煽りみたいなタイトルになったが本気でそう思う。というのも、最近、ヤリ捨てという概念について考えているからだ。
ヤリ捨てという言葉が使われるとき、セックスというのは女が何かの代わりに体を差し出し、セックス自体を楽しんでいないみたいな前提があるように思う。男は女体を楽しみ、女はなにか、我慢しているみたいな構造。経験上、そういった構造というのは決して少なくないようにも思う。
そこで、いやいや、女もセックスを楽しむべきだ、セックスを愉しめばそのセックスは等価交換となり、ヤリ捨てといういびつな構造はそもそも発生し得ないのではないかと考えた。ワリカンで食事したあとに、あいつはタダ飯狙いだったという構造は成り立たないのと同じように。
しかし、そこで大きな壁にぶつかることになる。女性がセックスそのものを楽しめるような男性というのは実際問題、男性が女性に対してそう思うのに比べると、明らかに少数派である。なぜなら、女性は相手に雄っぱいとチン子がついていればそれでいい。というわけには行かないからである。男性は女性のことを基本的にうっすら好きだが、女性は男性のことを基本的にうっすら嫌いである。という言葉があるが、まさにそういう構造がそこにはある。そうするとやはりマッチングに難が生じる。肉体的にハイスペの女性だけでなく、普通スペでも需要は高く男性の満足度は高いが、女性はそうは行かない。セックスの不平等。そこで結婚とかお金という部分で交換ということになるんだろうけど。
パンティー
そこらじゅうにありふれたなんでもない男女(それぞれ駄男、駄女とする)だと駄男は存在価値がマイナス(うっすら嫌われてる)で駄女は存在価値がプラス(うっすら好かれてる)ん...