2018-01-06

ネガティブな話ができる人間は貴重である

ここ一年ほど人間関係を息苦しく感じることが多くなった

原因はわからない

深夜に色々考察してわかったことは「ネガティブな話をダラダラできる人間は思ったより少ない」ということだ

この世の人間は二種類に分けられる

陽の人間と隠の人間

まぁそれは言い過ぎだがそういうことにしておいてほしい

通常通り解釈するなら陽はポジティブで明るい人間、隠は暗いネガティブ人間

しかし何も百パーセントそうというわけではない

私は本質的には完全に根暗で「隠」側の人間

しかし一応今は「陽」の仮面を被って過ごしているつもりである

ボケてツッコんで人の笑いをとっていきたいし、なによりも苦手なのは会話と会話の間の沈黙

つるむのも「陽」側の人間が多い

そこに不満も疑問も一切感じることはなかった

馬鹿な話をして笑っていられる友達がいることは非常にありがたい

しかし、人と話す上での息苦しさは常にあった

ここ一年でそれが肥大化したのだ

高校時代から縁のある友人が一人いる

見た目は派手だが俗に言う「隠」側の人間

から見てもそこそこわがままというか自己中な面を持つ女だが、そこを踏まえてもこの人と喋っていると気持ちが楽になる

この友人と馬鹿な話はあまりしないし、ボケたりツッコんだりすることもほとんどない

コミュ障友達いない、生きてくの面倒臭い、そういった話をダラダラ数時間話せる、私にとって貴重な相手である

私の働くアルバイト先にも「隠」側の人間がいる

しかしそれ以上に「陽」側の人間が多すぎる

シフトがよく被るのも「陽」側の人間

そりゃ人数比が違うのだから当たり前である

楽しいのに、やはりどこか息苦しく、退勤後に残るのは仕事疲れとは別の疲労感だ

「隠」側とシフトが被るときには明らかに感じることない疲労感

やはり私は「隠」側の人間だと痛感する瞬間である

なにを伝えたいのかわからなくなってきたし面倒になってきた

要は「陽」と「隠」が真の意味で交わるのは難しいのではないか?という話だ

あと「ネガティブな話をダラダラするのも意外と悪くないよ」ということである

多分

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