2017-07-07

収集癖断捨離癖の終わりなき戦争

元は収集癖があるのですがある日断捨離にハマりました。

年収集し続けたもの自分で納得して自分で捨てたにも関わらず、コントロール不能の落ち込み状態に陥ったことから収集物というのは拡張された身体であり外部化された自己でもあったんだな、と実感しました。

自分で納得してさえそうなので、ある日突然それを奪われて棄てられるというのは、不意打ちで腕をもがれてその腕を捨てられたのと同義みたいなものではないでしょうか。

必然的に「あなた身体が傷ついても構わない」「あなた邪魔不要」「あなたには大切にされる価値が無い」というメッセージを受け取る事になるんだと理解しています

多分思った以上に収集物を捨てられた人の精神毀損される。

一方で、断捨離(あるいは普通に掃除お片付け)によって片付いた余裕のある空間はたいへん気持ちがいいです。

そして、片付けをすると不思議とその片付けた空間を「‘自分が’自由に動ける‘自分の’領域」だと感じてしまうことがあるようなのです。

その空間自分想定外荷物不用意に置かれていると、なんだか自分領域を侵されたような、自分自由に動けるはずだった身体空間を奪われたような気持ちになる。

どうやら、自分が手をかけて獲得した「自由に動ける空間」というそ空間自体自分拡張された身体になっている。

断捨離にハマる人は、実は「空間」を収集することにハマっているのではないかというのが私の仮説です。

なので、断捨離で「空間」を収集している人からすると自分が集めた空間として定められていたはずの場所不用意にものが置いてあるのは体の自由を一部奪われているのと同義みたいなもので、それを「片づけて」と言っても置きっぱなしにされていると「あなた身体は侵しても構わない」「あなた自由尊重するつもりはない」「あなたには大切にされる価値が無い」というメッセージを受け取る事になるのではないでしょうか。

多分思った以上に空間を奪われた人の精神毀損される。

実は似た者同士どちらも傷ついているのです。

  • 捨てる快感というのはあるんだろうけど、それを楽しみたいだけなら自分のものを捨てればいい 結局あるモノについて、それを大切なものと思うかゴミと思うかは価値観の相違なんだか...

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