わかりました。「虚しい」と思ったこと、書いたことはさすがに度が過ぎていました。
「文章力の向上」も「日本語文法の再確認」も、同じ「自分の日本語能力に良い影響を与えるもの」として、同義として語るべきものだというのも同意します。
おそらく、私の本の読み方が特殊なんです。
私は文章を読むとき、その文章がどういう意味を表しているかと、その文章がどう組み立てられているかの2つを受け取って、面白いと思ったりつまらないと思ったり感動したりします。
その片方が存在しない読書は、味気ないものではないかなと思うのは事実です。
「文章力の向上」がそれによってもたらされるのは目的ではなく、読書を楽しんだ結果の賜物だと考えています。
たとえば、
小説のストーリーを読み解く能力のことを「読解力」と呼ぶとして、勿論、読者は高い読解力を得るために小説を読むわけではないはずですが、結果として読解力は身につきます。
私にとって、「文章力」は、本を楽しんだあとに結果として得られるものと思っています。つまり、本が面白かったというとき、「文章力」が向上するのは自然なことであるべきだという考えです。
これを目的(それの達成を意識して目指すもの)として扱うのは、さすがにそれは、私は同意できません。
変な喩えですが、「この本、ストーリーはぜんぜん理解できなかったけど、5万字もあった。面白かった」という意見に感じるものと(さすがにここまで極端に思ったりしませんが)、私が感じたものは近いです。
今回は、長々と付き合っていただいてありがとうございます。
どれだけ正しい日本語を身につけても、「うるさいんじゃい!さっきからブツブツよぉ!」とか言ってしまうのか。 なんか虚しいね。
私は口語だと、正しいとか正しくないとかあんまり考えないです。 やっぱり私の考え方がおかしいんでしょうか 「本を読めば日本語能力が向上する」とは思っていない(それを聞いた...
「本を読めば日本語能力が向上する」とは思わないのに「どれだけ書物で日本語を読んでも正しい日本語は身につかないのは虚しい」と思っちゃうんだ。 正しい日本語が身につかなくて...
別のトラバでも書きましたが(読んでくださってるかもしれませんが)、本を読んで何かが「向上」するとは思えません。 本を読むと、学校で習った正しい日本語を再確認することはで...
向上だろうが再確認だろうが論旨は変わらんからな。 文章力の向上なり再確認なりが無ければ読書は「虚しい」のか?という問題であって。 文章力の向上なり再確認なりを読書の主目的...
わかりました。「虚しい」と思ったこと、書いたことはさすがに度が過ぎていました。 「文章力の向上」も「日本語文法の再確認」も、同じ「自分の日本語能力に良い影響を与えるもの...
いつまで言うとんねんガイジ
うっせえな 最初から「『すごい』じゃなくて『すごく』だバーカバーカ」ってやっときゃ潔かったんだよ あとオレは元増田じゃないです(いまいるみたいなので)
そうですね。性格の悪さがにじみ出てしまったのかもしれません。
うるさいんじゃい!さっきからブツブツブツブツよぉ!
「むなしい」とか考えるのはともかくわざわざ相手に向けて書いちゃうんでしょ? 異常だよ
すみませんでした
異常じゃないよ
異常だと感じる方もいるのは間違いないです しかし、ネットでこんなかしこまった文章書いてるとすごい場違い感あるね。笑 想像以上にトラバツリーがにょきにょきしたなあ