2020-07-14

「せめて人殺しの顔をしろ」という言葉はもう忘れられたのか。

観光業者が現状においてどれだけ死地に立っているのかということを、誰もが理解していることは疑いようがない。

それは観光業当人らにとっても、そうでない者にとっても明白だろう。

今や炭鉱夫のような、消えゆく立ち位置に立っていると言い換えても過言ではないかもしれない。

それに対して、ブコメ群はどうか?

『より多くの人命を守るためには仕方がない』

それはわかる。ただ、死に瀕する人間らに対して、直截に、痛痒も無く突きつける言葉なのか?

『お前らのために死にたくはない』

とてもわかる。俺も同意見だ。ただ、それは己が被害者であって、相手被害者ではないと考えたいのか?

『大変なのはわかるし、どうしよもないと思うが、こうした声が上がるのは当たり前』

尤もだと思う。何もおかしいことは書いていない。ただ、それを口にして一体何が言いたいんだ? その判断は誰もが思う当然の発露であるから、罪ではないと?

正直、他に選択肢がないこともわかる。現状、切り捨てなくてはならない側がどちらか、政治的判断の中で下されなくてはいけないことがあるのもわかる。

ただ、それは限りなく重大な、それこそ文字通り、片方の人命を取り片方の人命を捨てるくらい、重たい結論になるはずだ。

軽々しく転職だどうだという言葉を吐き連ねるようなのはまだいい。

ただ、大義がそこにあるからと、悩みもなく単に「恨み」と遮断し、想像の外に置いて、自らが行う決断に対する罪の意識麻酔をかける様は、あまりにも大衆的なやり口で、人が死ぬ決断俎上に載せている。

どちらであっても人が死ぬからといって、人が死ぬ決断が軽くなるわけがないのに。

申し訳ないと言葉にすれば許される問題でもないから、それを求めるつもりはない。

ただ、結論が変わらないにしても、せめて人殺しの顔が鏡の前にあることを無視しないでいたい。

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