時折聞く言葉だけど、聞くつどに日本は本当に美しくないのだろうかと考える。よくわからない。時代ごとの文化が異なるのは日本に限らずのことであり、至極当然のことだが、その文化一つ一つにも残虐な行為があった背景や多少はともあれ人々の肉体や精神を犠牲になりたった文化がある。それらについての問題点を指摘していくことを悪いとも無意味とも言わない。むしろ良いことだと思う。
けど、「だから日本は美しくない」と言い張ることは民族意識に反しているようでいながら、却ってナショナリズム的である。負の要素を日本という言葉で括って語り、美しくないという言葉に帰結するのは、いかにも民族的であり、しかもそれらはひどく後ろめたい。一切の問題がなくては美しさは認められないとは潔癖が過ぎて、しかもすべての国々への批判的文言となりうる。
こんなことを言い出せば、どんな批判意見でも例外によって排斥されなければならないのか、と指摘されることは分かっている。自分としてもそうだと思う。けれど、ただ単に、美しくないとはショックだ。どれだけ汚職事件があろうと、性犯罪が横行しようと、文化が排除されようと、ムラ社会的な要素があろうと、人権が尊重されなかろうと、それらの問題とは別に、それぞれのものには必ず美しさが存在していると自分は信じたい。一つの問題を国民意識にしてまとめてしまうのは問題提議としてよくあるやり方だけれど、納得しがたい。