お前がそれを諒解するか、しないかは、知らないが、俺は大変に救いがたい人間だ。
使い物にならない肉体と精神を与えられ、役に立つことは何一つできないばかりか、多くの素晴らしい人間たちの足を引っ張るのだ。
しかし愚かで醜く度し難い精神の持ち主である俺は、それでも生きていたいと願わずにはいられないのだ。
俺は税金を納めず、マックと図書館に住み、オンボロの2in1でこれを書いている。
貧しい身なりで、悪臭を放ち、酒と煙草で潰した喉で聞きがたい声を発し、下らない本を読み、下らないものを書き、排泄している。
書くとは排泄行為だ。
わかるか?
わかっている奴は、俺を軽蔑するがいい。
そうでもしてくれないと、俺は恥ずかしさのあまり、死んでしまいたくなる。
いいか、ただ生きていくだけなら、頭など使わずとも生きていけるのだ。
難しいのは、どう生きるかということだ。
俺はできれば、よく生きていきたいのだ。
愚か者にも愚か者なりの戦いがある、ということは、知らなくていいことだ。
愚か者の戦いとは、すなわち、愚かでない者たちの足を引っ張らずに生きるということであり、具体的には、罪を犯さずに生きるということだ。
それこそが、愚か者にできる最低限度の「よい」生き方であり、俺はそのためだけに全身全霊を傾けて生活しているのだ。
そんなことは問うても意味がない。
愚か者は、その事実を直視しつつ、恨みや嫉妬や悪意を飼いならさねばならない。
あるいは、ここには俺に似た者どもがいるかもしれない。
俺に説教染みたことを言う資格などあるはずもないが、俺は先達として次のことを言わずにはいられない。
すなわち、救われたいのならば、「なぜ自分はこうも人と違うのか?」というような、無意味なことを問うのはやめるべきだ。
俺たちはただよく生きるということに専念するしかないと知るべきだ。
その履行が途切れた瞬間、お前はお前自身の魂を裏切ってしまうのだ。
俺は何度も何度も俺自身を裏切ってきたので、裏切りによる責め苦の恐ろしさを知っている。
いいか、俺たちはよく生きることでのみ救われるのだ。
よく生きるということだけを考えろ。
何があっても、自分の魂を裏切ってはならない。