2020-07-22

遺書

自分が嫌いで仕方がない。

これから生きていく上で傷付き続けるであろうことに耐えられない。

そろそろ死のうと思って、身の回りの物を処分し始めた。

今は全てがどうでもいいので、本当はいけないのに酒を飲んでいる。

から人と自分は良い意味でも悪い意味でも違うと感じてきた。

自分空気を読んだり相手気持ちを慮ったり、その場に合わせて振る舞ったりするのが非常に苦手だ。

(出来なくもないが、エネルギーを沢山消費する。疲れきってしまう。)

この気質?で沢山の人を傷つけてきたし、何より自分自身も傷を負ってきた。

今まではこの能力を何とかして向上させようと、わざわざコミュニケーション能力に優れた人のひしめくコミュニティ所属してきたが、失敗経験や辛い思いを積み重ね過ぎて、もう人との関わり全てが嫌で、怖くなってしまった。

場を読まずに行動するだけならまだいいのだが、自分が傷付けられたと感じることにおいてはかなり敏感で、どんなに些細なことでもふとした瞬間に思い出してしまう。自分自身の能力の無さに恥ずかしくなる。これが辛い。おそらく人からしたらすごくどうでもいいことなのだろうが、私はそれがずっと刺さったままで、ずっとその時の気持ちを鮮明に反芻してしまう。

そういうわけで、これからどんなコミュニティに入って何をこなしていくとしても、周囲に受け入れられて上手くやっていくということが出来そうにない。

おまけに、仕事がどうしようもなく出来ない。

物覚えは悪いし、口で言われてもよく聞き取れない、段取りもうまく出来ない、マルチタスクも苦手で、どのバイトも最終的には村八分に近い形で辞めてきた。

せめて仕事ができれば自信もついただろうに。

自分のことを自分だけで評するぶんには、ある程度は好きだ。

手は誰からも美しいと評されるし、

ユーモアセンスは良いし、

見た目も別に嫌いではないし、

身体面では非常に健康だ。

アレルギーなどもない。

ただ、人との関わりの中で見出す自分はどうしようもなく劣っていて、救いようが無く、生きていても仕方がないと思える。

以前までは蓋をして楽しい空間でだけ生きていられたが、もうそういうこともしていられない。

努力しても自分のどうしようもなさは絶対に変わらない。経験からそう学んでしまった。

こんな自分が嫌いだ。能力が低すぎる。

とりあえず、今は身の回りの整理をしたい。それから玄関の鍵は開けておいて、ドアノブベルトをかけたい。

どこかでスイッチが入って、努力し始める時が来るのだろうか。その場合は、何年か後、この文章を読んで恥ずかしくなっているといいな。

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