最近回ってきた増田に「感想がこないがためにジャンル移動した神の話」があった。
内容としてはわかる。創作してたら感想が欲しいのは当たり前だと思う。神が「萌え製造機」ではないことなんて重々承知している。
その上で、あれはなかなか残酷な話だと思った。それは、あの話が「感想を送り続けた信者」から発信されたものだからだ。私は「数には勝てないんだなぁ」のところで泣きたくなってしまった。そう、足りないのだ。自分如きの愛では足りないのだ。所詮私は、1人だから。
感想というのはラブレターに近い。作品が好きだから感想を送るのだ。好きな作品の作者を嫌いだと言いながら感想を送る読み手なんかなかなかいないと思う。基本的に送る相手は「すきなひと」だ。だからすごく考える。迷惑じゃないだろうか。おかしな言い回しになっていないだろうか。私の解釈は作者を傷つけないだろうか。すごく考えて、考えて、送る瞬間の緊張感ったらない。Twitterで空リプで「よかったわ~」って思う様呟くのとはわけが違う。人が読むのだ、好きな人が読むのだ、そりゃあ、すごく考える。何故感想を送るのか。これを伝える必要性はどこにあるのか。私が言いたいだけなら直接言わなくていいし、喜ぶから言いたいのもなんか違う。答えはまだちゃんと出ないけれど、どうしても「好きです」って言いたいんだと思う。
だからね、足りないって言われたら悲しいんだ。
理解はする。たくさん来たら嬉しいは少なかったら悲しいの裏返しだ。どんな一言でもいいから、よかったの一言でいいから。それもわかる。
ただ、それを「感想を伝え続けてくれた人」に言うのはやめてあげて欲しい。先の増田を書いた人は強いな、偉いな、と思う。私なら後悔がすごいだろう、複垢でもなりすましでもなんでもやって、数を用意すればよかったと思うだろう。感想を投げなかった界隈を恨んだりするかもしれない。
返事を送ったら義務だと思ってしまいそう、もよく聞くけどね。返事がくることほどほっとすることはないと思うよ。本の内容は伝わったかな、って気にするのと、感想はおかしくなかったかな、って気にするのはとても近いことだと思うから。「読みました、ありがとうございます」だけでもいいんだよ、それだけで送ってよかったって思えるから。