実際はんなことないけどな。
個人レベルの致命的でない不寛容や偏見・差別はあっても全然いい。
それが集団となって力を持つようになる前に、集団に知性や理性が働いて抑制がかかる程度の信頼性があれば。
個人レベルでは生きていく中で間違ったり不見識を抱いたりして鬱屈することも当然ありえるだろうし、ありふれているはずだから。
むしろ完全にそれらが排除された温室みたいな世の中の方が危ないんだよ。
変な人はいるけど、そこから誰もが安全な距離を取れるし、スルーできる、アレな人はアレ寄りな人同士でそれなりに快適な環境を持てる、そういうのがリベラルな社会だ。
人間、ごった煮の中で生きるうち、人のフリみて我が振り直していくもんだよ。
ずっとひどく幼稚でヤバい狂人のままでいる人はあんまりいない。
上下動する人生の波の中で落ち込んでる時期に荒んでる人がいるだけで、気狂いムーブしてる人もみんないつかは精神的に成熟していく。ネット見てるとコンスタントに偏屈が蔓延してるように思えるけど、実は「中の人」は入れ替わってるんだよ。
小学生の頃好きな子をいじめてた人だって、大人になってまでそんな言動をし続けていないように。
もちろん精神や何かの疾患があれば抜け出せなくなってしまうことも考えられるけど、それは治療や救済されていかなきゃならんし話が別だね。