「ひとりの男として」には、
コンセプトからして少年たちの卒業という意味で“男”になると言っているキモさと、
そもそもV6は既婚者が4人いる点では、一人の女に向き合うという意味での“ひとりの男”には既になっていたわけで、その上での芸能人のキャリアに関する個人(“ひとりの人間として”)の大きな決断を“ひとりの男として”の言葉で包含してしまうグロさと、
(キャリアに関する大きな決断をすること=男だと言ってしまうことで、“ひとりの女として”と言った場合に同じ意味にはならないという歴史を再強化しているキモさ)
手越~V6くらいの年齢でそう言うのは、これまで続けていた活動やめる決断ができないと/アイドルを辞めないと/グループを組んで仲良くやっていると/誰かを養えないと/結婚できないと、男になれないという化石みたいな価値観を強調していることになるキモさが詰まっている
(先進的なことをやろうとしていた、やっていくように見せていた手越ですら“ひとりの男として”の呪縛から逃れられないジャニーズの呪いの根深さよ)
が、アイドルの人生ってただの芸能人より遥かに犠牲にするものが多く、人間として生きられなかったグロさがまず存在して、
「残りの人生をひとりの人間として生きたいから」と言ってしまってそのグロさにファンを直面させてアイドルを終わるのではなく、
マイルドな表現として“ひとりの男として”を選ぶ優しさなのかもしれない
アイドルが“ひとりの女として”と言った場合にマイルドにならない辛さは辛さとしてあるが、
一方で“ひとりの男として”と強調した場合に“ひとりの人間”以上に背負わせていいとされてしまう男性の生きづらさから、彼らは結局一生逃れられないんじゃないかと思うと辛い