http://kawango.hatenablog.com/entry/2018/04/08/193935
これはどちらかというと価値の問題だ。最適化問題を解くことが得意な人にとって、
最適化する目的関数が定義されれば、あとはその問題を解くだけでOKと考えがちだ。
しかし、現実的には目的関数の定義自体がたいへん難しい問題であり、そこは論理的に定義できない場合が存在する。
例を挙げれば、命の価値だ。保険会社を取り上げるまでもなく、人間一人の命の価値は数量化可能だ。
しかし,その数量化された価値は大多数の人間にとってのある人の価値であり、あなたにとってのある人の価値ではない。
あなたの妻の命の価値を保険会社が3億円と算出したとして、そしてそれが論理的でエビデンスに完全に裏打ちされたものとしても,
あなたにとってあなたの妻の価値がそれ以上であることはありうるだろう。
不運にも交通事故にあった場合に支払われる価格がその価格であったとして(そしてそれを悲しみながらも論理的に受け入れたとして)、
では大富豪が3億やるから殺させてくれ、と言われた場合にあなたがそれを受け入れるかというと、それは異なるだろう。
どちらも妻の死と3億円の交換であったとしても。
そのあたりの心理的な折り合いをつけるプロセスが、社会の中では民事裁判などといった形で存在している。
そこでは、原告・被告ともに論理的な議論を行う場であるが、「妻の価値はいくらだと考えるべきか」というその依って立つ前提条件が異なる。