自分が嫌いで仕方がない。
これから生きていく上で傷付き続けるであろうことに耐えられない。
今は全てがどうでもいいので、本当はいけないのに酒を飲んでいる。
自分は空気を読んだり相手の気持ちを慮ったり、その場に合わせて振る舞ったりするのが非常に苦手だ。
(出来なくもないが、エネルギーを沢山消費する。疲れきってしまう。)
この気質?で沢山の人を傷つけてきたし、何より自分自身も傷を負ってきた。
今まではこの能力を何とかして向上させようと、わざわざコミュニケーション能力に優れた人のひしめくコミュニティに所属してきたが、失敗経験や辛い思いを積み重ね過ぎて、もう人との関わり全てが嫌で、怖くなってしまった。
場を読まずに行動するだけならまだいいのだが、自分が傷付けられたと感じることにおいてはかなり敏感で、どんなに些細なことでもふとした瞬間に思い出してしまう。自分自身の能力の無さに恥ずかしくなる。これが辛い。おそらく人からしたらすごくどうでもいいことなのだろうが、私はそれがずっと刺さったままで、ずっとその時の気持ちを鮮明に反芻してしまう。
そういうわけで、これからどんなコミュニティに入って何をこなしていくとしても、周囲に受け入れられて上手くやっていくということが出来そうにない。
おまけに、仕事がどうしようもなく出来ない。
物覚えは悪いし、口で言われてもよく聞き取れない、段取りもうまく出来ない、マルチタスクも苦手で、どのバイトも最終的には村八分に近い形で辞めてきた。
手は誰からも美しいと評されるし、
見た目も別に嫌いではないし、
アレルギーなどもない。
ただ、人との関わりの中で見出す自分はどうしようもなく劣っていて、救いようが無く、生きていても仕方がないと思える。
以前までは蓋をして楽しい空間でだけ生きていられたが、もうそういうこともしていられない。
努力しても自分のどうしようもなさは絶対に変わらない。経験からそう学んでしまった。
とりあえず、今は身の回りの整理をしたい。それから、玄関の鍵は開けておいて、ドアノブにベルトをかけたい。
どこかでスイッチが入って、努力し始める時が来るのだろうか。その場合は、何年か後、この文章を読んで恥ずかしくなっているといいな。
今でも十分恥ずかしい