今日…じゃなくて昨日放送された R-1グランプリ で、視覚障害を持つ濱田佑太郎さんが優勝していた。
最近、ウーマンラッシュアワーの村本さんのネタなどに代表されるように、お笑いに対して今までとは違った観点からアプローチをする例が増えており、このような「新しい笑い」(とはいっても欧米などでは政治を風刺するコメディはこれまでにも頻繁に行われてきたが)について考えさせられることが多くなった。
今回のR-1グランプリについて、Twitterを見ていると、大多数の人が視覚障害ネタに肯定的であるように思えるし、僕も感覚的には肯定派である。
しかし、これも感覚的ではあるが、本当に肯定していいのだろうかという気にもなる。
なぜそんな気になるんだろう、そこを知りたい。
僕はきっと、障害者を特異な目で見ている。街中で白杖を使って歩く人を見ると、ついその人に気が向いてしまう。(僕がその障碍者に対して)他の人と同じようにはどうも見えないらしいのだ。僕はもし、障害者を差別していますか?と突然訊かれたら、まったくその気はありません、と答えるに違いないのに、障害を持つ人を注視する。ほとんど自然に、障害者を何かしら特別視している、きっとそうなのだ。だからかもしれない。視覚障害をネタにするのを、肯定しつつも何か違和感を感じるのは。
濱田佑太郎さん自身は、おそらく、他のいわゆる普通の芸人さんと同じようにみてほしい、他のネタと同じように笑ってほしいと思っているのだろう。これは、人々の障碍者に対する差別だとか配慮の足りなさだとか、そういうものに通じると思う。