あえて言うまでもないけど。
俺の場合は、異性と信頼関係が結ばれることで、自分の中で色々な考え方の変化が生じた。異性は、自分とは異なる人生を歩んで来ていて、性格が似ていると感じる人でも、やはり異なる視点を持っている。異性と、様々な問題に対してじっくりと話をすると、自分とは異なる視点が得られて、価値観が変わったり、一つメタになったり、成長したりするきっかけになった。異性から見たジェンダー論は全然違う話だ。
もちろん異性との関係だけが成長の唯一のきっかけではない。多様化の時代で、性も色々、個人の関係も色々だ。性の関係以外でも、学びのきっかけはたくさんある。ただ、それは綺麗事とも言えると思う。他にどんな社会的関係があれ、異性を嫌悪することで様々な機会を失うことは事実だ。その事実を認めたくないからこそ、言葉にならない不満が溜まり、他者への攻撃的な感情を持つのだろう。(でなければ単に異性と関わらなければいいだけで、わざわざ異性に近づき、攻撃し、不快な感情を持ち帰るのは賢い行動とは言えないからだ。)
端的に言って、異性嫌悪者は可哀想だと思う。人を憐れむとは何様かと言われそうだが、でもやっぱり可哀想だ。人はなぜ異性嫌悪になるのだろうか。彼ら/彼女らの攻撃的な発言は彼らの本心だと思うべきでないし、取り合うべきではない。彼ら/彼女らは、自分の可哀想な境遇を受け入れたくないので、本心を認めない、話さない。異性に対して攻撃的な人には、まずはひたすら優しい言葉をかけるしかないのではないか、とよく感じる。
その正論は人を傷つけますよ!
まとめると「メンヘラは病院へ、かわいい彼女は精神科で探せ」でFA?