小さい頃、よく可愛がってくれた。
よくある話だ。
彼女はずっと家にいた。正確に言うと、働いていないために外に出ることはなく、ずっと母親と二人で暮らしていた。週に一回のゴミ捨てや、スーパーに買い物に行くことができなかった。そういうことは、私の父や叔母の姉である私の母に頼っていた。
テレビは見ていたようだが、それだけで世間の流れについていけるはずもない。
私が成長するにつれて、叔母のほぼ閉じた世界に馴染めなくなるのは当然だった。
叔母は、変わらずに私を愛そうとしてくれていた。毎日、夕方になると5分おきに電話をかけてきて、あなたが可愛いの。大好きなのと言う。
「おばちゃんのこと好きだものね?」という母親の問いかけに、にっこり笑って何の躊躇いもなく頷けたのは小学2年生まで。
成長するにつれて、叔母はおかしいと思うようになった。
なぜ、5分おきに電話をかけてくるの?私には見たいテレビがあるのに。やりたいことがあるのに。
でも、本人には聞けなかった。
叔母は、電話口で必ず謝るのだ。
電話してごめんね、と。
そう言われたら、子どもは、ううん。いいよって答えるしかない。
自分の母にも言えなかった。直感的に怒られるとわかっていたのだ。
大人になって、とうとう爆発してしまったわけだが、その時に言われたのは想定内の台詞だった。
今まで良くしてもらったのに!なんでそんな可哀想なことを言うの?!
けれどね、大人に近づくにつれて何となくだけど老後の面倒を見てもらいたいからなんじゃないかって思うようになった。なぜなら、叔母には子どもがいない。これは、母もそう考えているような節があった。
恩返しさせようとしていたんだと思う。
そういうものが何となく見え隠れしだしてから、私は叔母のところに行きたいと思えなくなっていた。
一度、叔母の代わりにローンを組まされそうになったこともある。
ちゃんと叔母が支払いをする。心配しなくていい、と母に頼みこまれ、渋々審査を受ける直前で、やっぱりいいと言い出したので、この話はなくなった。
もう随分、叔母とは会ってない。引っ越したと聞いているが、どこに住んでるのかは知らない。
本当のところ、叔母がどう考えていたのかは知らないし、私が勝手に思いこんでいた可能性もないわけではない。
ただ、叔母は精神的な病を抱えていることは確実だ。母は、頑として病名を教えてくれなかったけれど。