この前の土曜日、「#スガやめろ」というハッシュタグがTwitterでトレンド入りした。広まり方に不自然な点があって、意図的に作られたトレンドではないかとの見方もあるが、真偽のほどは定かではない。意図的にしろそうでないにしろ、このワードをつぶやいた人は、菅義偉氏に対して批判的であり、その意見を多くの人に広めたかったのであろう。しかし、「スガやめろ」というワードで共感の輪が広がると思っているのであれば、それは誤った感覚であると言わざるを得ない。むしろ、このワードを見た“外野”の人たちは、濃淡あれど嫌悪感を抱く人の方が多いのではないだろうか。
その理由は二点ある。一つ目はまだ就任していない人物に対して「辞めろ」と言うことである。「#スガやめろ」と言う人は、「これまでの言動から、総理大臣にふさわしくないことがすでに明らかである」と主張するかもしれない。しかし、実際に総理大臣の立場に就いてから行う業務はたくさんあり、総理大臣としての手腕を評価するのは時期尚早である。そもそも、「総理大臣にふさわしくない」は「ふさわしくない」であって、「辞めろ」ではない。それを「辞めろ」と表現するのは、外野からは異様に見える。
二つ目は人名をカタカナで表記している点である。「アベ政治を許さない」にも通じる話であるが、このコンテクストにおいて人名をカタカナで表記する合理性が全くない。それにも関わらずカタカナ表記をするということは、これは蔑称の類に属するものと言って良いだろう。蔑称を使用することは議論の放棄であり、自分が与する者以外をすべて切り落とす行為である。そのような行為をしておいて、共感の輪が広がることは、やはりあり得ないだろう。