2019-06-21

昭和時代、男は目的や結果を求められた

きっと戦争や、さらには戦の時代もっとだったのだろう。

それは単純に身体的な問題で、狩りや戦いに出るのに向いているのが男性だったからだ。

中には女性の平均にも劣る男性がいただろうし、男性の平均にもまさる女性もいただろう。

だけど、それは平たく男女で分けられた。

男性の大半だって何者でもなく、名前のないままに命を落とした。

そうして生き残った人間けが物語を紡ぎ、大半の何者でもない人間に夢を見せては最前線で命を落とさせた。

そのメカニズムだけを切り出せば、現代でも同じだ。

男は成功した無くてはならない。お前は成功する人間だ。と、無責任に周囲に言われ、いざ大海に漕ぎ出てみれば自分は何者でもないことを思い知らされる。

そのこころの隙間を埋めるようにして、物語に逃避しては”いつか自分も”と夢を見るのだ。

しか時代は変わった。

知的生産時代に入ったことで、男性身体的優位性はあまり意味を持たなくなった。

もしこれから機械労働の大半をサポートするようになった場合男性の持つ主に力という優位性は誤差にしかならなくなるだろう。

しかしたら女性もつ柔軟性のほうが、そうした世界では役に立つかもしれない。

男らしさは今後ますます価値になる。

おっさんとして育ってしまったおっさんは、もうどこにも行く場所がないのかもしれない。

  • 男から恋愛対象外にされるモテないブスは、幼少期から抑圧されるんだけどね

    • そんな奴はいない いたとしても男を虐げる側に回れる強者

      • 本気でそう思い込むことで、自分は美人女と同質化出来ると勘違いしているおめでたい人

  • 年功序列と男性社会の合わせ技でおっさんであることに価値がある時代を見てきた、価値の無くなったおっさん。

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