なんか、人の価値観ってそれぞれだけど
学生時代にかかわっていた学生団体の「自由に生きる、なんでも挑戦する」至上主義みたいな人達の価値観が苦手だった。
卒業した後も、OB・OGとしてかかわる機会はたくさんあるのだけどもどうしても足が遠のく。
なんとなくもやもやするから、整理することも兼ねて書き留めておきます。
なんていうか、私は学生時代目標があって、そのためにひたすら勉強をしていたのだけども(その学生団体にも勉強になるかと思って参加していた)
勉強を理由に団体のイベント等を欠席したり、参加している人達と話をするとどうしても「お前はそればっかりでつまらん人生を歩んでいるんだな、もっと〇〇をしたらいいのに」とか
「もっといろんなことに挑戦するべきだ」とか言われる機会が多かった。その度に、何となくもやもやする。
その団体には、「バックパック一つで世界を旅した」とか「トラウマを克服した」とか結構ドラマチックな人生を歩んでいる人とか、いろんな団体を掛け持ちしている人が多かった。
もちろんそういう人たちばっかりじゃないから、私も含めてそうじゃない人たちもいる。
でも私にそういうエピソードを望まれることもあったし、そういうエピソードがある人が尊敬されて、ない人はそういう人たちよりも下という価値観があった。
なんか、こういうのが苦手だったのかな。
なんていうか、確かにそういう目に見えて凄い経験をしている人たちって本当にすごいし尊敬するけど
だからといって、そうじゃない人たちが立派じゃないなんていえるのかなあ。
いろんなことに挑戦して、大きなことを成し遂げるのも立派だし
学校行ったり、働いたり、生きていくだけでも立派だと思う。
かといって、そうじゃない人が立派じゃないと言ったらそうじゃない。
ただ純粋にこの人、すごいなあ、立派だなあ。って思うだけでいいのに
どうしてそれ以外の人を立派じゃない、とかこの人よりすごくない、この人みたいにこうすればいいのに、とかなっちゃうのかな。
例えば、私がやってみたいことがあって足踏みしているところに
こうしてみればいいのに、とか背中を押してもらえるのはとってもありがたいけど
まったく別の部分で、背中を押されることに抵抗があるのかな。
なんなんだろう。
私が頑固なのか、よくわからなくなってきました。
うーん。
読んでくれた方がいらっしゃったら、お付き合いいただいてありがとうございます。
いわゆる意識高い系の人たちは「いかに周りから凄いと思われるか」に重点を置いて生きているので気にしなくて良い。 そういう人たちは、色々な経験を積みながら本当にやりたいこと...