなくなる。それって虚無ではなかろうか?
何よりわたしは推しCPをこれからも描きたいと思っている。コンテンツを捨てるようなことはあっても推しCPだけは捨てたくないのだ。しかしそれが容易くできれば今もこうして苦労はしていない。コンテンツだけを捨てきれないから困っている。
だけど冒頭に書いたように、描いたら描いたでまた疲れ切った絵が出来上がる。そんな感情のこもった絵なんか、ネットに上げても誰も見てくれない。それは自分の経験が証明している。
依存症の原因を自覚したのか
さっきもトレパクが嫌いってお気持ち文学あったが、同類or同じ人? なんでわざわざ疲弊しに行ってお気持ち文学で承認欲求満たしたいの???? SNS止めれば済む話だゾ☆
ほら、こういう人が出てくるんだよ
そろそろ禁句~~♪ それはちょ~~っと、 で~~きない~~、相談ね~~♪
最近目につくね 増田来るの嫌になってる