2020-06-29

性嫌悪者は可哀想

あえて言うまでもないけど。

俺の場合は、異性と信頼関係が結ばれることで、自分の中で色々な考え方の変化が生じた。異性は、自分とは異なる人生を歩んで来ていて、性格が似ていると感じる人でも、やはり異なる視点を持っている。異性と、様々な問題に対してじっくりと話をすると、自分とは異なる視点が得られて、価値観が変わったり、一つメタになったり、成長したりするきっかけになった。異性から見たジェンダー論は全然違う話だ。

もちろん異性との関係けが成長の唯一のきっかけではない。多様化時代で、性も色々、個人関係も色々だ。性の関係以外でも、学びのきっかけはたくさんある。ただ、それは綺麗事とも言えると思う。他にどんな社会的関係があれ、異性を嫌悪することで様々な機会を失うことは事実だ。その事実を認めたくないからこそ、言葉にならない不満が溜まり他者への攻撃的な感情を持つのだろう。(でなければ単に異性と関わらなければいいだけで、わざわざ異性に近づき、攻撃し、不快感情を持ち帰るのは賢い行動とは言えないからだ。)

端的に言って、異性嫌悪者は可哀想だと思う。人を憐れむとは何様かと言われそうだが、でもやっぱり可哀想だ。人はなぜ異性嫌悪になるのだろうか。彼ら/彼女らの攻撃的な発言は彼らの本心だと思うべきでないし、取り合うべきではない。彼ら/彼女らは、自分可哀想境遇を受け入れたくないので、本心を認めない、話さない。異性に対して攻撃的な人には、まずはひたすら優しい言葉をかけるしかないのではないか、とよく感じる。

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