高校生のときにPCを買ってからずっと、能動的に情報を得るようにしてきた。スマホを持つようになって、それはさらに加速した。テレビのような受動的なメデイアは、意識して見ないようにしていた。メデイアや周りに流されずに、ほしい情報を自ら取りに行く姿勢でいるべきだと思っていた。
でも、最近は受動的に情報を得ることに、尊さを感じるようになった。
理由のひとつは、能動的に情報を得ることに疲れたことだ。例えば、動画サブスクリプションサービスでは、いくらでも好きな番組や映画を見ることができるが、見たい動画を探すことに疲れた。余った時間を埋めるときは、情報の方からやってきてほしい。
もうひとつの理由は、取るに足らない情報が増えたことだ。昔のインターネットでは、テレビの偏った報道を批判したり、本当に商品を使っている人がブログを書いたりするコンテンツをよく目にした。主観ではあるが、これらはテレビが言っていることよりも、まだマシな本当のように思えた。個人が積極的に情報発信し、企業が本気でインターネットやSNSを使ったマーケティングする今、本当か嘘かわからない情報が溢れている。それをひとつひとつ手にとって、取るに足るかをはかる必要がある。これだったら、公共の電波を使っていて、かろうじて審査の目があるテレビのほうが、リテラシーエンジンを使わなくて済む。