ある人は仕事が上手く行かず辛いと筆者に語った。しかしよくよく話を聞いてみると彼は高学歴で超難関資格を生かした仕事をしているとの事だった。そんな話を聞かされている筆者は高卒で地元工場でルーチン作業をこなす身だった。彼は脳に異常が無いかが心配で脳波を測ったりしているとの事だったが、第三者から見て脳(知能)に異常があるとすれば筆者のほうだろう。
ある人は発達障害の特性のせいで何度も交通事故を起こしていると筆者に語った。しかしその話を聞いている筆者自身は教習所の時点で自分に運転の適性が無いと感じ運転をしないと決めている身だった。運転する彼と運転しない筆者で比較して制限を受けているのはどちらかと言えば筆者の方だろう。
ある人は発達障害の特性のせいで寝坊を繰り返してしまうと筆者に語った。しかしその後彼の生活を観察してみると、彼は毎日のように夜ふかしをして遊んでいた。筆者は仕事の前日には必ず早く寝るように決めていて彼の二倍ぐらいは寝ていると思う。筆者が彼と同じ生活をすれば必ず寝坊するだろう。
筆者は自分なりに取り組んでいる工夫などを彼らに語った。しかしそれらが聞き入れられる事はない。筆者の意見は定型発達者側の意見でありそういう工夫ができないのが発達障害、との事だ。筆者が自分を律し社会や他人に合わせてきた努力は全て定型発達者なら当然のことであるらしい。
筆者は彼らと関わることで自分が様々なことを諦めていることに気がついた。しかし筆者は自分に手にできないものがある現状を問題だとは思わないし自分が病気だとも思わない。しかし彼らは自分が定義した当然得られるべき現状をノーリスクで手にするまで満足しないのだろう。
じゃ毎日薬飲んで 薬を忘れたら毎日死にたい思いにさせられて これまでの経験から周りの人間が全て嫌な顔で見てくるようになって 当事者と比較するってんならこういうことを忘れて...
何かやらかしをして落ち込むのは特別なことではないのでは
何かやらかしをして落ち込むのは特別なことではないのでは