そういうのって不平不満があるからそれを解消しようとしていると捉えているんだけれど。
わかる、わかってる、被害者が我慢しないといけない世の中の方がおかしいってわかってる。
けど、時間と労力とときにはお金もかけてまで、価値があるのか?
他人や世の中変えるよりそっちのほうが早いと思うし。
それこそ、デモやってる人たちは何やってるんだろうって。
国に文句あるなら自分が住む国変えた方が早くないか。時間も労力もそっちの方が安く済むんじゃないか?
だから、声をあげて不平不満を述べて、「こんな世の中変えましょう」って言ってたらうわあ、って思ってしまうんです。どんなに酷い扱いを受けていたとしてもね。我慢しろよって。
よくない、非常によくない、わかってる。
多分私がちょっとしたことなら言わずに溜め込んでしまうから、こんな思考なんだと思う。
言わずに我慢するのが美徳だから正義だか、そんな風に私は思ってる気がする。
だから声あげてる人たちのことを悪とかきたないものとかそういう風に見てしまう。
この考え方変えたい。
変えたいと思ってるのに、やっぱり何あの人たち気持ち悪い、って思っちゃうのが嫌だ。
昔母が言っていた
「他人は変えられない。自分が変わることはできる。だから自分を変えようと努力しなさい」
なんでこんな事になったんだろうな。
最近のネトサポってこんなことまで書き込みさせられるのかよ。。 さすがにかわいそすぎる。
だよね 原爆が落ちても我慢して無条件降伏すればいいのに なんで戦おうとするんだろうね
我慢してしまう人に、我慢しなくていいってことを伝えるための運動でもあるので
増田に書いてる時点で我慢してないじゃん その時点で君は君の美徳と正義に反したわけだ おめでとう! これからは我慢しなくていいんだよ