この一言が胸に響いた。
仕事でふだん接している相手が心療内科の患者であったり多動だったりなんらかの識字障害を抱えていたりバックグラウンドに問題があったりしたんだということを今日はじめて知った。
確かにそういう人たちは平均よりも遥かに平均的なことができない。
その必要とされる「出来」が悪いのは、どうにかならないかなぁという思いがありつつも、諦め半分で、そういう個性なんだとある意味では受け止めていて、問題が生じたことがなかったから言われるまで気づかなかった。
そういうわけで平均やそれ以上の成果を求めなくて良いんだと言われた。
中には意欲的に取り組んでいてもどこかの脳内処理の問題で、成果が伴わなものもいるし、意欲が沸かなきゃいけないという危機感に陥れず、問題を問題として認識していないままのもいる。
表面的に見える意欲のある・なしで判断していたけれど、もっと根本的なところに強い個性があるのだということを知って、安易に判断していた自分を情けなく思った。
仕事柄、努力や成果を測るということをどうしてもしなきゃいけない。全体の平均とはべつに、個々の成長分も考慮するということを、それなりにはしてきたつもりだった。
けどその成長速度は同じではなく、同じ期間で到達できるポイントも人それぞれであるということ、そしてそこには極端な差もあるということを思い知らされた。
タイトルにある言葉を言われて、ふと原点にかえったというか、相手に最初に望むべきポイントを認識させられた。
まずは心身ともに健康でいること。当たり前のようなことだけど、その状態を維持することに普段の生活の多くを費やさなきゃいけない人もいるんだな。というよりそういうエネルギーの消費先の割合って人それぞれだったな、と何度もそういう記事を読んでいたけど、今日、身近な人の存在のおかげで本当に実感した気がした。