でもね、これらの作品における同性愛って作り手にとって都合のいい関係でしかないんですよね。
『社会から迫害され理解されることそのものを拒絶された感情』の象徴として都合よく利用されているだけです。
あるのは『自分の欲望と社会のバランスがゼロサムゲームの様相をなす状態での葛藤を描く』という目的だけです。
引っ越しの時にドアを開けっ放しにするために、ドアの横に重しとして置かれた家電製品と何も変わりません。
それを見て同性愛者が「私達が理解されようとしている?」と期待感を持ってしまう姿はとても辛いです。
見ていられないんです。
でもね、それを騙しているとは思いません。
勝手に勘違いして勝手に裏切られた気になってる同性愛者が悪いだけです。
だからって何も知らずに不意打ちされるのは可愛そうじゃないですか。
だから私がこうして教えてあげているんです。
勘違いしたら、傷つくだけですよ。
赤字と黒字逆にした方が読みやすくね?