言いたいことは分かる。それに対して、よく言われる「差別と区別の違い」を持ち出すのも、本当はやや卑怯だと思う。
もちろん、「明らかな差別」と「明らかに区別」なるものがあるのは事実として、単体では「どちらとも決めがたい」ものがあるのも事実だ。
そして、なかにはその境界の曖昧さを利用して利得を得ようとする連中もいるから、ますます話が混乱する。
たとえばまんまと「被害者面」して「これは差別ではない、正当な区別です」とうたう差別者。
それから、PC棒を振り回し他者に罪悪感をなすりつけることで「失われた」と称する自分の権利を不当に拡大する反差別屋さん。
どっちもやってることは同じだ。境界の曖昧さを利用して利得を得ようとしているに過ぎない。
そういう連中を見て増田が「あーめんどくせ」ってなるのも分からないではない。でも差別は不当だ。これは十回でも百回でも言っておく。なぜなら、差別という言葉の定義が「合理的な根拠のない不当な取り扱い」だからだよ。差別は不当だ。その概念の運用に問題があろうとも、差別を正当化したり放置したりすることはできない。それは「正しくない」という意味ではない。差別は、何らかの方法によって必ず正されるものだ。それは決して放置「できない」「され得ない」ことなんだよ。
だから、最初の違いはこう言い換えられるべきかもしれない。放置しても何も起きないのが「区別」。それを正そうとする力が働くのが「差別」だ。差別を放置することは、誰にとっても利がない。そこに判断を下すのは、人間ではなく「歴史」なのかもしれない。
放置しても何も起きないのが「区別」。それを正そうとする力が働くのが「差別」だ。 それこそ女性専用車両に文句言ってる増田とかいるじゃないか 賛成するか反対するかはともかく...
こっそり少しだけ補足するね。 放置しても何も起きないのが「区別」。それを正そうとする力が働くのが「差別」だ。 それこそ女性専用車両に文句言ってる増田とかいるじゃないか...
おはようanond:20190328093933