グレタさんのニュース見て、思い出す。
もう二十数年前だけど、高校生のときに、国連子供の権利委員会でスピーチして、やっぱり
「大人にあやつられてる」だの、「感情的になって泣いた」だの言われたなー。
週刊文春に、
【「制服廃止」を訴えて国連に叱られた日本の甘ったれ高校生--「君たちはとても幸せだ」】
(制服廃止を訴えてないし、叱られてないし、「幸せだ」の文脈はぜんぜん違う)
左は、「だから将来に備えて子どもたちを守らなければ」って言うし、
右は、「だから今は我慢して大人の言うことを聞きなさい」って言うし、
本当にうんざりしてた。
こどもは、こどもとして生きているまさに今現在が当事者で、将来の当事者じゃない。
議論のテーブルから、通常のプロセスでは排除されてるのがおかしいのよ。
当時感じた怒りを、久々に思い出したよ、おじさんは。
忘れないようにしなきゃ、そういう気持ちをすぐに忘れてしまう。
気をつけよう。
えーかなり有名な都市伝説めいた話じゃん 真実と体験談書いたら話題になりそう
でもキモくて金のないおっさんが国連で意見を主張したいと希望した場合は鼻で笑って議論のプロセスから排除することに賛成してしまうんですよねわかります
私も30年前に、地球滅亡のカウントダウンをする時計の話を知ったときは本当に怖くて夜も眠れなくなった。小さき賢い者たちの熱量を受け止めないのはもったいないよね。そういう...
ジャリになんか言われて世界が動くならヒトラーユーゲントみたいなのが出てくるだけだ 自分のお気に入りだけが使える棍棒なんてねえの
日本という国は隣に餓死者がいるかもしれないという惨状で、もはや制服どうこう言ってる場合ではない
制服の話は参加・決定権の例でしょ それこそ餓死しそうな人がいるなら一方的な食料投下ではなく その本人に食べたいかどうか尋ねて判断も委ねるべき もしかすると即身成仏を望んで...