2021-02-13

anond:20210212225220

善悪を相対化して終わっちゃう形式から離れられないのは現実社会問題真正から取り上げないからだと思ってる

リアルタイムで起きてる問題を取り上げられるなら、内容の詳細が毎回入替わることで新規性があるから型が勧善懲悪のままでもどうにかなるんだよね

ニュースなんか飽きずになんとなく見ちゃうでしょ

それが現実批判するの回避してしまうと、使える素材が激減してお決まり流行フォーマットを繰り返すだけ、名前が変わるだけ

SF流行ってた頃はSFファンタジー流行ったらファンタジー、今だとゲーム世界舞台定番

現実事件比較してバリエーションが圧倒的に足りない

そうなると型が観念的な勧善懲悪だけワンパターンで飽きられやす

仕方ないからその観念的な勧善懲悪をひっくり返すのをやる

ある程度以上まで価値観の相対化すると今度は話が複雑になりすぎるから、異なる価値観を重ねるのはせいぜい1、2回まで

すると「お子様向け、大衆向けの勧善懲悪」か「ちょっと中二病の入った実は悪にも深い事情があった」かの実質二択が、フィクションに許されるバリエーションとなる

ということで、フィクションバリエーションを増やすには、もう少し現実世界への批判を許容できるようにして

娯楽作品政権批判ぐらい当たり前にできるようになるのがフィクションバリエーションを増やすための最低限の条件だよ

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