2017-07-31

出生率という言葉表現していないこと

2種類の生物を考える。

生物Aは生まれ一年で雄と雌を生み、その後は子供を産まない。そして三歳で死ぬ

生物Bは生まれて三年で雄と雌を生み、三歳で死ぬ

生物Aの雄と雌がおり、この生物には近親交配によるペナルティーを受けないとすると、

A1とA2のつがいは、一年目にA3とA4を生む。

二年目にはA3とA4からA5とA6が生まれる。三年目にはA1とA2は亡くなるが、A5とA6からA7とA8生まれる。

三年目の人口は6人から8人となる。

一方生物BのB1とB2つがいは、三年目にB3とB4を生むと亡くなってしまう。

この場合、三年目の人口は2人から4人となる。

生物Aも生物Bも出生率は2であるが、人口の変化はこれほどに違う。いったん定常状態になれば生物Aも生物Bも人口は安定するのだが、もし出生率が2.1であったり、1.9だった場合人口変化は格段に違うだろう。

 だが、我々が見ているのは出生率だけであって、平均出産年齢ではない。少子高齢化問題を考える時には、なぜか時間問題が抜け落ちてしまう。

 僕たちの社会コンセンサスとして、教育は受けたほうが良いし、その期間は連続して、長いほうが良いと考えられているからなんだろうか。

 自らの子供を祖父母に預けることは、自立した個人としてふさわしくないものだと考えられているからだろうか。

 いずれにせよ、暗黙の社会的な前提が、少子高齢化問題子供を何歳で生むかという、時間的要素を組み入れることを拒否しているのではないかと思う。

 大事なのは人口減少を食い止める方法として、出生数を増やすほかに、出生年齢を下げるという方法存在するということだ。

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